Social Stalking
Prose area
He liked cherry blossoms.
But, it was not possible to become cherry blossoms.
Therefore, I decided to eat cherry blossoms.
It ate every year of every year.

He need not eat the recollection any longer.
His life is not bound with a transparent rope.
Fin.

29 March,2008 Ⓒwindyjuly 
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Is not the one that the meaning of happiness is felt in a painful environment?
苦しい環境だからこそ、仕合せの意義が感じられるのではないか?

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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Two quiet people

Two young people had uttered a sigh in front of the real estate agent.
The man muttered, "I'm sorry" toward the show window.

The woman whispered.
"Let's go on a trip tomorrow."


クワイエット

若い二人が、不動産屋の前で溜息をついておりました。
彼は寄り添う彼女に「ごめんね」と声を掛けておりました。

その瞬間、私は少し嬉しくなりました。
「ねぇ、明日、旅行行こうよ、ね」

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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I think that I live like the person who waits for the execution of the capital punishment.I feel pleasure its life now.

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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嫌がらせからでも、何かを学び取ることができる。
明日へつなげていくために、立ち向かっていこう、今日も。

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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人を殺す言葉と、人を生かす言葉がある。

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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Look up, please

The student who held the rucksack was sitting on the seat of the train.
I thought that she was sleeping.
But, she was watching the cellular phone.

Then, her body began to tremble little by little.
I hesitated whether to multiply the voice.
She seemed to be crying.

"Cherry blossoms bloom soon"

The student looked up like reacting to my mind.
And, she stared at me.
Strange timing


Look up, please

リュックサックを抱えて、俯く学生が電車のシートに座っていた。
長い前髪のせいで、眠っているのかと思ったが、
携帯電話を手にしていた。

彼女は携帯の画面を覗き込むと、小刻みに震えだした。
車内には数人しかいなくて、私は声を掛けようかどうか迷った。
すると彼女の頬からは、涙が流れているのがわかった。

もうすぐ、桜が咲くね

すると、内心に反応するかのように
学生は顔をあげ、私を睨みつけた
妙な、タイミングだった


March,2008 Ⓒwindyjuly
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私は主張を続けていきます。
間違ったことを言っていることに気がついたら、批判すればいい。
悪態や人格的な攻撃ではなく、主張に対する批判をすればいい。
懐疑的な視点を持つことは、事実を理解するために必要。
狎れ合いだけの同意では、そんなもの、すぐにSpyに飲み込まれていくだろう。
人を蔑み、侮辱するような、他者の不幸を餌にする卑しい者には絶対になるな。

何様?自称強者の群れに食い物にされてきたことに気づいた温厚な主張者だ。

Feb,2008 Ⓒwindyjuly
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Soul

We can choose musical instruments that I want to play.
The keyboard and the pen that you beat are musical instruments.Common language.
People who share the same problem in various places are playing music.
Quiet music that flows from various predicaments harmonizes gradually.
In various places of the town.
The volume keeps going up.
No one can stop it.
They were orchestras before one is aware.
It became like blacks' soul music.
It doesn't finish ringing indefinitely.
There is a genuine justice there.
Soul Music of true justice.


22Feb,2008 Ⓒwindyjuly

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The sky in spirit

The fly crowds excrement.
The butterfly was not interested in excrement, and received love from the flower.
The fly begrudged the butterfly that had a beautiful wing.
Therefore, the fly assumes the butterfly to be excrement.
It tore butterfly's wing.
And, the fly said to the butterfly that had lost the wing.
"Hey man! Fly sky-high! Freedom!"

The flower that swung in the wind smiled at the butterfly.
"Still, you should fly sky-high"
The butterfly found the wing that existed in the heart,and flew away.

9Feb,2008
Ⓒwindyjuly


心の中の空

糞に群がる蠅がいる
蝶は糞に関心を示さず、花から愛を受け取った
蠅は美しい羽を持つ蝶を妬んだ 
だから蠅は蝶を糞だと決めつけて
蝶の羽を千切っていった
そして羽を失った蝶に蠅は言った
「さぁ、飛ぶんだ!空高く自由に!」

風に揺らいでいた花は蝶に微笑みかけた。そして囁いた。
「それでもあなたは空高く飛ばなければならない」
蝶は心にある羽を見つけ、飛び立っていった

JUGEMテーマ:健康


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Hircine and sheep ―ヤギとヒツジ


Hircine and sheep

みんなにわからないように、そおっと悪さをする意地悪なヤギと、
お話し好きなヒツジが暮らす牧場が海に浮かんでいました。

そこでは何をやってもおこられないヤギたちが、
ヒツジさんたちに命令ばかりしていました。
いじわるなヤギたちは、子屋の奥にたくさんの餌を隠しためこんでいましたが、
ヒツジさんたちにはいつも、足りない足りないといって、
みんなを焦らせていました。
でも隠していた餌がみんなにばれてしまったら、
ヒツジさんの怒った顔が、自分たちに向かってきてしまいます。
だからヤギたちは、ずるがしこい考えを思いつきました。

それは、ケガをしたり年をとったりして動けなくなったヒツジたちを、
こっそりとバカにすることで、
ヒツジさんたちのうっぷんを、同じ仲間に向かうように仕向ける、というものでした。
そうすればヤギたちはあんしんできます。

幸いなことに、ヤギたちはラジオや雑誌、テレビに至るまで、
どこにでも仲間がたくさんいたので、そんなことは朝飯前でした。

やがて、ヒツジさんたちの暮らしはどんどん苦しくなっていきました。
いつもあんなに乳をしぼり出してきたというのにです。
すると、疲れたヒツジさんに向かってヤギはこう言いました。

「悪いのは、役に立たないヒツジのせいだ!」

隠しためた餌を後ろ足でけっ飛ばしながら、何度も何度もくりかえしいいました。
テレビもラジオも同じようにいいました。
するとヒツジさんたちも次第に、自分たちの暮らしがつらくなっているのは、
役立たずのヒツジのせいだと思うようになりました。
そして、バカにし始めるようになりました。
それはヤギに向かって言うよりも、楽にいえました。
相手は弱っているし役立たずだからです。あんぜんなうさばらしにもなりました。

そのうちに、「役立たずのヒツジは、お肉になってみんなの役に立て!」
というものまで現れはじめました。
そうしてヒツジたち同士でいがみ合いは続き、
悲しくなったヒツジたちは、どんどんお肉になって牧場から消えていきました。


ヤギたちは悪いヒツジたちが暴れださないように見張るんだと言い張って、
ヒツジさんたちの生活を好き放題に、こっそりと、のぞき込むようになっていました。
ヤギたちがのぞいていることを知らないヒツジさんたちは、
疲れて小屋にもどると、閉じていた口を開け始めて、
いつもいばってばかりのヤギの文句を言い始めました。

そのようすをのぞいていたヤギはおもしろくありません。
のぞきこんでいたヤギたちは、
自分たちの悪口を言われていることが腹立しくなりました。
本当は悪口ではなくて、事実を話していただけなのにです。
勝手にのぞいて、勝手に怒っているなんて、なんだかおかしいですね。

それに、ヤギの仲間になったヒツジだっていました。
ヤギから餌をもらえるようになったからです。
そのお礼に、あそこに変なヒツジがいるよ、
こっちには役立たずのヒツジがいるよと、
ヤギにそっと教えるようになっていきました。

いくらおとなしいヒツジさんだって、いつまでもだまっていませんでした。
でもヤギたちがこっそりため込んでいた、餌のありかに気がついたヒツジさんたちが、
ヤギの小屋の奥をのぞこうとすると、
お空にはヤギの乗った飛行機やプロペラがぐるぐる飛んでくるし、
道を歩いていると、茂みに隠れていたヤギの仲間たちが、
そおっと、いやがらせをしてきます。
ヤギなのにオエーッという鳴き声だって吐きだしてきます。
そんな噂まで聞こえてきますから、
ヒツジさんたちは何となく怖くなって、みんな口ごもるようになってしまいました。
そして気がついたら、みんな同じことしか言えない、
変だなと思っても、変だねッと言えないしずかな牧場になってしまいました。

お話し好きなヒツジたちは、もう、嫌だとか、違うとか言えなくなって、
メエーとしか鳴けなくなってしまいました。


数年後、みんなの世界はどうなったかって?
それはあんなにたくさんいたヒツジがいなくなって、
いまではヤギたちだけが暮らしています。
でもやっぱり、たりないたりないって言っています。
そしてそこでもまた、
ボクの方がいいヤギだ、
お前は役立たずのヤギだ、
いや、おまえなんかヒツジのくせに!いうことをきけ!

ヤギの役に立ってきたヒツジたちはもう、いなくなってしまったから、
こんどは仲間割れ、みたいです。

Ⓒwindyjuly
2 Feb,2008

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private note


private note


あなたが疲れていて
多くの人が疲れていて
それぞれの それぞれのリスクが障壁となって
ある人は戸惑い
ある人は打ちのめされ
ある人は すべてを自分の責にされ

若さは利用され
老いは抵抗力を薄めていく
そこにシンクロが必要ではないでしょうか

その中腹に在る私ももっと闘いますから
これからもっとリスクを蹴散らしていきます
侮辱されようが そんものはもう慣れてきた
慣れはしたが 腹は立ちます
しかしそれを凝視する
あなたの苦痛を背負う人は誰もいないですが
あなたの苦痛を理解する人は、少しづつ増えているでしょう

うまくはいかないですが
それでも七転八倒、
言葉だけではなく、行動に結びつけて
犠牲者や被害者である前に、
ひとりの人間として

これまでの苦悩と苦痛と、そして希望を
もう一度、もう一度、
見つめなおしてみます

無限回廊、
負けないでください 出口は己にある

30 March,2008
windyjuly
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この国の中で、個人の仕合せを追求していこうとするのは、とても困難で。
他国での民族的な考え方の違いもありますが、この国の過去も現在も、その多くは、「現実」という言葉で肯定され黙認される、足の引っ張り合いと争い。そして、精神的な残忍性の黙認と、そこから派生する虐待行為全般に拡大されてきている人間精神。

嫌なことばかりではないもので、自分と同じような考えを持った人と触れると、とても嬉しくなります。犠牲に対して批判的でありながら、自分の人生を生きていこうとするという考え方には、二重三重に共鳴します。自身、もうしばらくは恥をさらしつつも、虐待的愚行というものがどれだけ陰湿極まりないものなのかを、可能な限り問いかけていきたいと思っています。問いかけ先は、社会であり自身であります。例え小さな声でも、言い続けていかなければ、人ってすぐに忘れてしまうでしょ?社会的に強い立場にある方々の言葉と行動が、どれだけの人々を仕合せにしてきたのかはわかりませんが、これまでの社会的瑣末さに目を向け顧みるのであれば、虐げられてきている方々の言葉の中にある反響をキャッチしていかなければならないと思ってます。

何分侮辱意識が蔓延っていますから、あなたの落ち度を突いてみては、勝ち誇った面持ちで生きる人の人生模様を目にすることも少なくないと思います。苛立ちが憎しみに変わり、それが他者への罵倒や揶揄、差別意識そして、虐待行為へと駆り立てている側面もあると思ってます。

動物実験によって、あるいは処分されていく動物や人々の問題と同様に、私たちは自分たちが生きている足場、その視野を広げ認識することが、国内外問わず、自分を生きていくために必要な教科書であると思うようになりました。

自分に向けられた残忍性というものは、決して無視してやり過ごすことができるものじゃないと体感してきています。自分の意思を、つまり、それをやられてどう思うのか、嫌なのかという意思表示を、自らの責任で示していかなければならないと。それが自分を生きることだと。屈しないでくださいね。

19 March,2008
windyjuly

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やりたいこと、わかんない?
自分のやりたいことをみつけるということは、一般評価やプロアマ問わず、他人の人生ではなく、自分を生きるためには重要ですよね。それがいつのまにか他人の役に立っていたとすれば、そうした流れは人生が、優しい方向へ吹いていると思います。

たぶんというか、それをみつけるのは、おそらく、消去法なんじゃないかな。無駄なことあれこれとやってみて、残ったものがそれで、続けているうちにふと思い出す。そういえば、子供のころから、これがすきだったな、ってことがさっと過ぎる。参考になるかな。応援してるよ。大切な友人へ。

19 March,2008
windyjuly


※27Feb,2008/20Jan,2008 公開終了
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精神的な殺傷―その体験的断片


精神的な殺傷―その体験的断片

誰でも夢中になって取り組んできたものはあると思います。私も例にもれず、学生時代は五分刈りで、硬式野球に時と汗を費やしてきた。結果は取り組んできたエネルギーを反映することなく、残ったのは、いつかの岡村靖幸の詩にあったように、「優勝できなかったスポーツマンみたいに、ちっちゃな根性」が身に沁み込んだだけだった。

私がこの精神虐待的なハラスメントというものを調査研究し始めるようになったのは、周囲に物理的、人為的な異変が生じる以前から、psychological領域に興味を持ち、独学に費やした日々もあったということも、その動機としてある。そうした経緯において、監視示唆的かつ、歴史的検証において、幾多の弾圧迫害史などとの累積を見れば、おのずとSNS(ソーシャル・ネットワーク・ストーキングSociety Network Stalking※持論における略号化)というものが、精神病理的一元的に排斥されていこうする流れそのものに、「集合的な思惑」という矛盾が潜んでいることに気が付くことになりえると考えます。

そうした精神的な残虐性に概念化を収束してくれたものに、マリー=フランス・イルゴイエンヌ氏著作が、歴史的な検証軸とともにフレームとしてあり、また社会的構造矛盾の弊害による犠牲者の立場に立った指摘をするマイノリティ・ジャーナリストをはじめ、blogやHPなどを通じて世論に対し、問題提起を配信する否著名一般ジャーナリストたちのナビゲーションがある。そうした場において目にして検証し知り得てきたものは、自分が経験体感してきた以上の苦境の風景だった。自殺へ追い込まれていくほどの心理的な苦痛の持続。想像できますか?その虚しく自己を取り巻き続けていく苦悩というものを。ロープを握りしめるに至ったその人の背中、笑顔、過去、記憶という瞬間を。

そうした心理的虐待は、歴史的な観点からも、例えば南部黒人たちに対する人種的迫害といった、人の持つ精神性、侮蔑視や迫害的荒廃の中からも鑑みることができると考えています。

私自身の周囲で積算されつつあった、そうしたカムフラージュされた悪意というものに対する心理学的なPsycologyなアンテナを私は知識とともに持っていたため、彼らの侮辱的な態度には気づいていた。それはモビングmobbing的な経験則としても察知することができた。しかしそれは一過的なものであるかも知れないとも考えなおし、再び日常の優先事項に対して視点を向け続けていた。

被害を訴えるまでもなくとも、人であればそうした不快に繰り返される挙動というものは、あまり重要なものであるはずもなく、さして気にも留めず、受け流しつづけていくという、今に思えばあまりに無防備過ぎていたために野放しになっていた、そうした心理的残忍性というものに対し、それらの客観的な検証を踏まえ止む無く自主防犯カメラを設置した。そしてそこにはあの男性の姿が映っていた。言葉も交わしたこともなく、人間関係もあるはずのない彼は、まるで私のアイデンティティーを破壊するかのような態度をとり続けていた。背後から威嚇的な嗚咽を繰り返す人物とその家族やネットワーク。これらについては、統合失調症との対比的な指摘に対して、これまでの記録などから実証することが可能であるとの認識を現在までに持っている。

そんなある日の穏やかな午後、玄関先で親子は楽しそうにボール投げを繰り返していた。誰にとっても微笑ましい風景に過ぎない。しかし、私にはその数分にわたる自宅前での「遊ぶ姿」の中に、可能性としてのさりげなく見え隠れする心理的な悪意とその残虐性が映し出されていた。
親子の言葉の中には、野球に関するやりとりが繰り返された。ここに被害意識は持たないし示さない。しかしそれは私の過去だ。そして彼が投げ捨てたボールを子供が取りにいくその一瞬に、「一回で負けた」という言葉が前後の脈略もなく発せられた。被害だと証言はしないしできない。裏付けがないからだ。しかしこれも私の過去だ。聞き間違いではなかった。そしてその声量は、窓を閉めた冬の室内に入り込んでくるものであった。


今の私は、そうした過去に振り回されることはなくなった。選手としての功績に高級なものはなく、それらの経緯、ランニングを続けたり、トレーニングを行って、ひとつの目標に向かって継続する。挫折だらけの人生だけど、そうした意義が、現在では私の中で密かに誇れる数少ない誇りともなっている。誰の中にもあるはずの、自分にとってのみ価値あるもの。それが「優勝できなかったスポーツマンみたいな、ちっちゃな根性」。散々蠢いてきた雲はもう、振り払った。それでもあの日を懐かしく思う。

そうあの日、私の費やしてきた汗は「一回で負けた」。
蝉の声に紛れ込みあっけなく散らばっていった。
高校三年の夏、初戦で敗退し泣きじゃくり、泥だらけの奴らに肩叩かれた記憶が渦巻いた。

18Jan,2008
Ⓒwindyjuly
JUGEMテーマ:日記・一般


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Propaganda―イメージ戦略との対比


Propaganda―イメージ戦略との対比

Sストーキングの問題を一般に理解してもらうには、やはりマスメディアの力が必要だと考える。しかしマスメディアの動きに即座な期待が難しいこともまた事実。どこへ訴えても埒があかないという声があちこちに散らばる。だからネットで配信する。こういう流れが国内でも、理解を得やすいある種の「戦略性」が不可欠だと考えている。戦略という言葉に語弊があるならば、それは「客観的な工夫」というものに置き換えてもよいかと思う。広告業界で用いられている広報的戦略は参考になるかもしれない。この状況に陥っている方々は、自分たちが「周辺状況を理解できないでいた一般人」であったことを思い起こす必要があると思っている。そうすればいかに自分たちが陥っている状況というものが、一般生活者とは縁遠い出来事であり、興味を惹かない事象であるのかを見直すことができます。

販促業界でも、店頭販売でも、いかにして商品を手に取らせるか、目を惹きつけるか、そういった「販売戦略」が日々研究導入展開されている。企業広告に目を映してみてください。商品イメージやCMに起用するタレントイメージというものに対して、いかに神経質になっているかが理解できると思います。一旦陰湿なイメージが企業や商品についてしまえば、それは「商業的株式的な死」と等価になり、そして同時にこれらのことは何も、商品や企業イメージに限ったことではありません。

かつての湾岸有事の情報ねつ造を覚えていらっしゃるでしょうか。戦争における情報戦、プロパガンダでは、石油まみれの鳥による歪曲的演出や、偽りの証言をした広告業界関係者による偽装といったように、情報操作が多用されていた事実が、メディアに暴露されている。推測だが、その暴露自体にも情報戦の反映作用があると考えている。なぜそうした「嘘」をついてまで、情報を弄くる必要があるのか?そうれはいうまでもなく、一般的圧力を交わし、世論支援を受けるために必須であるから。一般的多数の歪曲的な協賛があってはじめて、不正が公正にすり替わる。それはプロパ発信者側からの利己的で一方的な、悪質な有力構造的一面であると考えている。

そうした観点から、これらSストーキングで展開されている証言と体系的弾圧手法に視点を移行すれば、いかにこの問題が発するイメージというものが、一般的な興味を惹かない陰湿な対象案件であるかも見えてくるでしょう。精神病理的で、被害妄想的な症状と類同する証言、警察は動いてくれず、診察を促される。Gaslightingで用いられる錯覚的な手口の数々は、フランス映画アメリにも描写されている。不法侵入をし、スリッパを置き換え、歯磨き粉をすり替える。

迷惑電話に葬儀社からのFAX,、薄笑いや誹謗中傷的な示唆的挙動や発言から始まり、公安、宗教、人種的利害に盗聴盗撮にヘリ威圧、過剰監視社会に対する口ごもり、低周波に有害電磁波、人工衛星〜という、身近にある不快な嫌がらせからはじまって、軍事機密的なエリアにまでフレームを囲う、これらの証言展開の流れが、非公開情報に基づく事実であっても、実害感無き一般生活層にとってみればいかに無意味で、隠微なイメージを持った、生活環境からは離れたものであり、決して手に取られることのないいわば「売れない商品」であることが、これらの持論により見えている。

それではどうすればいいのか。それは、誰しも内面に持っている「危機感」というものに対する訴えかけ。その危機感にタッチするためには、陰湿なイメージを持った、これら広義の社会的問題を、いかにして「商品としての価値を持たせるか」、すなわち、「ネガティブなイメージを持つ問題意識に対する危機感という『商品』を、手に取らせる必要性を感じさせることができるか」、そうした工夫が、個々に陥っている陰惨な状況に対しては、より強固に求められるものであるということを、持論としてここに示しておきたい。それは例えて言えば、前述の「アメリ」のように柔らかくデフォルメdéformerされた潜在的な手法を参考にすることも、一般的な認知化への足掛かりになりえるというヒント及び提案でもあります。


15 Jan,2008
Ⓒwindyjuly

※これらの問題を商品として置き換えて展開した持論は、直接的な商品価値や対価を求めるといった考え方ではないことにご留意ください。
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ジャーナリズム―journalism


2008.02.19 Tuesday-Update
ジャーナリズム2

社会問題に対し、自分で物事を考え始めるきっかけとは何か?
私は実害感がそのきっかけになった。
ある方は、知人・近親者の実害がそのきっかけになり、
ある方は、触れ得た情報と、自分の抱える問題との接合がきっかけとなった。

どれだけ事実に近づけたとして、それらを握りつぶすことは、容易であると思えないか?構造にとって連携など、ローソクを吹き消すほどの息で吹き消してしまいやしないか?そして、これまでもそうではなかったのか?

コアなソースが民意に反響しないのは、まず、実害感が無いために、自ら処方箋に手を伸ばす必要性がないことにある。風邪をひいてから飲み込む薬のように。
もうひとつは、報道ソースを最大公約数とした一般認識にある。これらはオカルトな類と同様に、その存在の是非は「噂」などでは一般化され、かつそれらのオカルトカテゴリ商品が、マーケットに散らばってはいく。しかし「現実的」には懐疑的に受け止めざるを得ない形が、知らず知らずのうちに、洗脳的に意識の中に根付いている。

そして、自らが陥っている問題の解明に必要なコア情報は、それらを必要な人にとっては喉から手が出るほどのものでも、そうして知り得た人が例え世に訴えかけたとして、一般が関心を示さないのは、それらを食したいというデザイアや必要性を感じ得ないからだ。

社会一般認知の方程式、その絶対値は宣伝・報道にしか存在しない。それら宣伝・報道力を、これらの問題意識を共有している大部分の方々は持ち得ていない。だからジャーナリストという存在がその架け橋となる。
しかしながらジャーナリズムもまた、報道従事者と同様に、葛藤があると推測する。伝えたいけれど伝えることのできない、言いたいけれど言うことが出来ないこと。そしてそこを隔てている壁は、生活や暮らしへの「静かな圧力」である。安心や安定を脅かされる。だから大抵は、レールウェイを進んでいく。

直接的に、あるいは間接的に恒常化しつつある暮らしや心身へ加えられていくダメージを受けている弾圧被害の受け手たちは、すでに息絶えた人々を含め上記への陳情や訴えかけを続けてきたが、構造に跳ね飛ばされていく。
だから「有識で有力な方々へ」と思考はリンクしていくことになるだろうが、いったいこれまでどれだけの人々が、陳情届かず無視されて、同じ境遇の中でもがいてきたのだろうか。

それらは無駄でも続けていかなければならないものである。しかしそれだけでは発展がない。だから、専門的尺度には納まらなくとも、一般発の「広義」におけるジャーナリズムが必須になる。これは絶対に必須だ。彼らはジャーナリズムであると同時に、広報者でもある。薄い知識や非専門性を盾に罵倒され切り込みをいれられるだろうし、さらに侮辱のネタを提供するといった側面も併せ持つ。それでも実害の受け手たちが、そうして恥をさらし、プロジャーナリストと報道に「圧力」ではなく、彼らプロとしての本能に訴えかけ続けていくしかないじゃないか。「君たち、そうじゃない」。そう言わせたいし、罵倒ではなく指摘してもらいたいとも思っている。

このことは自身の内省としてあるが、確かに身体は以前のような健常な感覚を妨げられ、心に切れ込みを入れてくるハラスメントのある環境に置かれてはいる。しかしやはり健康不良や実害といったものを動けない理由にしてはならないとも言い聞かせている。私には社会潜在的で、隠ぺい資質的な問題の影響を受ける人々に、その責は無いとする思弁を含めた考え方がある。しかしこれらは自力本願である生き方を否定するものではない。そうした自力本願的な生き方の妨げになっている構造的障害物にまず因果を示すことが、本来の意味における自立を確立することができる。進め、といって裾を踏みつけているような構造である限り、福祉国家へと方向を転換しない限り、一般人の自立的な生活を促す声は、汚職、談合、裏金といった腐敗に揶揄され飲み込まれていく。
                   

一般にとって一見すると必要のないソースを、実は重要なものであったということに気付かせる工夫は、実際、私の知りうる限りそうした有能者は、電子的な世界の中で歩みを続けているが、生活の困窮や目に見えぬ不安は、今後益々増大してくるものと考えられる。そうした過程において、彼らの発信内容との「接点」に触れることのできた人々は、
その人にとっての気付きへのきっかけとなる。

※あなたもぜひ、実害受け手たちが持つ、ジャーナリズム精神へのパラダイムシフトを。読んでいるだけじゃ変わらない。溜めこんだものを形にして。それは自分にできることでいいし、質や出来といった部分にとらわれる必要はない。自力本願を軸とした知人たちとの連携、オープンソースと、クローズドソース。例えばオーケストラのように、手にする楽器を選ぶことができる。例えばあなたはつきたいポジションをチョイスすることができる。実害に屈しないでください。気分転換も十分に図ってください。空気を入れ替えるように。

19Feb,2008 windyjuly
27Feb,2008 一部加筆(報道=宣伝・報道)
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2008.01.09 Wednesday

あるフリージャーナリストの言葉に、
「伝えられていないことを伝えるのがジャーナリストの仕事。中でも大事なのは、攻撃されている側、被害を受けている側の立場を伝えていくことです」とあった。組織的なパフォーマンスはできなくとも、制約に縛られない比較的自由な立場だからこそ、発信できる内容がある。フリーとして制約に縛られないとはいえやはり、目に見えない部分で、私たち一般からは映らない場所で、弾圧に似た様々な圧力が加えられてしまうこともあるかも知れないし、実際それは世の常なのかもしれない。

私は潜在的公害を起因とした、健康的な事情を抱えているが、Webジャーナリストとしての方向性を進めている。理由のひとつには、上記のように、組織内では語れない、語ることの許されない、一般人にとって生命に関わる重要な事実というものを、発信する人があまりにも少ないような気がしたことと共に、これまでの経緯で触れてきたように、なによりも自分自身が身をもって、これら社会的弾圧の実態に情報収集・調査によって触れてきているからだ。

この全体像を見ることができないのは、縦割り構造的な隔たりでもある。
何度も繰り返し言うが、構造的な欠陥がまず天辺にあって、人々の暮らしを圧迫している。底辺じゃない。このことは格差社会、新自由主義という土台によっても示されている。こうした社会的な構造矛盾の総体的因果として、一般的生活者一個人による影響に固執することは、全体論の矛盾を示す要因としてはプロパ的である。証明、蔓延する社会人工的病理に対する具体的な改善策は、いったいどれくらい施されてきている?

なぜ、ワーキングプワ、ニート、フリーター、cafe難民などという広義労働者層への侮蔑語が幅を利かしながら、富裕層推移の狭義な上昇率を示すのか。どうして、富裕層には減税を、そして一般層への税率は引き上げられているのか。なぜに、第三のビールなどという、品質においてビールに勝ることのない酒が庶民に振舞われているのか。そう、すべてにおいて共通項を示すものは、税制に他ならない。

素人であっても、この問題に関心を示さなければならない。人々の暮らしを圧迫しているものは、一般労働者並びに、非労働生活者のせいじゃない。社会構造的力学を考えてみても、それは言うまでもない。

私たちはこのまま、口を塞がれていきやがて、正当な批判や批評を、会社、町、室内の至る所で、論じる事が許されなくなる。いや、すでになっている。そしてそうした自然な議論は、言論、表現の自由は、合法化された「法」によって裁きの対象になることは、歴史に尋ねてみればいい。盗聴法は合法化し、街中にはテロリストや過激派の監視という名目で、カメラだらけで、それは何も機械的なカメラデバイスだけではない。これを俗に不特定者を含むストーキング、シュタージ体制だとささやかれ、国民監視行為として歴史的接点を有している。私たちは次第に、記録的、あるいは構造的デバイスに依存せざるを得ない生活環境下に、いつのまにか置かれてしまっている。

私自身の苛立ちは、そうした不正にかすめ取ったプライバシー情報によって、一生活者のアイデンティティを壊し奪うとされる層に対してある。人生を奪うことにある。その仮説として繋がるものは、ほのめかし―Unpleasant suggestionである。盗みとった個人情報のネットワークによる伝達を媒体として、それらを合法的に、「合法的に」、対象者へ示す手段としてのsuggestionである可能性が高いと考えている。だからこそ、名指しは避けるも、不快な挙動と素振りだけは活かして振舞う。モラハラの加害者的気質を持つ者たちは、世の中の善悪の基準が、合法非合法を軸として委ねられていて、倫理道徳性に欠けた行動指針を持っていることは、精神医学関連書でも示されている。合法的な行動に問題があるといっているのではなくて、私は倫理道徳性という、他者の立場から快不快を考慮した指針というものが人々の基準として育まれなければ、こうした隠微社会の構成に好影響をもたらさないと考える。合法非合法という見方の前に、それらが必須であるはずだと考える。

総社会的な圧力を交わすがための、緩急をつけた霧のような弾圧、見せしめと迫害による犠牲と利権。その餌食、各地で声がさ迷い、それらを様々な嫌がらせを行う層が束ねていると推測、いや、情報収集の推移を根拠にしてそう実感している。すなわちこれらは、精神的な嫌がらせであるモラルハラスメントであり、EU諸国では立法抑制がかけられているリストラワークであるモビングであり、すなわち、盗聴覗き行為から炙り出していった彼らにとって「敵者としての材料」、レシピを備えた一般者を、密かに弾圧していくそう、あの黒人たちが受けてきた迫害、弾圧行為、コインテイルプロcointelproであるとして、概念化を構築することができる。ここに妄想は微塵も入る余地はない。蔓延している排他的思考とともに、戦争のできる世論形成に放射線を描いていることが見えないことの方が不自然ではないか?

GangstalkingやGaslighting、公安的、あるいは宗教儀式的ストーキング手法として空気中を伝播している実態は、これらの副産物であり、手段である。国外情報とを照らし合わせてみて、その共通する原理的な構造や思想や歴史的な観点から、様々に見えてくるものがある。
それに加え、現代の迫害行為コインテイルプロは、国内外で多くの証言者と、証明者が拡散しているように、迫害的弾圧行為による心理的ハラスメントとともに、軍事的電子デバイスによる身体的なハラスメントが加えられていると、海外情報にあるし、これまで示してきたものを含め、現実に存在する機器であることが、販売されている事実から見えている。

これらに示してきたことを踏まえて、我が身を囲う不自然な嫌がらせや、嫌がらせとして指摘できないほどの些細な断続的不快挙動や、前夜にとった食事メニューなどの会話をはじめ、所有物の特徴を主語を省いて、自宅前で聞こえよがしに喋るハラスメント一族や周辺関係者隣人といった、防犯監視住民層との類推が、推測と憶測を強化させていくことに、どんな不自然さがあるというのか?都合の悪い事実に触れる者たちが妄想者として、自殺動悸の不自然な自殺者や、事故といった具合に静かに蹴りあげられていくことは、コインテイルプロの歴史的証言にも散らばっている。キング牧師もそのターゲットになっていたことがよく知られているが、これは無名人であるほうがより暗躍的に都合のよいことであることも、見えてくるはずである。

                             ・

「伝えられていないことを伝えるのがジャーナリストの仕事。中でも大事なのは、攻撃されている側、被害を受けている側の立場を伝えていくことです」。

組織的なパフォーマンスはできなくとも、制約に縛られない比較的フレームの広い立場だからこそ、発信できる内容がある―

ここまでの連続がもしも今この現状の一端を下支えするものであるとしたら、一般情報発信を受け止める態度として、もうひとつの新しい視点を用いる必要がある。そうした認識力が、ネットを通して発信する無名著名問わずの一般者含む、影を照らすジャーナリストたちが少なからず見えてくるはずに思う。だから私もそうした総意から、こうした意志をもった方々の率直な態度が、愛郷的に日本を好く人々にとっては、意義深いものであるはずだと信じている。

まるで徴兵義務や強制労働的な愛国心が向かう先には何があるのかを。

Ⓒwindyjuly
※12 Jan,2008 一部加筆修正による更新

参考―
COINTELPRO
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/COINTELPRO その他多数


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構造的な矛盾― Structural contradiction

※イメージは防犯ネットワークによる監視行為の弊害的影響について問いかけるものです。防犯意識に対する批判ではありません。


今蔓延している苦痛というものは、おそらく、構造矛盾そのものであると思います。社会構造の良心的な場所と対極にある歪み。その荒んだ歪みがもたらす精神性の連鎖が、個人に対する迫害行為として、音立てずに唸り声をあげている。そう考えています。
いくら降灰に声を上げても、どれだけ呼びかけたとしても、ほとんど届かない。しかしそれもまた、当然のこととして受け止めることができたとき、もうひとつだけ、自分の中にある人間精神的なものが、諦めではない理解を生み出すに至ったことを思い出します。

EUを中心にして、人の持つ精神的な迫害気質に、立法的な対策が施されてきています。スウェーデン、オランダ、フランス、ベルギー、フィンランド、ポーランド、デンマークをはじめ、イギリスやアイルランド、イタリア、スペインなどの、立法化に至らないまでも、国会内で具体的な議論が続けられている推移があります。

これらは職場における、モラルハラスメント、モビングやブリイングといった労働者に対する精神的いやがらせなどの迫害行為を適応範囲としているものですが、日本国内では、未だ具体的な議論には発展していません。
労働安全衛生法制による、労働者に対する労働環境的な保護を使用者へ義務づけてはいますが、精神的ハラスメント実態推移の歯止めとしては不十分であることは、男女雇用均等法によるセクシャルハラスメントのような、ハラスメントに対する定義づけがなされていないことからも理解することができます。また私自身も、現実にこうした現況の一端を目撃し、そしてその矛先を隠微な形で受けてきたひとりとして、その可能性を理解しています。

こうした打開策のひとつとして、政策研究大学院大学教授 濱口桂一郎教授の「職場のいじめに対する各国立法の動き」レポート内に、人権擁護法案の制定による対策化への可能性予測が示されておりました。そこから人権擁護に関する法制を調べてみましたが、人権擁護法案そのものにおける議論も様々にあり、法制を歪曲し利益享受を目論む諸団体に対する懸念も示唆されていることなどから、今後法制化が実現したとして、その法制化が実質、本当に人権を擁護される必要のある個々人への人権を保護することのできる立法として機能するのかどうか。

いずれにしても、こうした人の持つ悪意の循環作用は、個々の企業内で留まっている性質ではないこともまた見えてくるはずです。私が社会的なネットワーク構成による迫害行為の可能性というものを、体感的周囲異変との接点として把握している根拠は、これら精神的ハラスメントに対する各国の立法的な取り組みと推移の中にも指し示すことができます。
社会的なネットワーク構成による迫害行為とは、具体的にいえば、それはトップダウン式の、軍事的規律との類型を匂わせるものです。さらにいえば、地域的なまちづくりの従事者、関係者人脈による、企業、団体、公共を含めたものとして、その形を映しだすことができるように推察しています。

現状はあまりにも、そうした証言に対する被害妄想的な印象に隔たっている、同時にそれは、癒着的構造下における犠牲排出システムであると揶揄されていることも、疑いの域を脱し始めていると思われます。こうした事実を基に推察していくことによって、その周辺背景から、歴史上における迫害史の途中に、今も生きているという認識が、被害妄想とされうる人々の実情を浮き彫りにしていくはずです。

一般社会が実害事情を認識することは、これまでに公にされてきたいくつもの問題と同様、あるいはそれ以上に困窮したものとなっている。そこで私は、社会全体に陰湿な影響を与えている現況そのものを凝視するしかない。そこには認知されていない構造矛盾による犠牲で苦痛にあえぐ方々がいることを、主観を突き放してみたときに理解しました。理解されたいと願うことは、私にとってはすでに重要な問題ではなくなっています。国内外の証言から窺うことのできる背景に目を留めていくことで、同質の苦痛証言に共感を覚えます。そうした背景から、一般生活者にとって風通しのよい社会を理想であることを承知の上で、概念化へ向けたアプローチの根を絶やしてはならないと考えています。

迫害行為と痛みは、発展的な気付きを与えてくれるものだと信じます。私には宗教観がありませんが、哲学的な概念には興味を持ってきました。それは私の母親が、宗教信者であったことがその理由のひとつとしてあります。私はこれまでに、自分が知らない部分で、この事実に対する影響との接触があったことに気が付いています。実際、母親に対する記憶は、あまり親和的なものではありません。宗教というものが、純真さを利用されうるとした意味において、争いを送出する作用を持ち得る側面を俯瞰した際、体系化された集合的な観念は、厚化粧を施した言葉にすり交わり歪曲され、欲の塊に飲み込まれていくものであることを、歴史的に、あるいは人間精神的な角度から、思想的にではなく事実から把握することができるように考えます。事実とは、犠牲者の存在のことです。

Ⓒwindyjuly―

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Dog in Flanders― Victim Nero

This borrowed the photo material and was produced. Thank you.
「Patrasche,You are tired. I am tired, too. It is very sleepy somehow…Patrasche」

「パトラッシュ、疲れただろう。ボクも疲れたんだ。
 なんだかとても眠いんだ…パトラッシュ、」

                 Dog in Flanders−from the final episode
                         フランダースの犬 最終話より


Victim Nero

幼少のころ観たあの物語を、最近再び目にした。
「限りなく他殺に近い衰弱死」。あれはどうみても自然死じゃないだろう。
あの話の激しい展開が、幼心には少々堪えたことを覚えている。
特に、拉げたチクリ男と、アロアのプチブルオヤジの剥き出しのエゴは醜い。
あまりにいたたまれなくなり、思わずブラウン管に怒鳴りつけ、親父に叩かれたことを思い出した。

彼らの連携的コミュニティハラスメントには、あいた口が塞がらない。
まさに現社会内部における、「相互監視社会体制」の弊害的側面を想起させる。
あの描写は利権構造のサナギ。
そして彼らは無慈悲なサタンのようにさえ見えてしまう。
ネロに仕掛けてくるパーソナル・アタックのえげつなさ、
現社会内部で密かに、標的にした者らをえげつなくいびり、
川に落ちた犬を蹴り飛ばすような、ネットワークストーキング行為指摘と類同する。
社会的な盲点から見過ごされ、咎められもせず、検証を交わし、
「被害妄想だ」などとはぐらかし、ほくそ笑む奴らの愚行を保護する構造と同一のものだ。

物語完結部の心情を揺さぶるものは、「彼ら」ハラスメンターたちの存在があってこそだが、
社会的利権享受者らによるパーソナルアタック(個人攻撃)や、監視密告、デマといった、エゴイスティックな奇行とともに、足元を見られ「口」を塞がれていく人々の様子が、この物語には描かれている。
嫌がらせと侮蔑で追い込まれ静かに命を消した、天使のような男児と忠犬に対する憐れみと同情。
その背景には、貧しくも人間的な優しさ持つお爺さんの存在がある。

これを現在やられている可能性を察知、あるいは検証する人々は、
このラストシーンで首を左右に振る。
同体験を知る苦しみと憐れみが、怒りの堤防を築き、涙を塞き止める、
あるいは、ほぼ完全に渇水している者もいるはず。


もしもネロの墓標に立ったとしたら、私は思わずこう語りかけてしまうに違いない。
「ネロ、どうしてあの金を拾った時、アロアと一緒に逃げなかったんだ。
それはあいつらの愚行に鉄槌を打ち付けることになりえたというのに。
脅迫だって、謝罪要求だって、何でもできたはずだ。
あれはチャンスだった、君はあの金で、絵すら描き続けることができたはず。
そんな考えが過ぎりもしない程、君は痛々しく純心だ。そして怒らない。

だけど、ネロがパトラッシュとともに横たわり、天高く昇華していくシーンに涙した人たちは、数時間後には、
もう君のことなど、すっかり忘れてしまっているんだ。
おそらく、『TV面白いのやってない、つまんない。あ〜おなか減ったよ』なんて。
だから、今だにやってるんだよ。君を静かに追い込んだあの陰湿な手口を、世界のあちこちで。
そう、モラルハラスメント。アイデンティティを破壊する、メンタリティ・サイコロジックハラスメント。
君の周囲がそうであったように、皆黙り込んでしまうのは、今も昔も変わっていない。
君を取り巻いていたあの村の人々と同じように、
物騒なことには巻き込まれたいと思う人はいない。一緒だ。」

気づけばそんな風に心情が、漏れだしているかもしれない。


それでも、あのネロが持ち続けていた、物語のみで生き続ける純真さとともに、
懐疑的な側面からの追究眼もまた、
いつまでもシラを切り続け、そしてはぐらかし続けるこの総体性には必要に思った。
そこが物語と現実との境界線になる。
嫌がらせと不快行為で人を侮蔑し続け、追い込み潰す手口が存在し、
そして、非公開技術的苦痛の誘発で身体をも斬りつけていく技術を含め、
静かに展開されているという声々に対する危機感。
そのことを咎める人たちがいつの時代も少なすぎるのは、暮らしがあるから。
あの物語は、事実を反映したフィクションであるからこそ、
現代社会で生きる人々へ未だ、頬を照らす。

ネロは中々見当たらないかもしれないが、
あの拉げたチクリ男のような老若男女なら、街のあちこちに隠れていることがわかる。
物語のように改心することのない、アロアのオヤジも同様に。
この事実が、同種の苦痛を知る方々には見えている。
陰湿に人々を殺傷する言葉と態度、モラルハラスメントの鋭利さを体感する人々には。


Ⓒwindyjuly

―冒頭の最終セリフの直前、犠牲者ネロはパトラッシュにこう語りかけていた。
「パトラッシュ、おまえ、ここを探して来てくれたんだね。ありがとう。
 わかったよ。おまえはいつまでもボクと一緒だ、そう言ってくれてるんだね」

―Victim Nero had been talking to Patrasche so immediately before that.
「Patrasche,You found this place. thank you.all right,
Together through all eternity you and me. It says so・・・」
・・・Ave Maria・・・

※The mistranslation might be included. Please read an insufficient part by your imagination.

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People who shut its mouth― 口をつぐむ世相 

「Ease is also important!」


People who shut its mouth― 口をつぐむ世相 
―Japan is a country that connives most in the worlds.
「そう。日本人、見るのうまい。でも見ていないことにする。それ世界一」
O・サンコン氏 ―経験を盗め 糸井重里著 中央公論新社より



自分が抱えている個々の諸問題を考えたときに、一方で、
自分たちを取り巻いている問題から生じるであろうその影響、
というものを頭に巡らし指摘することが、
社会への責任転嫁であるとは、どうしても思えない。

消費税が上ったから払う、などといった暮らしへの跳ね返りが単純化した問題なら、
まだこの先解決のしようがあるかもしれない。
しかし、もしもその自分たちが囲い込まれている問題そのものを、
直視せざるを得ない状況に遭遇したとき、
国、政治家、官僚、マスメディア、利権者、一般者ともに理解、認めてもらえないとしたなら。
一個人が抱え込まざるを得なくなった状況のすべてが、
そうした認められない影響に晒されている根拠を示すことができず、
サポーティングも無く自己責任として摘み取られていくかのような、
あるいは煽りたてられていくかのような現況が放置されている。

格差社会という差別社会が必要としている侮蔑意識が、本質的な問題意識を遠退けている。
構造的な矛盾に視点や論点を近づけさせないかのように、
小さな個別問題ばかりに矛先を変え、統合化に至らない。
パーソナルアタックという多数対個、個人攻撃対象を、
世論に擦り込ませ扇動している理由はそこにあるのではないか、と考えているし、また、
危機意識を配信され世に問いかけ続けている方々の言葉にも、
口ごもる世相に対する歯がゆさが揺らいでいるような感じを受けている。
口ごもる世相の流れは、矛盾の挟間で引き籠る人々の背景を個人的問題として揶揄するだけで、示そうとしない。
それぞれに抱えた事情など、それは弱さだとして短絡的にせせら笑い摘み取っていく。

そうした世相背景にあるものは、極めて内心的なものだと考えている。
思考を混乱化させる問題に頭を悩ましまた、
わざわざ物騒なことに自ら首を突っ込んでくるような人は多くいるはずがない。企業などとは異なり、個人にとって危機管理意識というものは自助的に啓発していかなければ育っていかないものであって、
それは自身含めて脆弱な面がある。

そこを踏み越えさせていくものは、
危機意識というメンタリティをきっかけとした推進力なのだと思う。
そしてそのきっかけは多くの場合、実害感という「苦痛」から生じてくるものであるとも思う。 
実害体感にしろ、察知にしろ、握りしめた水風船が膨らむかのような外圧による危機感。
そこから派生した問題意識の拡大がきっと、
個々のミッションめいたものとして、徐々に根を伸ばしていくものなのかも知れない。


水俣病や薬害被害、北朝鮮拉致問題などに人生を踏み潰された方々に、
社会問題化されるまでの道程、そして一般認識が追いついた後も纏わりつく苦悩、
その置かれた境遇や立場といったものにとらわれず察してみることから広がって、

TVフレームを飛び越し認識することのできない、
一般にはトンデモな縁遠い印象でかわされていくケムトレイル問題、気象操作、
Human Control Technologyの水面下乱用、HAARP、有害電磁波、低周波音公害、
ネットワークストーキング(Gang Stalking、Gaslighting)、
広義におけるNew World Order問題(現在陰謀説として認識)、
新世界秩序構想、新自由主義、人口の強制的削減化策、などといった繋ぎあわせを妨げ、潜在的な影響を気づかぬ形で受け続ける可能性すら知らされない、
口を閉ざした時代が腰をおろしている。

様々な問題を抱えて生きている多くの方々と同様、
既得権領域からは程遠く、壮年期を生きるひとりとして、
弊害に晒されてきた、さらされている、ひとりひとりの同種境遇を想うことによって、
自分の危機意識という空間が存在しているような気もしている。


「気楽さは大事だよね!」
そう言って通り過ぎていく見知らぬ人の残した爽やかな言葉とその余韻が、
現実感というものを、理想の基に見据えることの意味を、問い直したきっかけになった。

ℂwindyjuly

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Chemtrail― 有害物質散布への問いかけ

JUGEMテーマ:ニュース
This photograph has not been proven as chemtrail.
ケムトレイルとして断定化した写真ではありませんが、飛行機雲に類するものとして認識し提示。


Please stop scattering the poisonous substance.
有害物質を捲くのは止めてください。



12月の乾いた藤沢市上空における、ケム・トレイルの可能性がある写真。
その他数機から、同種の現象を確認。
これらが飛行機雲であったとしても、ケム・トレイルという現象認識は今や、
世界基準になりつつあると思われる。
人為的に健康を害されていることを人々が理解したとき、
おそらくだれもが皆、自分の過去を振り返ってみるに違いない。


詳細は以下、今後順次検証予定。
※あまり扱われないこの問題に危機感を察知し、配信を続ける方のブログをご参照ください。資料も多数あります。

4つの目で世の中を考える http://310inkyo.jugem.jp/



ケム・トレイル (chem trail) は、「ケミカル・トレイル(chemical trail)」の略であり、
「コン・トレイル(con trail:航跡=飛行機雲)」より派生した語。見た目は飛行機雲と大差ないが、特徴として飛行機雲より長時間残留する。本格的な雲に変化していくことが多い。
大気中に残留化学物質などが確認され、周辺地域で健康被害が報告されることがある、出現の直前に軍用機などが飛行している。

などが挙げられ、軍や政府による気象操作や細菌兵器に対するワクチン散布などの説が流布している。
世界各国で目撃例が報告されている。

引用― 
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ケム・トレイル
参考サイト― 
4つの目で世の中を考える http://310inkyo.jugem.jp/

Globalresearch http://globalresearch.ca/articles/WOR406A.html
Aerosol Operation Crimes & Cover Up http://www.carnicom.com/contrailsj.htm
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Camouflage color― 迷彩



電車に揺られていると、
向いでは学生たちが何やら話し込んでいた。
話声に始終耳を貸していたわけではなかったが、
聞こえてきたのは、どうやらクラスメートの中傷話のようだった。

「ホント、○○ってさ、役立たずだよね」
「そうそう、死んでもいいかも」
「おいおい、それ言い過ぎ」
「でもさ、役立たない奴ってさ、生きる必要ないじゃん」
「そうかな・・・○○だって、結構頑張ってるとこあるよ」
「駄目だよ、負け組は学校辞めてさっさと働け、って感じだよね」
「う〜ん・・・でも、○○ちゃん家、色々大変みたいだよ」
「○ちゃん、やけに○○の肩持つじゃん」
「そういうわけじゃ、」

そんな会話のやり取りに、私が関心を示しているうちに、
数名が下車して行き、そのうちの一人が車内に残った。
役立たずは死ねと発言していた学生だった。

学生は私と目が合うと、気まずそうに目を伏せ、
車窓の景色に視線を移した。


それにしても一体、どのような影響を受ければ、
このような陰惨な考え方と発言がでてくるのだろうか。
それに、役立たずうんぬんとする人間に対しての機械的な見識はいったい、
誰からの視点によってもたらされてくるのか。
人には様々な背景を抱えて生きる事情がある。
そうした事情など一切目もくれない世情は、精神的な柔和さを削ぎ落としていく。
相互監視意識の促進という私生活事情への介入がもたらす弊害が、
学生の会話に染み込んでいた気がする。

この国は、大勢で一個人を批判論調にカムフラージュし中傷することで、
総体的な問題から目を逸らさせているかのように、
日々見聞きする様々なニュース等からも感じてしまう。
White or Black、日本文化に根付いてきたはずのグレーなラインが、
二進法的メカニカルな思考体系を誘導しているかのように見えた。


電車を降りるとき、迷彩色の服を着た男性とすれ違った。
なんだかその瞬間、静かな戦場のように感じてしまったのは、
あの学生の会話がもたらした残像色だったのかもしれない。

Ⓒwindyjuly
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「警察官友の会だから、むこうへ行け」―ネットワークストーキングと防犯住民
JUGEMテーマ:ニュース

YouTube「Gang Stalking? Verification― ネットワークストーキングと防犯住民」※軽いです


Network stalking and crime prevention resident
ネットワークストーキングと防犯住民−


「警察官友の会だから、むこうへ行け」


敷地内にごみを投げ込まれ、門内に唾を吐き捨てられる辻堂東海岸の街を歩いていた。
「防犯ネットワーク」に関することに会話が振れ始めた矢先、
自宅から数分の細道に差し掛かると同時に、
目の前で二匹の犬を連れた男性が道にしゃがみ込んでこちらを見つめていた。

彼は二匹の犬が私にキャンキャンと吠える様を、眺めていた。
夜光による陰影のせいだろうか、薄笑いを浮かべていたようにも見えた。

通り過ぎようとすると、彼は私の顔にじろじろと視線を繋げてきた。
目があったので会釈すると男性は視線をすっと外し、犬は吠え続けていた。
失礼な人だと思い、私はその人の方へ歩み寄った。
すると彼は吠える犬を半ば強引に引っ張り離れていったため、
私は彼に何か用があるのか尋ねてみる必要があると考え、歩を進めた。

「こんばんわ」
「・・・」
「こんばんわ」
「・・・」

二回とも無表情のまま無視され、犬は尚も私に吠え続けている。
さすがに面識のない人物から、
こうした不自然な態度を続けてとられることは誰でも不快だと思う。
すると彼は自宅前で突っ立ったまま、何やらぼそぼそと呟いている。
犬の鳴き声が喧しく、聞き取れないので歩み寄った。
すると彼の口からは、

「警察官友の会だから、むこうへ行け」

そんな言葉が弾きだされた。
声は低く落ち着いてはいたが、とても高圧的な物言いと態度だった。
そんな言い方失礼じゃないですかと思った。

「いいからむこうへ行け」

まるで追い払われる野良猫みたいだ。
「警察の関係者の方ですか?私すぐ近くの者ですが、ごみ投棄されたり、いやがらせ受けて・・・」
「だったら警察へ行きなさい」

―関係者なんですよね?
「いいから向こうへ行きなさい」
そしてその後男性は延々、ぶつぶつと電話番号を口ずさみはじめた。


移り住んだこの場所で巡り合うこうした些細な出来事にも、
私の周辺現状の一端を反映しているといえる。
合法的に生きてきてもこの国では、
社会的有利な立場ある人物からの侮辱を受け続けなければならない理由とは何なのか?
これが悪性格差社会という到来の意味するところなのか?
それとももっと深い問題とのつながりがあるのか?

私はそのとき、これまでの自宅前での職質や、
匿名近隣者からの言いがかり騒音苦情の様が脳裏に映った。
公安関係者や、防犯ネットワーク関係者らなどによる迫害的弾圧を受けているとして、
発信されている方々の情報との関連性も駆け巡っていった。
それらの中には、自宅室内に侵入し、その痕跡を残していくといった、
引田天功さん宅へのガスライティング※的な工作との共通性を伺わせる証言もある。
信じがたいことだが、実は私にも心当たりがあるが、今回は割愛する。

2005年、転入後しばらくして、
国勢調査員が自宅を訪れた際、いくつかの不審点とも相まって、
今回は見送りたい旨を意思表示したときに、

「この辺の人皆アレだけど、本当にいいのね?」と薄ら笑みを残して去って行ったことを思い出した。
今回のこの出来事が、この地域で起こる特定不特定住人らによる不審現象との関連性があるのかどうか。
ただ、そうした関係者が多く住む地域であるということは認識している。
昨年の12月には、自宅前で職務質問をされている。

しかしそうした証言者たちの指摘が事実だったとしたところで、
庶民には何ができるのか。

Ⓒwindyjuly

※99年、引田天功さん宅に何者かが侵入し、室内の置物を動かしたり持ち去ってみては、また戻したり、一方的に話す電話や無言電話が何度も続いていたとのストーキング的な事件報道で垣間見られた、心理的バグを生じさせ、混乱化を誘う工作手法として、国内外で認識されている。Gaslighting

参考読売新聞99/06/18


YouTube「Gang Stalking? Verification― ネットワークストーキングと防犯住民」※軽いです
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現実感 ―Schema

2005年12月2日18:27受信
■関西地区葬儀社から誤送信FAX ―室内会話が数点反映
<偶然過多な不審点>
FAXに記された宛名が、その朝会話中に触れた知人と同一姓だった点(カタカナ)
当日朝室内でおどけて、「関西弁」を口真似て会話していた。
その日の夕刻、「関西」から誤送信FAXされた点。
I埒海忙廚ぁ∩魑啓劼北笋す腓錣擦燭箸海蹇◆嵜甘たりが無い」との弁。
NTTへ連絡し、「関西」から「藤沢市」への誤送信FAXについて問い合わせたが、
「通常はありえない」とのこと。※送信先も着信番号も印字された場所とは異なる点
ジ気料信先市街地局番が「0727」。藤沢市は「0466」。
番号の単純な打ち間違いだとは考えにくい。
Α歹団蠍朕佑亡悗錣訃霾鵑里燭甬入見送り−等々から、人為性悪意の観点を意識。
自宅周辺における各種異変が露骨化してきた時期※とも交差。
以上の不審点が当時の記録から伺える。
※例えば、表札が出ているのにもかかわらず、私の友人の姓を訪ねてきたりするといったことなどが、
それとなく目立ち始めていた時期。

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現実感―Schema

人の現実感を形成しているのは、知識という流動的であいまいなもの。
昨日までは「AからC」までの知識をもとにして、身の回りの出来事を捉えてきた。
しかし翌日には、「AからC」そこから更に先にある「DからE」までの知識を得たことで、
「AからE」まで拡大した、知識の集合によるものの見方が、
現状に対する認識の変化を促していく。
ある日には、「AからE」のうちの、「B」に矛盾を感じて差っ引いてみては、
再び戻してみたりする。
そして、「E」から先にあるものが、再びその総体的な認識をより強固にしていく―

つまり、そんな知識咀嚼の繰り返しというものが、その人固有の、
ばらつきのある現実感を形作っていくということをあらためて思い返してみれば、
昨日までは存在するはずは無いと思い込んでいたものが、
ある物事を知ることによって、以前から実は存在していたけれど、
それまでの自分には単に見えないでいただけに過ぎなかった、
ということに対する理解も、押し付けではないことがわかるはずで、

心理的に人を追い込み、悪びれずにはぐらかしていくといった、
利権延命的に歪曲された秩序の実態、
ここに暮らす一般者の、現状認識を様々に分け隔たせているものもまた同様に、
実感や体感に対する主観、客観的な情報による裏付けをもった認知、
スキーマに他ならない。


戦争で突然家族をすべて失ったイラクの男性が、
日本取材班の現地インタビューの中で、
浅い溜息のように吐きだした言葉が頭を過ぎる。
「この世の中で起きうるすべての不幸は、いつ自分の身に振りかかってきても不思議じゃないことがわかった」

地下鉄サリン宗教テロ事件の日本人被害者の女性が声を震わせながら、
米国メディア制作番組の中で語っていたこと、
「TVの中の出来事は、これまではすべて他人事でした」

自身の現実感というものが、何を根拠にして形成されているのか、きたのかを、
速やかに見つめなおして見る必要があることを、
この一連の不快な実態調査を続けていく過程で改めて感じている。
安穏さの中ですっかり退化した本能を揺り起こして、そして、
危機的な状況を直感的に感じ取るためには、
実害感によるスキーマの新陳代謝がなければならないのか?

Ⓒwindyjuly

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MK ULTRA and COINTELPRO ―現代に巣食う、社会的いやがらせとの接点

Eleanor White 


 "Psycho electronic Mind control"とは24時間、自宅またはコミュニティーの中で暮らしている無実の市民に対して、秘密裏に成されるハラスメントを指します。
 それは今、世界規模で拡大しています
このいやがらせは歴史的に有名なMKウルトラ計画とCOINTELPROから派生し、それを洗練させたものです。
 前者の犠牲者は施設に閉じ込められ、拷問を受け、後者の犠牲者はストーキングされ
、自宅と会社に侵入され、家財道具を破壊され、当人に纏わる悪い評判をたてられました。そして今では先進の電子技術がターゲット化された一般市民の心と体を密かに制御しています。それは検出することができず、最高の電磁シールドをも透過します。
 今日の"Mind contorol project"はより巧妙なものになっていて、ターゲットが犯罪を訴えようとすると、精神病者のレッテルを張られます。家財道具の窃盗と破壊は常に警察が調査できない程度の低い水準に抑えられています。警察はいつも精神医に「助け」を求めるよう言ってきます。こういったハラスメントを行うための技術は驚くほど水準の高いものです。
  Mind controlによって心身に引き起こされた症状は実際の身体的、精神的な病気の症状に似ているけれどもそれは明らかに人工的な症状です。直接経験すればいやでも理解することになります。

Eleanor White エレノア・ホワイト 2003年10月8日
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身近ないやがらせが、まさか?

この文書に目を通したのは今から数年前。
当時はまだ、社会的な悪意という総体的な証言を、懐疑的、あるいはさして気にも留めないカルトティックで、非現実的なものとして認知していた。
それは例えれば、自分の暮らしとは適当な距離があって、そこに残忍性を想像するも実害感を得ることのない、動物実験や戦争、そして身近な微犯罪といったものにすら、実感を遮る壁が立ちはだかっているようなものだともいえる。人間の精神と肉体とを分け隔てている皮膚感覚のような壁面に触れ、生ぬるい風のように見えなくなっていく。

それから数年の月日が流れ、ある日から目立ち始めた敷地内に散らばる紙屑、葬儀社からのFAX、一部特定近隣による不審挙動散見などといった事象との巡りあわせに至る。先だっては、朝、シャボン玉のような唾の塊が門内に吐き捨てられていた。
米自衛機やヘリは頭上で断続的に騒がしく、周囲は無償防音工事、新築改築に忙しい。救急車両のサイレンは喧騒に紛れ込む。
静観だったはずの住環境は日々粗悪化してきた記録が、周辺事情とともに事実を語ろうとする。そこに意味を持たせるものは、過去に歴史に遡れば映しだされてくる実態と人々が紡ぐ証言。
それは現在進行形で歩みを続ける、人々の邪念であることすらはぐらかす私利私欲の時代の闊歩。
電磁波過敏症のような症状に身を揺さぶられながら、手で遮ると一時的に緩和する磁気的な振動感、左足踵をとらえ続けるピンポイント鋭痛などとの不快感は、文字の羅列のみではとても伝えようのないこれまでの感慨でもある。社会的な容認が成されない以上、かつての北朝鮮拉致被害者の苦悩と同様、実害は立証されずに棄却され続けて行く。

今では遠隔から生体に痛撃を与えることのできるいくつかの機器に関する情報も拡散しており、それらは現に、マーケットで入手可能なものでもあるため、
本来ならば、早急な法整備を必要とするはずが、
一向にその気配すら漂っていない無口な社会に、異様な不気味さを感じてもいる。
神経症的な症状を誘発させる、
ある利権につながった人々による迫害工作の実態に対する実態が、
幾多の猜疑心を搔き分けてきた中で、それらを否定する理由を見失いつつある。
すなわちそれは、ネットワーク網で紡がれたGangStalkingであり、Gaslightingと呼称されるPsychological Harassmentである。

これまでも、これからも、一体どれだけの人々が、この無慈悲で悪徳な環境化に放り込まれていくのか。
とても推察のみでは推し量ることのできない蠢きが、国内外から聞こえてくる。
嘘で塗り固められた紳士たちとその血族的社会、
その重たい扉を開ける鍵はもう役に立たないのかもしれない。
その鍵さえどこにあるのかもわからない、誰もみつけられずにいる。
しかも鍵穴はすでに錆びついていて、
それはもう抉じ開ける手立ての模索しか方法はないのかもしれない。

―Who opens it?

Ⓒwindyjuly


http://www.multistalkervictims.org/
http://en.wikipedia.org/wiki/Mkultra
http://en.wikipedia.org/wiki/Gaslighting
http://www.bugsweeps.com/info/electronic_harassment.html Electronic Harassment Information -
http://310inkyo.jugem.jp/?eid=150 4つの目で世の中を考える
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/stmore/Mind_Control_Minute4.htm


参考資料―生体実験の歴史的認識 

1953年 MK−ウルトラ(MK-ULTRA)  
薬物・電子チップ・電気ショックを使い暗示によるプログラミングを行なう。
1958年 プロジェクト・ムーンストラック(ProjectMoonstruck)
手術または誘拐して密かに、電磁波を出すチップを脳と歯に埋め込む。 
目的:追跡、マインドコントロール、行動コントロール、プログラミング、秘密工作
1958年 プロジェクト・オリオン(Project Orion)  
亡命した大物など最重要人物の事情聴取を行なう際、薬物・催眠術・脳電気刺激によって、プログラミング・忠誠心の確保を行なう。
1960年 MK−デルタ(MK-DELTA)  
微調整された電磁波によるサブリミナル・プログラミング。一般人の行動や態度をプログラムする。疲労感、気分のむら、行動機能不全、社会的犯罪行為をもたらす。
1983年 フェニックス2(PHOENIX II)  
モントークにて実験。電磁波を使って特定集団を標的とする。彼らを使ってさらに大衆をプログラミング。また、特定の地域に地震を起こすこともできる。
1989年 トライデント(TRIDENT)
三機編隊の黒いヘリコプターによって、個人・特定国民を対象とし、大集団の管理と行動統制、暴動統制を行なう。連邦緊急時管理庁(FEMA=フィーマ)と協力。
1990年 RFメディア(RF MEDIA)
テレビやラジオを通したコミュニケーションによって、電磁波を使ったアメリカ国民へのサブリミナル暗示とプログラミング。行動欲求を操作して、心霊能力を破壊。集団的電磁波コントロールの準備過程とされる。
1990年 タワー(TOWER)
携帯電話網を使って、電磁波による全国的サブリミナルプログラミングと暗示。神経の強震とコード化された情報によって、神経細胞の変化とDNA共振の修正等の抑制を行なう。
1995年 HAARP(HAARP)
電磁波による一般大衆コントロール。集団的に行動を変えさせる。


http:// none− Mr.Fukusima siteより引用


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Sound of the Siren ―誰にとっての安全と安心なのか?―



YouTube 「Sound of the Siren ―安全で安心な街から―」
http://jp.youtube.com/watch?v=hj3PNt7DGRE
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Wha't is this? ―不定愁訴と痛撃機器類




Poster ver(PDF※少し重め)
http://www.socialstalking.net/pdf/whatisthis.pdf
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Harassments NEWS Japan―ごみ投げ込みで逮捕


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What is the anchoring? ―アンカリングとは何か

YouTube Video-「What is the anchoring?アンカリングとは何か―」
http://jp.youtube.com/watch?v=OhIO0BuPGxM





アンカリングとは、NLP(神経言語プログラミング:Neuro-Linguistic Programming)の技法による、心理的な条件付けである。

これらは主に、自己啓発的理論として実践されているが、
対象者への心理的ダメージを前提にした場合におけるアンカリング手法は、
これらの理論を反転させ、ネガティブな記憶想起へと誘引させようとする。


日常的にありふれた特定行為を対象者周囲で散発させ、
監視を示唆するような紛らわしい挙動とによって、
対象者自身に警戒感を植え付けていくとされる。

それら特徴的な挙動やふるまい、態度に含みを持たせ、
対象者周囲で拡散、不快さを誘発させることにより、

不審さを抱きはじめた対象者は、一般者の無警戒な反応とは対照的に、
ありきたりな日常的現象等の変化に対し、
ナーバスな反応を示してしまうことが確認されている。

そうした外因刺激による、警戒感を持たざるを得ない環境の下で、
妄想的性質と一致した自覚認識が、
証言内容に妄想性ともとれる証言をもたらす要因になり得ているのではと推測する。

これらの反応は、意図的な悪意に起因し誘発された、
健常者としての正常な心理的反応であるとする主張に、
不自然さは無いことがわかる。

そうした個々の警戒的証言に至る背景や、
事実関係に対する留意希薄な社会的対応が、
証言そのものを内因的な問題だとして断定化してしまう傾向と、
実態があることは否めない。

被害妄想や迫害妄想、統合失調症といった、
精神医学的見地からの診断に対して、
こうした個々を取り巻く周辺環境的な検証への強化は、
事実誤認に対する予防線を張ることにもなり得るはずである。

標的者を取り囲み心理的抑圧行為を行うとされる者たちは対象者周囲で、
嗚咽や咳き込み、くしゃみ、高笑いといったノイズ行為などを、
意図的に強調して執拗に行うことが、各国に共通した証言として知られている。
しかしそれらの行為は、あまりにも日常的なものであるために、
誰が悪意を持って行っているかどうかの線引きは、
主観的感覚に委ねざるを得ないため、その根拠を示すことは難しい。

そのような見分けの困難な性質を隠れ蓑として、
ハラスメント対象者への挑発や侮蔑を込めた態度を紛れ込ませ示すことで、
それらを職場や生活環境圏で日常的に受け続けた対象者は、次第に憔悴し、
不快さと警戒感を意識せざるを得ない心理的環境が構築されていくことになる。

フランス精神科医による著作「モラル・ハラスメント」による、
精神的いやがらせを繰り返す、モラル・ハラスメント加害者としての性質、特徴と、
迫害的気質者との性質が一致していることがわかる。

偶発的な性質を利用し、ありふれた日常的態度の中に悪意をしのばせ、
対象者がそれらを指摘した際には、気のせいだ、考えすぎだとして、
はぐらかされてしまう、巧妙な手法である。


現在までのところ、比較的有効と思われる対処としては、
それら挙動の散見などに主観をもった解釈をせず、
それでも不審さを拭えない事象に対しては、
記録化に留意していくといった客観的な意識づけからのアプローチなどにより、
精神的な均衡性を図っていくことなどが挙げられる。
ハラスメント行為としての悪意を気に留めず、受け流せていければ良いが、
自覚してしまった以上、彼らの作為を無視し続けていこうとする反応自体にも、
精神的な抑圧をかけていく側面があるため、
そうした自助的な取り組みもまた、心理的な負担緩和につながると考える。


統計学的な証拠の提示が有効だとされる声もあるが、
社会問題としての位置づけがなされない限り、
先進国自殺率第一位の順位を下げることは難しいかもしれない―

※参考:図録ー自殺率の国際間比較/・・・others



面識もない他人から受けるこれら不快で執拗なふるまいは、
現在法律で取り締まることはできない、
精神的な残虐性の放任であると主張したいー


movieキャプションから、一部加筆
Ⓒwindyjuly
e-mail: julywings●gmail.com  (●=@)





彼らはそれらの行為が、他人を不幸にすることを知っている。

―They know those acts make others unhappy.

JUGEMテーマ:健康


YouTube Video―  Appeal at midnight―深夜の訴え
http://jp.youtube.com/watch?v=fxl9xRRWPRA

YouTube Video「騒がしい空」―The noisy sky
http://jp.youtube.com/watch?v=axNmDWWDUPA
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Appeal at midnight―深夜の訴え

Documentary Video―  Appeal at midnight―深夜の訴え
http://jp.youtube.com/watch?v=fxl9xRRWPRA



メンタリティハラスメント―匿名近隣者による通報歴(プライバシーの侵害) 
2006年12月12日
2007年2月9日
2007年2月13日
2007年10月30日
2007年10月31日


2006年12月12日夜
自宅から数メートル程の所を歩行中、三名の警官から職務質問。
懐中電灯を持って歩く怪しい男がいると、通報を受けたとのこと。
私は連れと待ち合わせていた場所へと向かう最中だった。

2007年 2月 9日夜
ポストには、警官が投かんした近隣者による苦情の代筆書面。
夜半過ぎ、再度警官が訪問、注意を促される。

2007年 2月13日夜
苦情から四日後、敷地内をうろうろし、私の名を呼び続け、
ドアを叩いていたのは警官だった。
自宅前を通りがかったら何か音がしたから、というのが訪問理由で、
ドア越しのやり取りの中で、戸別訪問だともいい、私に質問を始めた。

2007年10月30日夜
この日、警官が訪問した理由は、
近隣者からの騒音苦情を受けてとのことだった。
その数時間後の深夜、再び二人の警官が、近隣からの苦情を受けて姿を現したのは、
2007年10月31日

※これらで直接訪問された警官の方々は、
一部の不審点を省けば、基本的に紳士的な方々であったことを追記しておく。



「生活安全条例と防犯ネットワークの私的乱用」

こうした経緯から耐えかねて、プライバシーを侵害する執拗な匿名通報者を、
私はその夜、公然と問い詰めた。
私は周囲への配慮を踏み越え、自分の主張を吐露した。
無論周りは見えていたし、証拠の残る形でのいやがらせを確認するに至るまで、
日本人の多くがそうであるように、近隣者への配慮を無意識的に持って暮らしてきたし、今でも基本的なスタンスは変わっていない。

ネットワークストーキングの問題を調べていけば、
必然的に目に触れるのは、
被害を訴えるならばその基準を示し、計測で根拠を示せ、
それでなければ精神的な問題だとする声が、
ネットワークストーキング主張者へ、
ぶつけられている様子を伺うことができる。

しかし、自分たちのネットワーク内ではそれらを必要としないかのように、
一方的に通報してしまえる集団的有力性コネクションに属していれさえすれば、
目を付けた個人に対して、口裏を合わせ、数のみを根拠に通報していく道筋を得ていく。それだから、パーソナルアタックという合法的個人攻撃の実際を、
暗黙のうちに推進させていけるのだろう。

これらを根拠づけた推察として、生活安全条例による防犯ネットワークといった、
法律知識の薄弱な自警団的住民による、監視行為の弊害がすでに指摘されてきている。
つまり、プライバシーの侵害、委託権限の私的乱用に対する懸念。
明大教授氏からも数年前から、こうした乱用懸念を示唆されてきているし、
その他には、斉藤貴男氏による「不屈のために」という書籍等においても、
監視社会の弊害的作用についての言及がある。


「執拗な通報と横のつながり」

自宅から数分のところを懐中電灯を持って、
連れとの待ち合わせ先に向かって歩いていれば、
匿名有力隣人から通報され、自宅前にもかかわらず三名の警官に囲まれて、
身体検査と免許証の提示、そして個人情報を求められる。

夜外出時にハンドライトを持つ必要があったのは、
私のサイドを猛スピードで走り去っていく車両や、
日曜日の夜半にも関わらず、
蛇行運転で真横を通過していく郵便局の配達バイク他、
住宅街の細道とは思えない暴走車両などと、
やたらと頻繁に遭遇するようになっていたからだった。
一度は、私の来ていたコートをサイドミラーが軽くかすめていったことさえあったが、
当時の無警戒な状態も手伝って、
暗がりで拉げたナンバープレートを読み取ることができなかった。


私はこの場に示すまでもなく、これまで合法的に生活者してきて前科なども無い。
政治活動や、もちろん国家転覆を狙うかのようなテロ工作活動などもしたことがない。
それが気づけば玄関先に紙屑やゴミ片がばら撒かれるようになり、
不審なFAXや郵便物の開封など、挙げだせばきりのない匿名迷惑行為が、
自身の生活圏内において目立つようになっていった実情がある。

こんな人物に目をつけるかのごとく、
これまで執拗にメンタリティハラスメント挙動を繰り返してきた、
地元有力者層をはじめとする、前述の静かなネットワークが、
私の周囲に取り巻く、横のつながりがあることをここに示しておきたい。

そうした背景のもと、
室内で流す「音」がいくらか「漏れている」程度のことで、
勝手に迷惑だと過剰反応しているだけで、再三に渡り警察を呼びつける。
それこそ、「被害妄想」じゃないのか。
匿名通報者が耳障りなのは、そのボリュームでないことは、
これまで周囲での深夜宴会に対する無反応や、
転居当時、近隣者宅からほぼ終日流れ出ていた、
時に、ガソリンスタンド並の音楽への無対応などからも理解することができる。
彼らに対する挑発も侵害も、誹謗中傷も一切私はしていなかった。
逆にそれらは、一方的な彼らからのふるまいであったことは、
記録的に提示することができる。

実際は、私の自室から漏れる音に対するクレームではなく、
ネットワークストーキングに関する情報や、
彼ら自身の不快なふるまい記録を含んだBGMが、
私の敷地内で暴音レベルにないボリュームを耳障りだとして通報したのだろう。
ウーハーなどを使用して、ドカドカと誇張しているものでもない。
明らかなプライバシー領域への干渉である。
正当に論駁できるはずはない。
それは彼ら自身が散々行ってきた自らの行為を、
「鏡」で見せつけられてしまうことになるからだ。

プライバシーへの干渉行為を、自ら露呈させ示すことを回避させるべく、
自分たちの行為を示す内容には一切言及せず、「音のボリューム」として置き換え誇張した、偽善的な通報であると、解釈している。
つまり、自身の迷惑行為すら、対象者に擦り付け、
自らは依然、社会的な立場を保とうとする浅ましさがちらついている。
マリー氏が示す、モラルハラスメント気質者の性質と特徴が、
こうにも一致し該当するものかとも思う。

不快だからといって、基準も実害根拠も示さず、
「ただ迷惑だ」と口裏を合わせた抽象的主観にのみ委ね、
被害として通報するのならば、
それこそが「被害妄想」であり、「プライバシーの干渉」なのではないかと考える。
激昂を抑えてここに心境を記せば、
自分たちが以前、固有名詞を省き、
ニヤツキながら自宅前で言い放ってきたその言葉を、
そのまま玄関先に置いておきたいくらいである。


おそらく彼らにとっては、通報した既成事実が重要なのだろう。
社会的にはその事実が何よりもの「証明」として、
事が起きた際に、世論へ示すことができるからだ。

「再三の注意によっても改善されなかったため、やむを得ず逮捕―」
こんなニュースが最近どこかであったことを思い出している。
奈良での騒音問題も頭をかすめていった。

明らかに私は、干渉過多な気質者にプライバシーを侵害されている。
そのことは今回、これら一連の通報歴によっても、
彼らの性質を示すことになりえると確信する。

配慮を前提としたスタンスにおいて、
周囲への配慮をどうしても越えなけらばならない時が、
そうせざるを得ないその人その人の状況というものが、
誰にでもあるのではないか。

そうした経緯において蓄積されてきた心情の一端、その吐露が、その晩、
声を押し殺せずにいられなかった理由だった。

Ⓒwindyjuly
e-mail: julywings●gmail.com  (●=@)


Documentary Video 「騒がしい空」―The noisy sky
http://jp.youtube.com/watch?v=axNmDWWDUPA

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Conversation in front of home ― 「Has that died? Did you kill again?」

>市街を歩行中、闇空のサーチライトは私の足元をかすめ照らしていった
Movie 騒がしい空―The noisy sky
http://video.google.com/videoplay?docid=3644835952031512964


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Conversation in front of home ― 「Has that died? Did you kill again?」
自宅前での会話 「死んだの?また殺しちゃったのね?」



去る10月10日の朝方。
自宅前でのある会話が記録に残っていた。
無論、これをもって「実害だ!」と訴えるわけではない。
これまでの周辺各情報収集の経緯から蓄積された知識を組みあげ、
そうした仮説を前提に踏まえてみれば必然的に、
それはGang Stalking層の計略にはまり込むことを示す推察に落ち着く。

いくらなんでも不謹慎ではないだろうか―
「死んだの?また殺しちゃったのね?ハハハ」

この言葉の前後、そしてこの言葉から広がる裾野や背景というものを、
当事者以外が知らないのは当然だが、
この言葉の前に、蝿でも蚊でも、ゴキブリとでもつけさえすれば、
いくらでも真意をはぐらかし、言い逃れることも可能だということがわかる。
この点を彼らはしっかり押さえているから、
非合法性的な一般社会指摘から距離を置くことができるのだ。
道徳観、倫理観すらもたくみに悪意に取り込んで、
「あら、そんなつもりはないですよ」と。

いい大人、しかも社会的に有力な立場を有している方の、戸外における会話である。
私はこの一点、言葉じりを捕らえて指摘しているのではない。
この実態、これまでの周辺背景、
経緯を指し示す必要性がこの一点に存在しているのではないかと、
苦痛に苛まれ、原因を探し続ける人々に伝えたいと思っているだけだ。

なぜ、何十年もありきたりにやり過ごしてきた現象に対し、
不快感とともに他意性を意識する人々が蔓延し始めているのか?
精神的疾患という狭義に箱詰めされ、
そこに押し込められてしまえば処理できる問題ではなく、

これが、人間であれば正常な反応の末に形成されていく心身的呼応性質であることを、
未だ実害感のない人、そしてリアルな実害に囲い込まれている人々へ伝えようと考えた。

こうした人間心理を、主体思想の基に肯定する存在が、
この国内の人々の、まさか、という「懐疑心」の中に姿を隠していることを、
そして日々、犠牲者が連なっていることを、もう一歩突っ込んで知り得なければならないと、国内自殺者の統計表を見据えながらもそう思う。
この世に生き残る人々は、この推移をどう感じ捉えるだろうか?

精神的な疾患でも、被害妄想でもなく、それを否定する根拠は、
いやがらせの実態蔓延とその物証、
そうした指摘に誘導していこうとする者たちの、横のつながり、
そして論理的矛盾とによって示すことができる。

その論拠に対して、
一般者に最終的に立ちはだかるのものは、有力構造層の盾である。
利権構造としての障壁である、と言い換えてもいい。特権層の壁。
彼らにとって、自分たちの矛盾を示す者は、その論理整合性などどうでもいいのだ。
それをどうでもいいとすることができるだけの、
一般層が持ち合わせてはいない力を誇示するかのように。


このGangStalking指摘を調べていけば、
必然的にカルトストーキングネットワークに接触することになる。
そう、フランスなどではカルト団体として認識されている宗教法人他、諸団体。
これだけの指摘が溢れているなか、公然と彼らは、
それらを否定する見解を示しているのだろうか?
指摘には更なるいやがらせで対応している様子が、人々の声から届いてくるし、
周囲ではそれら証言と、無為同質のメンタリティハラスメントが転がっている。

ある国が拉致問題に対してそうしてきたように、
無反応に徹しているだけで、それは実は、無視というはぐらかしなのではないのか?
証拠を残さず痛撃を与えることのできる、低周波・高周波、レーザー、メーザー、
音波、電波、電磁波といった電磁気的、痛撃転用可能技術機材が流出しており、
隠し持っているとする指摘や憶測は様々に飛び交っている。
それら大衆の憶測を支えているものは、
それだけの組織力、資金力、そして折伏といった手法による強制マインドコントロール、攻撃的な大勢やその歴史的俯瞰に基づいているのではないか。
個敵に狙いを定め、集団的な組織力の統一化を図る。
しかしこのことは、在日特権や同和問題といった半ばタブー視された領域にあるためか、わざわざ平穏な生活者が突っつくことはないことは自明の理である。
指摘は差別ではなく、矛盾点に対する違和感である。
そして一部のジャーナリスト有志は、ここに問題の根があると指先を向けている。
公開情報内でもがき続ける人々に彼らは、
ほのめかしではなく、「問いへのヒント」を投げかけてくれている。

話を身辺に戻すが、
この嫌悪感を巧みにはぐらかしつつも投げつけてくる一家をはじめとする、
一部の利権ネットワーク住民から、
これまでにもさまざまな形で精神的な被害を受けてきたこと。
いつでもその確証を公開するいくつかの準備を済ませることができた。
私は何ひとつ、彼らに対する侵害行為も、侮辱行為も、迷惑行為もしていなかったと断言する。
そんな経緯の中、心理的に憔悴から脱したある日を境にして、
私の身体や頭部は、苦痛にさらされている自覚がある。

それは世間的既知のものから例えていえば、
電磁波過敏症や、低周波振動的な不快感として示すことができるだろう。
不定愁訴感、これらがもし生体自然発生的な病状であったとするならば、
どうしてその前後に、いやがらせが行われてきたというのだろうか?
これが病気なら、
なぜゴミ屑を投げ入れる者や、
ポストを覗き込む輩などの行為が記録に残るのか?
なぜ、面識もない一部の者が玄関先の柵に腕をかけて、嗚咽を繰り返す記録が残るのか?
これが、インターネットで表層化し明らかになった、
この国に巣食う社会精神的構造、その一端なのか?

証拠の残らず、身体に痛撃を与える技術がまるで存在するかのように。
まるでそれは、軍需技術の民間漏えいと利権享受のように。
まるで、情報格差の基に広がる優越感のように。

誹謗中傷、嘲笑、そしてほのめかし。
私の人生は確実に縮められている、
そうした可能性を示す根拠をばらまき続けていくしか、道筋はないようだ。
歪められてきた短からぬ時間を、気のせいで受け流してしまうのではなく、
物証をもって正常な心理的な反応であることを示すことは、
それを頭から否定してやろうといった、
意固地で計略的意図を持たない柔軟な方々に対してであれば、
いくらでも同意を受けることができることは実証済みだ。

私自身もいつの日か、彼ら人脈によって、
ある日の苦痛に苛まれ、弾きだされた言質をもとに、
あらかじめ計略化されたシナリオの中で、
迷惑者や犯罪者などとして、
でっちあげられた事態に誘導される可能性があることも、
少なからぬ助言や証言からも理解している。
現実に数度、そのうような状況に囲い込まれたこともあり、その矛盾した記録も残っている。
この街の住人の多くもまた、生活安全条例による防犯ネットワーク構成的なつながりがある。
その構成員には、宗教関係者もいれば、在日層などもいることがわかっている。
そして公安による活動費を土壌、背景にして、
そこに利権という沼に手を突っ込む人々がいることは、推察だが見えてきてはいる。

これらネットワークは本来、
非合法的な人物に対する犯罪抑止の観点から構成されることが建前にあっても、
実害無き一般者には、この私的悪用に対する理解も興味も派生しない現況がある。
このことは、歴史的な背景からも読み取れる。

自宅前で「死んじゃったの?また殺しちゃったの?」などと会話をはじめる人物も、
カルトに高笑い騒ぎ立てる輩も、
そうした横の繋がり、ストーキングネットワーク構造にしっかりと根付く、
地元の有力者であるし、
彼らが人々のプライベートを弄んでいる根拠を示すこともできる。
時に不快感をありきたりで日常的な態度を誇張することで、
一般者にさとられることなく示し、
狙い澄まし条件づけた相手の反応を、
「合法的残虐性」のもとで、口元を歪ませている。

時に、blogの記載内容から、
私の反応パターンを読みとって、メンタリティハラスメントに反映させていく。
違和感の残った突発的工事を試しに記録に示してみれば、読み通り、
数日後、彼らの玄関先では騒音工事がはじまり、
http://silentbellwindy.blogspot.com/2007/10/unnatural-point-to-have-caused-doubt.html
一か月前に行っていた全く同じ場所で、なぜか再び水道工事がはじまるといった、
懐疑的に受け止めざるを得ない環境を構築しておきつつ、違和感を誘導派生させ、
「被害自覚」の強化を目論み、統合失調症、被害妄想者として陥らせていく、
といった手合いが構成されていく。

このネットワークストーキングに対する世論への危惧伝達を、
スポンサーに回収されて身動きの取れない高給マスコミ人員には期待できないことを理解し、さまざまな人々が、苦痛と揶揄に取り囲まれて、
時に自身のプライベートをネタとしてメディアに売り込まれ、侮辱受けながら続けている。
そしてその過程における障害としての、精神医学的な介入。
これは精神医学を否定するのではなく、
不快感自覚証言者の周辺実態の検証の希薄さをもって、障害であると指摘するものであり、さらなる発展性を阻害する意見ではないことを付け加えておきたい。

やはりネットでの情報は、リアルな影響を及ぼさないのではないか、そう嘆いた友もいる。それでも具体化していく方法を諦めずに、と言ったら、再び彼は苦笑いを取り戻した。

ここで記す内容はすべて、実態はさておき、本来この情報を必要としていない人々と、
そして迫害苦痛に苛まれ、方向感を失った人々に示すものである。
迫害妄想と、迫害行為の意味を混同することなく、実態を知り、
それら心理的工作等による実害を認識し、主張を示す方々の志に共振したものである。
blogやサイトを構成し、更新を続ける人々への呼応である。

そうした人々が邪険にされ、主張をネット内にのみ押し込められ、
社会的支援を受けられていない現状の放任こそが、
迫害作用の一端を示していると、私は思うようになった。

自分自身が抱える問題と、自身を囲い込む問題との狭間でもがく人々へ。
迫害行為者、及び特権意識で満たされ、
他者を見下すような精神性を形成し、
野放しにして嘲笑う者のすべては関心の外にある。

それでしつこくもつきまとってくる者たちを、国内外では何と呼ばれているか?


                              Ⓒwindyjuly

実際の動画(音声)ファイル―
http://video.google.com/videoplay?docid=8790288201917979012
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ご質問―いやがらせに困っています
ご質問
精神的な嫌がらせをされて困ってます。
仕事中人の顔を見て咳きこんできたり
私の趣味の話をしながら中傷してきたりする方がいて、
嫌な顔すると少し嬉しそうにしてるんです。
どうすればいいのかわかりません。


最近、こうした人々が指摘され始めるようになりました。
これは、モラル・ハラスメントとやブリングと呼ばれる、
心理的でしたたかに人を追い詰める嫌がらせとして知られています。
こうしたハラスメントに対して、
ヨーロッパなどでは立法的な取り組みが図られてきておりますが、
国内では叩き台にすら上がっていないようです。
むしろ、こうした嫌がらせを訴えていても、
被害妄想的な症状として受け流されていくとする報告が多くみられます。

私自身も周囲からの陰湿な計らいの一端を目撃し、記録化し納めてきた者ですから、
こうした嫌がらせ気質者の存在は、痛切にかつ肯定的に認識してきております。

おそらく、陰湿な嫌がらせを行ってくる方というのは、サディスティックな性的傾倒があると推測されます。それは、同意もないのに(非マゾヒスト者)に対してであっても、拘束的な束縛を要求し、他者の意見を排除する傾向にあり、止めてほしいという意思表示をしたとしても、それはむしろ、前者の欲求を刺激してしまう傾向にあることが、フロイドや、マリー氏などからみえる、加害行為者に対する精神分析的な文献などからも、推察を束ねることができるように考えてきております。
独裁者気質といいますか、ナチズムへ通ずる権力論への繋がりや、拷問史といったサディスティックな精神的史実からも、接点を観ることができる可能性がありそうです。

しかしこの部分は、支配論へとも進路を向けるものでもありますので、十分な研究も必要になってくるかもしれません。

いずれにしても、意思表示をしても、精神的な嫌がらせ行為を止めない、例えて言えば、口から飛びだす鞭でこっそり叩きながらも、叩いてなんていないだろ、といったはぐらかし意識や、誹謗や中傷で、人を密かに甚振る精神的な気質にも、こうしたサディスティックな性的な傾倒が人格から表出しているともいえるかも知れません。

ここで述べてきたサディスティックな性的傾倒に対する問題は、
社会的環境から受けたストレスや、潜在的な欲求に対する深層的な抑圧が、
増長させていった精神性であるともいえると思いますが、

こうした気質を社会や社内で、野放しにしていては、それを受ける良識な方々はたまったものではありません。打つのも打たれるのも趣味ではないのに、サディズムの過度の膨張が物語るのは、あなたが受けている精神的嫌がらせとして、有形化しつつある社会的な問題として、今後一層の社会的議論が必要と思う一人です。

良識者への悪害をもたらすサディズム気質を、立法的に縛りつけることは、更なる抑圧を与えてしまう可能性もありますが、精神的な嫌がらせを、個人に対して行っているとした報告がある以上は、これらの問題を遊び半分で扱うべきではなく、こうした「透明な鞭」を規制する必要があるはずだと考えております。


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ブライティングシーン(Brighting scene)
照度の高い光の点滅や、パッシングなどによって、標的者周囲を挑発するとされるシーン例。



ご質問
近所の一部の方々に、私の行動に合わせて大きな音を立てたりする人がいます。
子供の送り迎えの際にも、ものすごい形相で布団を叩きながら睨んでくる
おばさんもいて、困っています。同じ問題に悩む人も多くいましたが、
何とかなりませんでしょうか。



単純に精神的いやがらせ気質者が、
目をつけた人にいやがらせしていると考えるのが一般的だと思います。
精神医学的な見地から調べていくと、
ありきたりな日常的性質の出来事を被害として訴え出すことにより、
妄想的診断を受ける可能性が高く、通例になっているようです。
またもうひとつの可能性として挙げられるものに、
欧米他各国で被害の声があるギャングストーキングと呼ばれる、
精神的ないやがらせとネットワークによるつきまといという、
監視示唆的な行為があります。

これは、利権構造化におけるネットワークストーキング行為としての指摘も、
少なからず確認することができます。
しかしこれら指摘そのものを含めて、
公的かつ一般認識になるまでには至っておりません。
今後一般化するとすれば、ハラスメント気質者の行為の検証は忌避され、
被害妄想とした部分を強調した形で、広まっていく可能性が高いでしょう。
この存在そのものが懐疑的に揶揄されているのが現状です。

身近なできごとがまさか、とはお思いになられることだと思いますが、
それゆえに、ネットワーク構造の連鎖的な視点が必須になってくると思います。

モラルハラスメントといういやがらせ気質者による、
個人資質的な問題のみであれば、
転居などでの解決方法もあるのでしょうが、後者の場合、
多くの実害経験者の方々による証言によって明らかになりつつありますが、
公権的要素を含んだ利権ネットワークが関わる可能性を否定できないことから、
転出先でも同様の関係者によってハラスメントを受け、
日本他各国で苦しんでいる人々がたくさんいることがわかると思います。
しかし、問題の性質上、断定化は簡易ではないことを、
様々に調べを進めてきたなかで認識しております。

ただし、あまり後者の被害意識を公言していても、周囲のネットワーク人脈から、
被害妄想や、統合失調症としての風評を流布され、
同時に病院診断を勧めてくるとしたパターンが、
蔓延っている実態が同一証言によって確認されているので、
優先すべきこととして、
不自然な挙動の違和感を証明するための証拠を取り集め、
第三者に対し、内心的な問題ではなく、外部不快行為に起因した、
正常な心理的反応であることを提示できるだけの、
物証を確保する必要があると思っています。

自分では理解できても、それを見る人の目には、
前後の周辺環境や、背景などが読み取れないと思いますので、
集めた証拠の提示方法の見せ方などを考えていく工夫もまた、
大切になってくるのではと思っています。

これは、同種の違和感を自覚する国内、海外の方々の談にもありましたが、
公権、宗教的な問題や、北朝鮮拉致問題に関わる工作員が、
スパイ化している可能性を示唆する声も少なくないので、
警察が積極的に介入してくれない以上、再度自主防犯面を見直してください。

ちなみに仮に被害届を受理してもらったとしても、法的規定があるわけではなく、
国家公安委員会規則「犯罪捜査規範」に「被害届の受理」という、
項目があるに過ぎません。

捜査が積極的に行われるかどうかは、
担当課長による判断に左右される可能性が高いと聞いております。
そうした現況があるので、
単純ないやがらせにしろ、ギャングストーキングであったとしても、
深刻な状況であるならば、
迷惑行為に対する告訴を前提とした資料収集を検討してください。

                      Ⓒwindyjuly


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Reply
嫌がらせ、大変かと思います。
私の方も、何かとあります。
今日も入用で市内に買い物へ出かけたところ、
見知らぬ人物からすれ違いざまに、
「こいつ、よく歩いていられるな」とか、
人の顔を見ながらですね、
「ゲホゲホ」と、まるで蛙のように繰り返してくる、
デリカシーに欠けた方々をお見受けするたびに、
心を痛めております。
もちろん、それらが私に向けられたものではないにしても、
店員が薄笑いを浮かべて、レシートを放り投げるようにして渡す行為などというものは、
人の不快感を誘発させるものでありますし、何とも解せない気分になります。
国内の鬱積した気分、その一面に今日も触れた思いがします。


さて、風雨強い今日、市の広報誌を目にしたところ、
防犯意図を目的としたGPS通信の記事が紹介されておりました。
以前、「歩いていると、ケイタイに情報が送られてくるんだ」と、
私の顔をちらりと見ながら過ぎていく、可愛げのない子供のことを思い出しました。
もしも、このシステムを悪用すれば、噂されている社会迫害的行為も可能となります。
しばし考えを巡らし、やはり、迫害を認識されている多くの方々の推論は、
的を得ていると思われました。
しかしまだ、実害の実証化にはそれ相応の時間と尽力が必要でしょう。
その実感は原爆認定の問題に触れたときに、強化されました。

NHKにて先日、原爆認定を国から受けれずのまま、ご主人を亡くされたご婦人の涙を画面にて拝見いたしました。遺影の前で語られる気丈な言葉から、苦境下を共に連れ添ってきた想いと無念さが胸中に達し、しばし言葉を失いました。

私も辛くなった時には、自分から被害意識を摘まみ取り、
この国、国外、そして過去にも、認められずに消えていった苦境というものを想像する中で、虚しさや心身的な苦痛といったものを、生きるための活力として受け止め直し、
虐げられる存在というものを、直視していこうと思います。

引き続き、私のスタンスで調査を続けていきながら、
自分が解決すべき問題に取り組んでまいりたいと思っております。
お身体にはくれぐれも、お気をつけください。

20 March,2008 windyjuly



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実害認識者様への返信を兼ねて記しておきます。


 これまでのブログ・Webなどでの言及は、身辺におけるハラスメント行為の人為的不審性を問う各証言を、軽蔑否定しないことを前提に、述べてきております。
 また自身としても、自宅周囲における、突然の不自然ないたずら多発や、いやがらせといった違和感を、客観的確証と共に有しているため、この潜在的社会問題性要素の濃い状況に対する考察を展開しております。
 各国類似状況にある方々の情勢を俯瞰していく中で、有力層組織関与(指摘が多く見受けられる各所公安関係や創価学会、統一教会といった有力宗教団体、防衛省の関与、あるいは北朝鮮有力層に付随した関連団体や、各種大学他研究機関など)が取り沙汰されていることは、ご存じのとおりだと思います。また、背景にあるとされる利害、利権構造に対する指摘も、一部ジャーナリストから挙がっていることも知られているとおりです。
 そうした状況を踏まえつつも、やみくもな断定化や乱発は法的側面及び道徳的概念に留意した上で控え、しかし視察を進めていくにしたがい、何らかの形で接触してくことは否めません。(一部の方々のフォローとアドバイスにも配慮して)この場でお伝えできる情報はここまでとさせていただきます。

 自身も身体に発生する強弱かつ不自然に移動する痺れや痛みが、貴殿と同様昨年から継続しています。ジャーナリスト氏による有害電磁波の危険性に触れた書籍が手元にあったことから、その際電磁波過敏症の発症ではないかと考え、専門氏に問い合わせ、症状との関連性を尋ねてみましたが、急激に痛みが発生し移動するような発症例は聞いたことがないとのことでありました。
 内因的な病気ではないという実感に確信と根拠があるため、その発生的性質と、前後における近隣からのハラスメント状況との勘案から、electromagunetic gunや、ultra sonic pistolといった数百ドル程で売られている電子機器類における加害の可能性も、無線電波と同様、的を外した指摘ではないと認識しております。
 ただ、現在総務省によれば、電波や電磁波による人体の有害性は、否定的に扱われている現況にあることを確認しております。研究は行われているようですが、対策的な指針を前提にしたものは期待できない状況でした。また、衛星技術による指摘も多々耳にしてまいりましたが、この点も情報公開を望んでいく必要があると思っています。
 以上です。
※以下にストーキングハラスメント否定者へのcopy残しておきます。


利害を有するとされるネットワークストーキングを含め、
諸所ハラスメントによる散見を自覚した人物を妄想者として一義的に取り扱うことは、
事実関係の未精査、検証の希薄さをその根拠として矛盾を示したいし、
それら国内外自覚者の人格を、そうした面から社会否定することは、
国民に対する憲法保障からも明らかに逸脱するため、合法的生活者への迫害的側面があるとして指摘する。
GangStalkingやネットワークストーキング、またGaslightingと呼称される一部心理的虐待行為に言及する立場を、懐疑一面からのみ受け入れる方々には、以上の点にご留意と配慮をいただきたい。



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Verification2―迫害妄想と迫害行為 Persecution delusion and persecution act

※HPレポート公開終了―Sunday16 March,2008〆

検証―Video Capture slide report−1
神奈川県湘南在住者に対する監視迫害行為
「The Social Stalking Scene」
reported by windyjuly



だれでもそうであるように、こんなものを編集したくはなかった。

これまで特定近隣者からの迷惑行為の公表は最低限に抑えてきた。表面上、面と向かって交わす態度の中には、悪意的な印象はないので、彼らが行ってくる実際のハラスメント行為と、世間体的に取り繕ってくる態度とのギャップが、実害の背景を示し、浮き彫りにしているとも感じている。

いずれの場合も、精神的な嫌がらせ行為は、不快感指摘を、常にはぐらかすことのできる距離感が保たれていることが、これまでに計測されてきた嫌がらせの痕跡からも窺うことができる。これは、標的となった個人による実害の立証化を困難にし、精神的な問題であるとの世論構成化も目論んでいると思われる。標的個人の心理的ダメージの蓄積のみが誘発されていく、陰湿なハラスメント行為の集合的形態であるとした推察も、今日においては固定的にとらえうることができるように思う。

一度後方へ置き換えた実害の公表を、再度前列に戻さなければならない周辺背景変化の確認から、改めて実害を示していかなければならない立場であることを、痛切に実感している。それは半ば、脅迫的で威圧的に、個人の自由精神を束縛しようとする、サディスティックsadisticな抑圧の可変であると、置き換えることもできる心境下にある。


周囲へ配慮して暮らしてきた本来温厚な人間である私に対する、こうした迷惑行為を受け続けてみてはじめて、これら精神的ハラスメントの殺傷性に気づくことができる。官民大小問わずの組織及びグループ内でも、モビングとして知られる精神的な威圧や、嫌がらせ行為に打ちのめされ、笑顔の下では人知れず胸中に苦痛を感じている方々も少なくない。

こうしたストレスの蓄積は、その場しのぎでは、とても拭い去ることができない。個人的な精神的資質の強弱のみの排他的な視点、論点のみの議論では、社会における精神的秩序はいつまでも、個々人に背を向けたままになってしまう。立法的な対策化を置くことにより、人間の悪意的な気質の強度を、社会的にチューニングするための枠組みを図らなければならないと改めて主張したい。自殺者の量産背景にもこうした整備不良の芽が隠れているはずである。

これらモビングと同性質である、集団的構造による、個人に対する精神的なハラスメント行為は、実害知る方々による、有益な提供情報からも、これらの実態陽性を示す要素を理解できる。あちこちで指摘がなされている、実害と接触する該当研究予算枠などの資金的背景は、生活者個々人の苦境を反映する鏡のようでもある。しかし社会的な実証化にとっては、専門的権威や研究による裏付けと立法整備が必須である。政治的構成が見て見ぬ振りをする以上は、私たち善良な生活者はまず、こうした点にも視線を当てていかなけらばならないと、心身的な苦痛に晒されながら、今一度実感を強めている。

こうした集団的な迫害行為を取り締まる法律は存在せず、EU各国のような立法整備や議論もされていない。かつて「人の命がたやすく弄ばれている」と、歌ったMusisianがいたが、まさにこうした実態の一面を示す、含みを持った表現ではないかとも感じている。

このように陰湿な精神的嫌がらせ行為、指摘すればはぐらかされ、悪意的な紛らわしい挙動=モラル・ハラスメント等による,長期継続的な嫌がらせの実態を、訳知らぬ良心的な人々へ伝えなければならない。なぜなら、このハラスメントの標的になるのは、多くの場合、良識的な一個人であるという報告が、精神科医によって示されているからだ。

そしてここでは触れていないが、こうした状況に陥っている人々の受ける実害風景が、実は精神的な侵害だけではないという具体的事実を示す根拠が、様々な人々による、様々な検証によって見え始めてきている、ということを付け加えておきたい。

検証―Video Capture slide repored by windyjuly
March,2008

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図2 実験システムのアンテナによる探索領域 / 写真1 実験システムの写真
図2のようにミリ波受信発信装置の発信ホーンアンテナから電波を発信し,人のモデルにあてて反射してきた波を受信ホーンアンテナで受信し,オシロスコープで波形の確認を行う.実験では対象となる物体を一定の周期で動く物体を対象として行う.
3.1.1 Ultra Wideband(UWB)による人体センシング 湘南工科大学 秋山いわき教授レポートより
www.rescuesystem.org/ddt/ H14-report/web/3_1_1sit_akiyama.pdf




Persecution delusion and persecution act ―迫害妄想と迫害行為

■迫害妄想 Persecution delusion
周囲者の些細な言動等から、財産や生命を脅かされているといった感覚を、
精神医学の見地から診断した場合、迫害的妄想者として扱われうる。

■迫害 Persecution
社会的優位な立場にある者が多数にたのみ、非有力者の生存権や信仰の自由などを脅かすこと。

歴史的には、東ドイツ秘密警察・諜報機関である国家保安省(Mfs)の「シュタージ」がある。東ドイツ国民を威嚇的監視下に置き、西ドイツにはスパイを送る、といった活動実態から、両国民を震い上がらせていた。


身辺周囲で異変が生じていたとしても、それに気づかなければ暮らしに支障は無く、
通常生活を営んでいける。
潜在的な社会問題としてあるはずの、一般認識を分け隔てているものは、
この「気づき」にある。
大抵この気づきは、気のせい、気にし過ぎ、神経質などといった個人差特性気質として、受け流していく範疇にあるものだが、この自衛心希薄で無警戒な一意識が、
ネガティブな現状作用をもたらす結果になっていると思っている。

上記にあげた、迫害妄想の定義を今一度見直せば、
精神医学的見地に対する「一般的盲点」に気づきはしないか。
それは、「迫害行為」証言の一切を排除している点である。
同時にこれは、「迫害」という行為そのものが「存在しない」とした前提がなければ、
成立しえないことも意味している。

隣人トラブル談などを含めた周囲異変証言を、ここに差し込んでみると、
そのほとんどの「自覚証言」は、「些細なできごと」から派生していった心的状況であることがわかる。
気掛かりな兆候を察知していった過程から生じる自覚を根拠とするも、
「些細かつ、意識することで他意的側面性を見抜ける現象性質」ゆえ、
確証が得られにくいことであるのは今更ながら。

問題は、これら気掛かりな自覚というものが、例外なく迫害妄想的な定義に収まってしまい、「診断」が、「気掛かりな自覚」を「症状」にすり替えてしまっている、という大局的現況にある。
無論、この精神医学的領域に、社会犯罪的な観点からの検証が、専門外的に欠落していることは、言うに及ばずだが、その留意は強固に必須だと考える。

「周囲者の些細な言動等から生じた感覚」が、迫害妄想だとするならば、
「周囲者の些細な言動等」から、狙った人物にいやがらせ行為をさりげなく繰り返すとされる、モラル・ハラスメント気質者や、それらの集団的行為の実態は、
それこそ、その思惑の一致から、複数人構成でこれらを行えば、
学校の集団いじめという、未熟な迫害意識としても、無理なく推察できるのではないだろうか。
それらの発展が迫害行為であるとすれば、多くの証言一致をみても在るように、
合法的生活者、という立場を問わない犠牲者が露呈するに至る。


精神医学的な解釈を誘うとき、この点を再度、強く留意してもらいたいと思っている。
つまり、異変自覚証言に対する事実関係の調査不備による「誤診」、
あるいは、どこからどこまでを「妄想」とするのか、調べてみても、
その専門的定義が、一般からするとあいまいな気がしてならない。

条件付け行為から不快さを誘発され、
極めて日常的な現象に対する不信感自覚を認識したその心理的経緯とともに、
周辺事情を軽視し、それらを妄想としてのみ取り込んでしまうような、
ハラスメント気質と実態から乖離した線引き、定義づけにおいては、
「怪獣に狙われている」という発言と、
「複数人からいやがらせを受けている可能性がある」とする違和感を、
一緒くたにしてしまう脆弱性もつきまとうと考える。
苦悩者の水増しのようなこの状況の非改善性と放置に対して、広義での配慮を求めたい。


「知識もあって立場ある人にも関わらず、理解できないはずはないのに、この種の話になると、身を引いてしまう―」
ベンジャミン・フルフォード氏、先の講演会での言葉を思い返す。
理解できないのではなく、目を反らしたい心境の一端ではないだろうか。

この国でも、密かにシュタージが、と勘ぐってしまう国民が、
今後益々氾濫していったとき、妄想側面からのみ受け流されていかないことを想う。

                              Ⓒwindyjuly

(12Nov 2007 一部加筆)


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✔Psychology one-point memo
動物好きの幼い子供に対し、子供が動物に近づくたび大きなドラの音で脅かしていく。
これを五回ほど繰り返すと、子供は動物に近づかなくなる。
                               米国心理学者ワトソン

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Flash in the sky― 空の閃光

Dec 2006 ‏‎14:33:42


「世の中には平凡な人間と、非凡な人間の二種類がいる。
非凡な人間は、凡人の道徳など無視してもいい― ラスコーリニコフ」
            
          罪と罰より Fyodor Dostoyevsky―Crime and punishment 
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Don't worry―言葉と真意

Dec 2006 14:45:30

(9/23更新)

リチャード・コシミズ氏をご存じだろうか?
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/dokuritu.htm

サイトや書籍にもあるとおり、同時多発テロの矛盾点に対する先駆けた指摘、
程なく日本が辿らざるを得えない状況、
そしてアジア周辺領域に鬱積する諸問題などを、
誰が見ても非常にわかりやすい形で提唱し、
マスメディア発の情報のみでは持ち得にくい、
総体的な問題意識を投げかけ続けているジャーナリスト。


先日、青山での講演会に出向き、
その後の懇親を兼ねた飲み会でも、
リチャード氏をはじめとする問題意識を持ち集う方々は、
そのディープな問題提起とは相反した、
気さくでユーモアさを兼ね備えた人が多く映った。


リチャード氏が指摘する問題の性質から、
ご自身が受けた圧力的嫌がらせ行為にも一部、サイト上で触れていた。
話を伺ってみても、自転車への嫌がらせやその他、
少なからずやられてきたよ、とのことだった。

私自身の周囲で起きる嫌がらせ状況を耳にしたリチャードさんは、
その際、「あまり気にしないようにな」と話を続け、アドバイスしてくれた。


この言葉を耳にしたとき、ふと頭をかすめていったシーンがある。
それは、「気にしない方がいいわよ」と、言葉は同じでも、
リチャードさんの発するニュアンスとは異なる「助言」を、
以前、加害疑惑者当人より受けたことがあったからだった。


この「気にしないように」という言葉は、
そのニュアンスによって、色々な受け留めようがある。


嫌がらせをされた側が、それらハラスメントを「気にしないように」と、
無視することで、精神の均衡を保とうとした場合、
嫌がらせを仕掛ける者は、証拠を捕ろうとする態度が見えないからと、
図々しさに益々拍車をかけ、
警戒感なく嫌がらせができるようになっていくと、推測できる。

しかし楽にはできても、無視されることは面白くなく、その反応を受け取れずといった、
加害心中を読み取ることは、そう難しいことではない。
また、ハラスに対する無視という態度が、ストーカー気質者の資質上、
行為を更にエスカレートさせていく、といった側面からも推察できる。
嫌がらせを仕掛けてくる気質者は、
おそらく、その反応が欲しいだろうということは、察しがつく。

これらのことから、嫌がらせを受ける側がそれらを無視したところで、
必ずしもハラスメントに対する防御壁には成りえなく、
その助長すらも促してしまいかねない、
悪化してしまった状況も、同時に考えることができる。

「反応が無いと、飽きてきてそのうち止めるよ」という受けようにも一理あるが、
ハラス行為者のその資質を今一度勘案してみれば、
反応見たさに、返って嫌がらせを助長させていく、
とした観点にも留意する必要がある。

“精神的な嫌がらせ気質を強く持つ者にとって、無防備な相手ほど、やりやすいものはない―”
そんな指摘は、例のモラ・ハラ、マリー氏著作内他、いくつも目にすることができる。
この点は、学校内部での「いじめ自殺」問題などとも類似接触していくと思っている。

また、受け流しの柳に風、といった心境に至るには、
様々に降りかかるであろう精神的威圧行為を受け流しかつ、
そのフラストレーションのやり場を見出していく、などといった過程の末に、
開拓できうる心情であるとも思う。
個人差も、耐性もあるため、「無視」が必ずしも有効に作用しないケースも、
多々あることがみえてくる。


だから、嫌がらせ行為というものに生活を翻弄され、
心情をかき乱されうる状況に遭遇していたとしても、
自分がやる必要のあることを見失い、
そこから脱線してしまわないように―


そうした意味で、「Don't worry」という言葉を改めて受け止め直し、
自分自身の全般を、もう一度見つめなおすきっかけとしたい。


同じ言葉であっても、それを口にする人によって、全くその真意の照度が異なる。
今回、そのことを言いたかった。

(リチャードさんの「気にするなよ」、という言葉には、気さくな笑みがありました。)


                                      Ⓒwindyjuly


ps.
後日リチャードさんから、もうひとつ、アドバイスをいただきました。
「あまり、思いつめず、冷静に周りを見ること。
焦燥に陥ると、相手の思う壺。パニックに嵌まると相手は大喜び」
                          
               
 
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HP UPのお知らせ
このブログに目を通してくださり、
ありがとうございます。

本日付けで、
「Social Harass―社会性モラル・ハラスメントの証言」とした、
HPをUP致しました。

http://www51.tok2.com/home/windyjuly7thair/
http://socihara.suiheisen.net/

身辺異変を自覚する方々の置かれている状況は、個々に異なり、
またその異変の受け止め方も、その立場により様々ですが、
それでもその共通する苦境から思うことを、
全体的な問題意識を膨らます動きにしていければと考えています。

もしご参考になる部分がわずかでもあれば、幸いです。

                           windyjuly
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Peeping and watch―のぞきと監視の差異



ありきたりな環境の中に散らばる異変、気づき。
特にその人為性悪意を察知した証言者たちの声々には、
「盗聴」「盗撮」行為といった疑念なども含まれている。
それら猜疑心の形成は多くの場合、
特定、不特定者らによる「ほのめかし」や侮蔑行為をうけてきて―
とする証言をよく目にしてきた。

自身のプライバシー、個人情報、プライベートに接触し、
ほのめかされるその内容は、そのタイミングの際どさとも相まって、
「のぞかれている」とした意識とその不快な自覚が表出してくる心理的過程がある。

この種の話題では、
関連妄想性との指摘を揶揄される状況を少なからず目にしてきたが、
マーケットにおける盗聴機材や、盗撮機器類、
また、積極的に一般公開されていない技術、
そして盗聴法といった干渉過多な、社会精神的実情を伺い知れば、
その揶揄する者の真意を推察できる。

私自身も以前、モラル・ハラスメントタウンを歩行中、
ちっちゃな女の子が走り寄ってきて、
自身の食事内容に触れる内容とともに、「バカ」と言い放たれ、
唖然としたことがあった。
それでも気のせいかもしれないと受け流そうとした際、
「ママー、言ってきたよ」との言葉に振り返った。
車二台分ほどの距離を置いた後方に立つ母親らしき人物に向かって、
あどけなく伝える声が、いくらか控えめだった潮騒と共に耳に届いた。
女性はばつの悪そうな表情を浮かべつつ、
なぜか目のあった私に軽く会釈をした、そんな記憶と記録が残っている。

こんな些細な出来事とも相まって、
普段は考えもしないし興味もないテーマをあえて引っ張り上げた。
のぞきと監視という言葉の実態、つまり、
のぞく側とのぞかれる側、そして、
監視する側と、それを受ける側の言葉の使い分け、
両者による認識の差異について、手短に考えていく。

のぞきと監視の違いを考えたときに、
「防犯監視カメラ」を例にとればわかりやすくなる。
生活安全条例推進的背景、公道上のオービス。
巷に溢れる「防犯カメラ」は、そのカメラたる性質から、
「覗き行為にも転用可能」だとは、思っていても公言する者は多くない。
「監視カメラ」「防犯カメラ」として設置されている無機質な機器類は、
ことの本質を見誤っていく総社会的実態につながっていく。
そんな実情は、実態を反転化した名称にすら、みごとに映し出されている。

これに限らず、人はどんなことでも歪曲し、
利己的に歪めた解釈をしようとする傾向と、その性質を保有している。
だから人々はそんな性質を自覚的、無自覚的に留意し、
「理性」で適時対応していくことで、自己を健全に保とうとする自制心が機能する。
しかしながら、そうふるまう必要のない生活者も、
集合的に存在していると耳にしてきた。

彼らの自制心なき欲求行為はもっぱら、
「耳馴染みの良い言葉や名称化」によって、表面を着飾り偽装するとされる。
また、その偽装行為者自身が、自らの偽装行為を他者へなすりつけ、
その矛先を振り交わす、などというような、
人間の精神的性質には、そんなえげつなく利己的な悪意すらもあり、
否行為者にとってこれ程手を焼く気性はない。
まさに、ここでもモラル・ハラスメント気質者との一致を見てとれる。

監視とされる行為を合法的に行える社会的な集合隊の存在については、
改めて言及するまでもないが、その構造が、
上記のような歪曲利己的性質をもった人物らの集合体であるとする、
複数証言を基に仮定してみた場合、
証言者たちが発信する内容との接点を、より強固にすることが見て取れる。

生活をのぞき見られてしまうような、
そんな状況下に置かれて暮らしていると自覚する方々には、
それら行為はどう見ても「覗き行為」としか解釈できない。
一方で、それはのぞきではなく監視であるとして、
組織内及び自己内心面においてのみそう強気に言い張る、
権力的な見識を展開する者たちがいる、とする見方もある。

つまり、その立場、利害環境の違いによって、
同種行為が監視にもなり覗きにもなるという、
置かれた立場による違いが、そのまま利己的な認識として正当化、
あるいは防護的な認知として在るに過ぎないことがわかる。
従って、双方が相容れることはない。

一般的な社会通念に基づき、
個々の複数証言者の声とともにその立場立場を俯瞰してみても、
「監視」なる行為にさらされる理由は見当たらない、一般人たちばかりが証言を続ける実態からは、何が読み取れるのか?
そして現実にあるのは、それら実感者をメンタルな観点のみから、
執拗に固執し応対し続ける現社会。

監視行為としての暮らしや頭覗き実態というものは、
果たしてこの国の中に蔓延しているのだろうか?

「ママー、言ってきたよ」というものを含めて。

                     Ⓒwindyjuly 

(12Nov 2007 一部加筆)
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Malice ―意図的な悪意, 敵意, 相手を傷つけようとする精神性



身辺異変を自覚した方々の証言を、
Webサイトなどから間接的に、そして直接的に触れたとき、
誰でも少なからず体験するだろう、一部人々の悪意、というものを思い返していた。

「モラル・ハラスメント」という、人の性質に無自覚なまま過ごしていたころ、
同種行為の受け止め方に悩んできた記憶がある。

自身にとって不快な言動や挙動を、知人や同僚などからさりげなくとられている、
と察知したとき、徐々に妙な苦味を感じるようになっていった、
心理状態の成り行きを覚えている。

この街で続くハラスメントと同様、一見すると悪意は見えない。
しかし言葉と態度には、「含み」が見え隠れしている。
あの頃、深夜残業続きで少しでも早く帰りたいと、
コピー機に両手をつき、排出を待つわずかに息を吐くその瞬間、
背後からふと、ニヤツキ声をかけてくるような存在が持続的につきまとう。

「嫌味」といった、軽易なものともまた別の響きを感じる。
表面化しないまでも、微細な違和感を察知する能力は、
誰でも持ち得ているだろう。
例えば笑顔一つとってみても、人に嫌悪感を与える笑顔、というものもある。

「悪意」というほど露骨なものでもないので、
いちいち気にしているほうが、神経質に思えてくる。
だからたいていの場合、そのような態度をとられた者の方が、
「気にし過ぎ」だとして、受け流してしまうことが少なくない。
それに不快な態度を指摘したところで、真意はぐらかされることになる。

それでも内面には、言い知れぬ不快感がまとわりついて、
離れなくなっていく場合もある。
忙しかったり、何かそれとは別の心配事が内在していたりして、
周辺環境すらも、揃って追い打ちをかけてくる。
その連続性が、身辺を囲い込んでいく。
そしてそれは出口を見失い、日々膨張していく―

こうして人は内心に、
「追い詰められた感覚」という息苦しさを形成していく。


学校内部でのいじめから自殺に追い込まれていった、
あどけなく従順な子供たちが、教室から徐々に姿を消していけば、
社会という教室内には、「自称強者」たちばかりが生き残ることになる。


寝たきりのおばあさんから、電動ベットを取り上げてしまう社会性を知ったのは、
昨年の暮れ、北海道新聞サイトの記事を目の当たりにしてのことだったが、
こんな状況を放任している、あるいは誘導する者たちが、「強者」なのか。

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フランス精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌ氏の著作、
「モラル・ハラスメント」のページをめくると、

精神的な嫌がらせ、という比較的軽易な受け止め方ができるこの言葉の現実に、
精神的暴行、虐待、といった残虐性、
対象者の精神状態を強く追い詰めていこうとする強い意味が、
本質的に示されていることが理解できる。


追い詰められていった精神は、
その苦痛と怒りを他者に向けようとしたときに、
「法」でがんじがらめになっている「境界線」を目の当たりにする。
良心の踏み越えをその度自制する人々は、身動きできなくなっていく。
そして肥大したそれは次第に、虚しさへと収束し、
程なく自身への存在自体に、刃先を変えていく―

精神が実在を追い込む。


弱肉強食を引き合いに出したとしても、
やはりそれでも「人間」、だとしたら、
本能的な欲求充足や、見境のない敵視感だけではなく、
理性という配慮、

こんなものが自身を含め、わずかでも全体的に膨らんでいけば、
だいぶ違った人生模様が、各人へと広がっていくような気がする。

理想だろう、が。


これまでには経験したことのない陰湿めいた不快な出来事が起きてきて、
その非日常的な現象を日々見据え、対峙しているうちに、
異常だったはずの出来事が、
その自覚者たちにはルーティンになっていく。


この街の "Malice Harassments" 現象の中で過ごしていると、
その意味が、痛切に理解できる。

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それでもやはり、はっきりといえることは、
それら侮蔑的行為や言動の散乱する環境に対して対峙、順応、適応していくことが、
生き死にを踏み越した存在感を持つものだと考える。

「強く」なんて意固地な精神性じゃなく、
慣性的なエネルギーでぶつかっていけばいいのだと思う。
                          Ⓒwindyjuly

(12Nov 2007 一部加筆)

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Verification1 Noise environment―騒音環境
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私の居住地区周辺では、宅地開発による新築、増改築工事が多い。
住宅街の細い通りにもかかわらず、自宅前を工事車両が頻繁に往来していた時期もあった。

私がこの地に転入するタイミングで、
「防衛省(旧防衛庁)」から、防音無償工事の案内書類が投かんされていた。
横須賀―厚木基地間を飛交う戦闘機や軍機等の飛行航路が変更になり、
現在も近隣一帯で、無償防音工事が行われている。

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身辺環境の異変を察知された方々の証言内容に共通する現象として、

・心理的異変
・環境的異変

といったものがある。
またそれらに加え、生理的異変などの自覚症状が付随した証言もある。


各証言者のHPやblogなどの証言内容で一致しているものは、

・嫌がらせ、侮辱などに該当する行為を、
 特定・不特定多数者らから散見したとする過程
・周囲での執拗な反復、意図的とも受け止めることのできる侮蔑的行為の集中的散見に
 よって、それまで何でもなかったありきたりな現象に対し、
 ネガティブな意識づけを誘発された、とする証言内容

上記のいずれも、
「身辺異常に対する認識は、人為的な侮蔑行為により生じてしまった」
とする証言になる。


この自己認識を、「被害」であるとする証言内容に対しては、
以下の複数視点で検証することができる。

\鎖隻騨的視点―
 証言内容は、ありきたりな現象に対する、過剰な被害意識の視点が作用している。
 ゆえに、「被害妄想」的な人物の証言である。

悪意人為性の視点―
 証言内容にある、ありきたりな現象に対する強い被害意識は、反復的な継続によっ
 て、心理的作用を刷り込んでいき、誘発させることができる。

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,蓮∪鎖静な問題であるとする、現時点までの社会的なとらえかた。
そして△蓮⊃邑⊃害領域への指摘。

この△了訶世排他的な状況は、証言にあるような非人道的行為が、
構造的存在によって密かに行われているはずがない、
という社会通念が支配的に蔓延しているため、
現時点までで実害自覚のない一般人への危機意識が、
収縮している現状を背景として、形成されているものではないかと考えている。

証言者の内容は精神的な問題であるとし、精神科医師らによる権威的な診断は、
弾圧的な悪意だとする指摘を、その可能性の根本から排除してしまう形になっている。


それでは、△鮠斂世垢襪燭瓩防要な、
集合的な悪意犯罪性を追求できるだけの立証と根拠はあるのか?

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△領場から、自身の身辺異変現象をとらえてみてもわかるが、
多くの場合、悪意を証明しようとする「物理的なscene」は、
悪意立証が困難な状況であるケースが多い。
それは、証言者たちを追い込む手口が、
「モラル・ハラスメント」などの、立証が容易ではなく、
社会的に取り締まることのできない、
精神的領域で展開されている可能性が強いからではないかと、考えている。
それは、学校内部でのいじめ自殺問題とも接触しうる。
 
つまり、ありきたりな現象に対する、
ネガティブな記憶の想起を刷り込まれた者の目線と、
条件付け、刷り込みがなされてはいない多くの一般人とでは、
その受け止め方や視点に大きな差異、
まるでその反応が違ってしまうということである。
だから、実害を受けている可能性を察知した人々以外は動かないし、その必要がない。

古文を借りて例えて言えば、必ずベルを鳴らしてから食事をとらせる犬は、
ベルを聞くだけで唾液を垂らすようになる。

多くの証言者たちの内容から、この特性を悪用した場合における心身的作用を読み取ることができるのは、心理学領域の研究者ならずとも、理解できると考える。

すなわち、日常的な環境の中で鳴り続けるベル(騒音の類)に悪意を忍ばせることで、
対象者への不快感助長を誘う。
指摘をはぐらかせるレベルで、日常的な現象を他意的な意識でとらえさせる。
そのように、なにもかも意識せざるを得ない心労的環境を構築し続けることで、
対象者への不快な心理的反応の誘発形成を目論みつつ、
結果として金を得ているとする、
一般的な常識観だけでは測り知ることのできない「利権構造的存在」が在る、
とのことから、現在、インターネット上でも様々に、
そして断片的に指摘されているのではないだろうか。


自宅上空の轟音は、工事騒音を飲み込み、潮騒を搔き消していく。

                        Ⓒwindyjuly


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Those who testify―証言する人々


ある日、自分の身の回りで起きてきた異変に気づく。
玄関の出入りに合わせ、自宅の電話を数回鳴らされたり、
まるで心当たりのない葬儀社から突然、間違いファックスが送られてきたり、
心当たりのないままに、そうした現象が繰り返されていった。

身辺の異変を目の当たりにした者たちならば、誰でもそうするように、
私自身も例外なく情報を集めていったが、原因はさっぱりつかめなかった。

この情報収集の過程で知ったのは、巷で囁かれている「組織構成型のハラスメント」の実態だった。
それを証言する者たちと、あからさまに罵るように否定する者たちの記録の他に、
政府関連団体シンポジウムで発表されている、組織型犯罪実態の告発論文も存在していたことから、これらが単なる噂話でないことを理解した経緯がある。

そして驚いたことは、彼らの証言内容と、自身の状況とが少なからず一致していることだった。
ただ、これら証言内容の一部には、特定・不特定者らによる嫌がらせの告発以外に、
信じがたい内容も混在していたこともあって、その確信までには至らなかった。
「そういう可能性もある」との受け止め方であった。

偶然を装った、生理的に人が不快に思うであろう行為や現象が徐々に、自身の暮らしを蝕んでいった。
明らかに嫌がらせだとわかる行為もあるが、そのほとんどは「さりげなく」行われているようだった。
そして、彼ら挙動不審な者たちの行為は、刑事罰の対象外であった。
それは、現行「ストーカー規制法」では、男女間の恋愛の抉れを前提にしているものだからだ。(東京都では、この問題に接触する条例が制定されてはいるが・・・)

言い換えれば、「組織構成型のつきまといや嫌がらせ行為」といったものは、
社会的に裁かれない、とうことを意味する。
つまり、組織構成型の嫌がらせは、社会的に存在してはいない、という見解が、一般論になる。

私はこれらの身辺異変察知者たちの証言を、妄想的であるとする社会的指摘に対して、
歴史的な視点と、技術的な観点、そして「犯罪性」の検証といったものが、
なぜないがしろにされ続けているのかという点において、不審感が募っていった。

盗聴されていると証言する者たちを、妄想者だとする側がいる一方で、盗聴無線器、盗撮機はマーケットに溢れ、
つきまとわれているとする証言者たちの内容を、歴史的観点から捉えてみれば、
「迫害行為」としての、侮蔑、侮辱行為といった接点とをうかがい知ることができる。

すなわち、証言内容を人為的に再現することのできるインフラが現存している、ということが読み取れる。


一向に公にならない、水面下でうごめくサイレント・テロ―その可能性。
やがて私のもとにも、不意に「信じがたい証言内容」を知らしめる現象が起きてしまった。

2006年11月。突然、心臓に強い痺れが発生し、呼吸が乱れ、床に倒れた。
自宅周囲が、どこかの子供たちの騒ぎ声が響いていたことを覚えている。

その数日前、自室が揺れ、音圧でもかけられているかのように、
身体中が細かに振動し始め、低周波振動のような状態が発生した。
揺れは地震ではなかったことを確認した。

この場所に移り住んでからは、高熱が出たと思えば翌朝には何でもなくなったり、
不自然な鋭痛や鈍痛、かゆみといった現象も多々体験してきたが、
明らかに言えることは、この前後で「嫌がらせ」が起き続けていた、ということである。
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電磁波問題や添加物食品問題、環境問題などといった社会的問題意識を持ち続ける、
舩瀬俊介氏の著作のひとつ、
「続 だからせっけんを使う 三一書房」に、パラパラと目を通していたときだった。

p106-107「黒いペンタゴン」
そこには、「政官業情学」という癒着構造が図式化されていた。

私の身の回りで起き続ける生理的な現象を含めた持続的異変。
Those who testify、証言する人々との接点―。
                                Ⓒwindyjuly
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