精神的な殺傷―その体験的断片 | Social Stalking
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精神的な殺傷―その体験的断片


精神的な殺傷―その体験的断片

誰でも夢中になって取り組んできたものはあると思います。私も例にもれず、学生時代は五分刈りで、硬式野球に時と汗を費やしてきた。結果は取り組んできたエネルギーを反映することなく、残ったのは、いつかの岡村靖幸の詩にあったように、「優勝できなかったスポーツマンみたいに、ちっちゃな根性」が身に沁み込んだだけだった。

私がこの精神虐待的なハラスメントというものを調査研究し始めるようになったのは、周囲に物理的、人為的な異変が生じる以前から、psychological領域に興味を持ち、独学に費やした日々もあったということも、その動機としてある。そうした経緯において、監視示唆的かつ、歴史的検証において、幾多の弾圧迫害史などとの累積を見れば、おのずとSNS(ソーシャル・ネットワーク・ストーキングSociety Network Stalking※持論における略号化)というものが、精神病理的一元的に排斥されていこうする流れそのものに、「集合的な思惑」という矛盾が潜んでいることに気が付くことになりえると考えます。

そうした精神的な残虐性に概念化を収束してくれたものに、マリー=フランス・イルゴイエンヌ氏著作が、歴史的な検証軸とともにフレームとしてあり、また社会的構造矛盾の弊害による犠牲者の立場に立った指摘をするマイノリティ・ジャーナリストをはじめ、blogやHPなどを通じて世論に対し、問題提起を配信する否著名一般ジャーナリストたちのナビゲーションがある。そうした場において目にして検証し知り得てきたものは、自分が経験体感してきた以上の苦境の風景だった。自殺へ追い込まれていくほどの心理的な苦痛の持続。想像できますか?その虚しく自己を取り巻き続けていく苦悩というものを。ロープを握りしめるに至ったその人の背中、笑顔、過去、記憶という瞬間を。

そうした心理的虐待は、歴史的な観点からも、例えば南部黒人たちに対する人種的迫害といった、人の持つ精神性、侮蔑視や迫害的荒廃の中からも鑑みることができると考えています。

私自身の周囲で積算されつつあった、そうしたカムフラージュされた悪意というものに対する心理学的なPsycologyなアンテナを私は知識とともに持っていたため、彼らの侮辱的な態度には気づいていた。それはモビングmobbing的な経験則としても察知することができた。しかしそれは一過的なものであるかも知れないとも考えなおし、再び日常の優先事項に対して視点を向け続けていた。

被害を訴えるまでもなくとも、人であればそうした不快に繰り返される挙動というものは、あまり重要なものであるはずもなく、さして気にも留めず、受け流しつづけていくという、今に思えばあまりに無防備過ぎていたために野放しになっていた、そうした心理的残忍性というものに対し、それらの客観的な検証を踏まえ止む無く自主防犯カメラを設置した。そしてそこにはあの男性の姿が映っていた。言葉も交わしたこともなく、人間関係もあるはずのない彼は、まるで私のアイデンティティーを破壊するかのような態度をとり続けていた。背後から威嚇的な嗚咽を繰り返す人物とその家族やネットワーク。これらについては、統合失調症との対比的な指摘に対して、これまでの記録などから実証することが可能であるとの認識を現在までに持っている。

そんなある日の穏やかな午後、玄関先で親子は楽しそうにボール投げを繰り返していた。誰にとっても微笑ましい風景に過ぎない。しかし、私にはその数分にわたる自宅前での「遊ぶ姿」の中に、可能性としてのさりげなく見え隠れする心理的な悪意とその残虐性が映し出されていた。
親子の言葉の中には、野球に関するやりとりが繰り返された。ここに被害意識は持たないし示さない。しかしそれは私の過去だ。そして彼が投げ捨てたボールを子供が取りにいくその一瞬に、「一回で負けた」という言葉が前後の脈略もなく発せられた。被害だと証言はしないしできない。裏付けがないからだ。しかしこれも私の過去だ。聞き間違いではなかった。そしてその声量は、窓を閉めた冬の室内に入り込んでくるものであった。


今の私は、そうした過去に振り回されることはなくなった。選手としての功績に高級なものはなく、それらの経緯、ランニングを続けたり、トレーニングを行って、ひとつの目標に向かって継続する。挫折だらけの人生だけど、そうした意義が、現在では私の中で密かに誇れる数少ない誇りともなっている。誰の中にもあるはずの、自分にとってのみ価値あるもの。それが「優勝できなかったスポーツマンみたいな、ちっちゃな根性」。散々蠢いてきた雲はもう、振り払った。それでもあの日を懐かしく思う。

そうあの日、私の費やしてきた汗は「一回で負けた」。
蝉の声に紛れ込みあっけなく散らばっていった。
高校三年の夏、初戦で敗退し泣きじゃくり、泥だらけの奴らに肩叩かれた記憶が渦巻いた。

18Jan,2008
Ⓒwindyjuly
JUGEMテーマ:日記・一般


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