ジャーナリズム―journalism | Social Stalking
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -
ジャーナリズム―journalism


2008.02.19 Tuesday-Update
ジャーナリズム2

社会問題に対し、自分で物事を考え始めるきっかけとは何か?
私は実害感がそのきっかけになった。
ある方は、知人・近親者の実害がそのきっかけになり、
ある方は、触れ得た情報と、自分の抱える問題との接合がきっかけとなった。

どれだけ事実に近づけたとして、それらを握りつぶすことは、容易であると思えないか?構造にとって連携など、ローソクを吹き消すほどの息で吹き消してしまいやしないか?そして、これまでもそうではなかったのか?

コアなソースが民意に反響しないのは、まず、実害感が無いために、自ら処方箋に手を伸ばす必要性がないことにある。風邪をひいてから飲み込む薬のように。
もうひとつは、報道ソースを最大公約数とした一般認識にある。これらはオカルトな類と同様に、その存在の是非は「噂」などでは一般化され、かつそれらのオカルトカテゴリ商品が、マーケットに散らばってはいく。しかし「現実的」には懐疑的に受け止めざるを得ない形が、知らず知らずのうちに、洗脳的に意識の中に根付いている。

そして、自らが陥っている問題の解明に必要なコア情報は、それらを必要な人にとっては喉から手が出るほどのものでも、そうして知り得た人が例え世に訴えかけたとして、一般が関心を示さないのは、それらを食したいというデザイアや必要性を感じ得ないからだ。

社会一般認知の方程式、その絶対値は宣伝・報道にしか存在しない。それら宣伝・報道力を、これらの問題意識を共有している大部分の方々は持ち得ていない。だからジャーナリストという存在がその架け橋となる。
しかしながらジャーナリズムもまた、報道従事者と同様に、葛藤があると推測する。伝えたいけれど伝えることのできない、言いたいけれど言うことが出来ないこと。そしてそこを隔てている壁は、生活や暮らしへの「静かな圧力」である。安心や安定を脅かされる。だから大抵は、レールウェイを進んでいく。

直接的に、あるいは間接的に恒常化しつつある暮らしや心身へ加えられていくダメージを受けている弾圧被害の受け手たちは、すでに息絶えた人々を含め上記への陳情や訴えかけを続けてきたが、構造に跳ね飛ばされていく。
だから「有識で有力な方々へ」と思考はリンクしていくことになるだろうが、いったいこれまでどれだけの人々が、陳情届かず無視されて、同じ境遇の中でもがいてきたのだろうか。

それらは無駄でも続けていかなければならないものである。しかしそれだけでは発展がない。だから、専門的尺度には納まらなくとも、一般発の「広義」におけるジャーナリズムが必須になる。これは絶対に必須だ。彼らはジャーナリズムであると同時に、広報者でもある。薄い知識や非専門性を盾に罵倒され切り込みをいれられるだろうし、さらに侮辱のネタを提供するといった側面も併せ持つ。それでも実害の受け手たちが、そうして恥をさらし、プロジャーナリストと報道に「圧力」ではなく、彼らプロとしての本能に訴えかけ続けていくしかないじゃないか。「君たち、そうじゃない」。そう言わせたいし、罵倒ではなく指摘してもらいたいとも思っている。

このことは自身の内省としてあるが、確かに身体は以前のような健常な感覚を妨げられ、心に切れ込みを入れてくるハラスメントのある環境に置かれてはいる。しかしやはり健康不良や実害といったものを動けない理由にしてはならないとも言い聞かせている。私には社会潜在的で、隠ぺい資質的な問題の影響を受ける人々に、その責は無いとする思弁を含めた考え方がある。しかしこれらは自力本願である生き方を否定するものではない。そうした自力本願的な生き方の妨げになっている構造的障害物にまず因果を示すことが、本来の意味における自立を確立することができる。進め、といって裾を踏みつけているような構造である限り、福祉国家へと方向を転換しない限り、一般人の自立的な生活を促す声は、汚職、談合、裏金といった腐敗に揶揄され飲み込まれていく。
                   

一般にとって一見すると必要のないソースを、実は重要なものであったということに気付かせる工夫は、実際、私の知りうる限りそうした有能者は、電子的な世界の中で歩みを続けているが、生活の困窮や目に見えぬ不安は、今後益々増大してくるものと考えられる。そうした過程において、彼らの発信内容との「接点」に触れることのできた人々は、
その人にとっての気付きへのきっかけとなる。

※あなたもぜひ、実害受け手たちが持つ、ジャーナリズム精神へのパラダイムシフトを。読んでいるだけじゃ変わらない。溜めこんだものを形にして。それは自分にできることでいいし、質や出来といった部分にとらわれる必要はない。自力本願を軸とした知人たちとの連携、オープンソースと、クローズドソース。例えばオーケストラのように、手にする楽器を選ぶことができる。例えばあなたはつきたいポジションをチョイスすることができる。実害に屈しないでください。気分転換も十分に図ってください。空気を入れ替えるように。

19Feb,2008 windyjuly
27Feb,2008 一部加筆(報道=宣伝・報道)
-----------------------------------------------------------------------------
2008.01.09 Wednesday

あるフリージャーナリストの言葉に、
「伝えられていないことを伝えるのがジャーナリストの仕事。中でも大事なのは、攻撃されている側、被害を受けている側の立場を伝えていくことです」とあった。組織的なパフォーマンスはできなくとも、制約に縛られない比較的自由な立場だからこそ、発信できる内容がある。フリーとして制約に縛られないとはいえやはり、目に見えない部分で、私たち一般からは映らない場所で、弾圧に似た様々な圧力が加えられてしまうこともあるかも知れないし、実際それは世の常なのかもしれない。

私は潜在的公害を起因とした、健康的な事情を抱えているが、Webジャーナリストとしての方向性を進めている。理由のひとつには、上記のように、組織内では語れない、語ることの許されない、一般人にとって生命に関わる重要な事実というものを、発信する人があまりにも少ないような気がしたことと共に、これまでの経緯で触れてきたように、なによりも自分自身が身をもって、これら社会的弾圧の実態に情報収集・調査によって触れてきているからだ。

この全体像を見ることができないのは、縦割り構造的な隔たりでもある。
何度も繰り返し言うが、構造的な欠陥がまず天辺にあって、人々の暮らしを圧迫している。底辺じゃない。このことは格差社会、新自由主義という土台によっても示されている。こうした社会的な構造矛盾の総体的因果として、一般的生活者一個人による影響に固執することは、全体論の矛盾を示す要因としてはプロパ的である。証明、蔓延する社会人工的病理に対する具体的な改善策は、いったいどれくらい施されてきている?

なぜ、ワーキングプワ、ニート、フリーター、cafe難民などという広義労働者層への侮蔑語が幅を利かしながら、富裕層推移の狭義な上昇率を示すのか。どうして、富裕層には減税を、そして一般層への税率は引き上げられているのか。なぜに、第三のビールなどという、品質においてビールに勝ることのない酒が庶民に振舞われているのか。そう、すべてにおいて共通項を示すものは、税制に他ならない。

素人であっても、この問題に関心を示さなければならない。人々の暮らしを圧迫しているものは、一般労働者並びに、非労働生活者のせいじゃない。社会構造的力学を考えてみても、それは言うまでもない。

私たちはこのまま、口を塞がれていきやがて、正当な批判や批評を、会社、町、室内の至る所で、論じる事が許されなくなる。いや、すでになっている。そしてそうした自然な議論は、言論、表現の自由は、合法化された「法」によって裁きの対象になることは、歴史に尋ねてみればいい。盗聴法は合法化し、街中にはテロリストや過激派の監視という名目で、カメラだらけで、それは何も機械的なカメラデバイスだけではない。これを俗に不特定者を含むストーキング、シュタージ体制だとささやかれ、国民監視行為として歴史的接点を有している。私たちは次第に、記録的、あるいは構造的デバイスに依存せざるを得ない生活環境下に、いつのまにか置かれてしまっている。

私自身の苛立ちは、そうした不正にかすめ取ったプライバシー情報によって、一生活者のアイデンティティを壊し奪うとされる層に対してある。人生を奪うことにある。その仮説として繋がるものは、ほのめかし―Unpleasant suggestionである。盗みとった個人情報のネットワークによる伝達を媒体として、それらを合法的に、「合法的に」、対象者へ示す手段としてのsuggestionである可能性が高いと考えている。だからこそ、名指しは避けるも、不快な挙動と素振りだけは活かして振舞う。モラハラの加害者的気質を持つ者たちは、世の中の善悪の基準が、合法非合法を軸として委ねられていて、倫理道徳性に欠けた行動指針を持っていることは、精神医学関連書でも示されている。合法的な行動に問題があるといっているのではなくて、私は倫理道徳性という、他者の立場から快不快を考慮した指針というものが人々の基準として育まれなければ、こうした隠微社会の構成に好影響をもたらさないと考える。合法非合法という見方の前に、それらが必須であるはずだと考える。

総社会的な圧力を交わすがための、緩急をつけた霧のような弾圧、見せしめと迫害による犠牲と利権。その餌食、各地で声がさ迷い、それらを様々な嫌がらせを行う層が束ねていると推測、いや、情報収集の推移を根拠にしてそう実感している。すなわちこれらは、精神的な嫌がらせであるモラルハラスメントであり、EU諸国では立法抑制がかけられているリストラワークであるモビングであり、すなわち、盗聴覗き行為から炙り出していった彼らにとって「敵者としての材料」、レシピを備えた一般者を、密かに弾圧していくそう、あの黒人たちが受けてきた迫害、弾圧行為、コインテイルプロcointelproであるとして、概念化を構築することができる。ここに妄想は微塵も入る余地はない。蔓延している排他的思考とともに、戦争のできる世論形成に放射線を描いていることが見えないことの方が不自然ではないか?

GangstalkingやGaslighting、公安的、あるいは宗教儀式的ストーキング手法として空気中を伝播している実態は、これらの副産物であり、手段である。国外情報とを照らし合わせてみて、その共通する原理的な構造や思想や歴史的な観点から、様々に見えてくるものがある。
それに加え、現代の迫害行為コインテイルプロは、国内外で多くの証言者と、証明者が拡散しているように、迫害的弾圧行為による心理的ハラスメントとともに、軍事的電子デバイスによる身体的なハラスメントが加えられていると、海外情報にあるし、これまで示してきたものを含め、現実に存在する機器であることが、販売されている事実から見えている。

これらに示してきたことを踏まえて、我が身を囲う不自然な嫌がらせや、嫌がらせとして指摘できないほどの些細な断続的不快挙動や、前夜にとった食事メニューなどの会話をはじめ、所有物の特徴を主語を省いて、自宅前で聞こえよがしに喋るハラスメント一族や周辺関係者隣人といった、防犯監視住民層との類推が、推測と憶測を強化させていくことに、どんな不自然さがあるというのか?都合の悪い事実に触れる者たちが妄想者として、自殺動悸の不自然な自殺者や、事故といった具合に静かに蹴りあげられていくことは、コインテイルプロの歴史的証言にも散らばっている。キング牧師もそのターゲットになっていたことがよく知られているが、これは無名人であるほうがより暗躍的に都合のよいことであることも、見えてくるはずである。

                             ・

「伝えられていないことを伝えるのがジャーナリストの仕事。中でも大事なのは、攻撃されている側、被害を受けている側の立場を伝えていくことです」。

組織的なパフォーマンスはできなくとも、制約に縛られない比較的フレームの広い立場だからこそ、発信できる内容がある―

ここまでの連続がもしも今この現状の一端を下支えするものであるとしたら、一般情報発信を受け止める態度として、もうひとつの新しい視点を用いる必要がある。そうした認識力が、ネットを通して発信する無名著名問わずの一般者含む、影を照らすジャーナリストたちが少なからず見えてくるはずに思う。だから私もそうした総意から、こうした意志をもった方々の率直な態度が、愛郷的に日本を好く人々にとっては、意義深いものであるはずだと信じている。

まるで徴兵義務や強制労働的な愛国心が向かう先には何があるのかを。

Ⓒwindyjuly
※12 Jan,2008 一部加筆修正による更新

参考―
COINTELPRO
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/COINTELPRO その他多数


- | comments(0) | trackbacks(0)
スポンサーサイト
- | - | -
Comments
Post a Comment










Trackback URL
http://socialstalkin.jugem.jp/trackback/33
Trackbacks
Recent Entries
Recent Comments
Search this site :