Holy Spirits My Story
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Social Stalkingとはー邪悪な霊魂憑依現象による幻想世界

 

2017年に入ってから書き連ねていた、

支離滅裂な記事の内容は、

邪悪な霊魂の憑依による現象によって、

思考混濁に陥ってしまったためだということを、

これまでの経緯経験から自覚するに至っております。

 

そのため、そうした記述は非公開とさせていただきました。

 

ストレスの過度な溜め込みによって、

精神的な病に罹ってしまうとともに、

上述の霊魂憑依によって、

私はすっかりと現実感を見失っていました。

 

現在は専門家によるリハビリを続けていくことにより、

元の人格を取り戻している最中です。

 

これまでに書いてきた記事の内容は、

見知らぬ人々を疑念の目で見てしまう、

といったものが多かったように感じますが、

現在では、ともに仏教徒であった今は亡き祖母、

行方知らずの母親から宗教に対する信仰心というものを見習って、

目には映らない霊的世界や、その個々の存在を信じるようになりました。

 

私はそうした黙視することはできない、

心の中で感じる世界の中で、

ある新興宗教界の方々の存在によって、

非常に厳しい苦境の中より心身ともに救われるといった経験をしてきました。

 

こうした自覚は、

実体験が伴わなければ理解することは難しいと思います。

そしてまた、苦境に陥っていた同時期に、

ロンダバーンさんの著書「ザ・パワー」との出逢いもあって、

今では人間の本質というものは、肉体よりも魂にあると、

これまでの霊的な体験などにより、そう実感するようになりました。

 

私の場合、今秋、

モスクワに在るキリスト教系のロシア正教会を訪れたり、

その道中で知り得た、

日本国内のロシア系ハリストス正教といった存在を、

幾多の偶然ともとれる導きによって、

その場所に信仰心の在りかを求めるようになりました。

また、仏教の開祖、ゴーダマ仏陀の霊的存在も、

これまでの体験より信じるに至っています。

 

今後私は、これまでの経験経緯より、

前述の新興宗教であるHappy Science Groupに期待感を得て、

その場所に私の信仰心というものを、

より強く育んでいくことのできる場としていけたら幸いと考えています。

 

 

私は憑依現象によって自らを見失い、

最愛の妻と、今夏、突如籍を抜いてしまったことにより、

彼女へ精神的に辛い想いをさせてしまいました。

しかし縁絆あって、これからも彼女と協力して生きていくこととなりました。

 

約10年前より続いてきた社会で生きる見知らぬ人々に対する疑念、

疑心暗鬼の眼、すなわち、

ーSocial Stalkingーとは幻想世界であり、

そうした自覚は人間の肉体への邪悪な霊魂憑依によるものかも知れません。

 

 

最後にー

情報が多すぎて、

信じるべきものが中々見えない現代社会ではありますが、

すべては自分自身の実体験より得た感触を、

その道しるべや拠り所としながら、

手探りで信じられるものをつかんでいけると良いな、

と想っています。

 

ひとりでも多くの方々に、幸せ感が得られる導きがありますようにー

どうもありがとうございましたーgood-by!

 

 

 

 

 

 

 

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さくら―decoy


さくら―decoy


桜の下を歩きながら。

数年以上の前の話になる。
新橋駅前で、当時某商社系店舗のイベントのため、
サンプリングなどのキャンペーンを行っていた。
私はキャンペーンの女性が配布するための箱の運びこみから、
店舗までを行ったり来たりで、冬を忘れたころだというのに、
スーツの中は蒸してしまっていた。

ひとしきり落ち着いてきたころ、私は烏森口の壁に寄りかかり、
缶コーヒーに指をかけたまま、煙草を吹かして休憩していた。

何やら背後が騒がしくなった。目をやると、5〜6名程の壮年後期の男女が、
ドカドカと小さなテーブルを広げ、搬入をはじめだした。
私は横目でその様子を眺めながら、再びサンプリングの状況確認のため、
現場へ移動した。
その後何度か行ったり来たりを繰り返しているうちに、

やがて、烏森口前の小さなテーブルの周りには、人だかりができ始めていた。
何をしているのかと思い覗きこんでみると、腕時計を販売していた。
しばらくその様子を窺っているといると、
「うん千円、うん千円!でいいよ。もう終うから」
何度も同じ調子で初老男性の声が活気づく。

そのうちにふとあることに気がついた。
客の中に、荷物の出し入れをしていた数名が含まれていることに。
そして更に私は目を見張った。
「おじさん安いねこれ、買うよ」と時計を手に取っては、
千円札をやり取りしているのだ。
入れ替わり立ちかわり。彼らは目まぐるしく、時計と千円札を往復させていた。

少し疲れていたせいか、ふと私は言葉を滑らせてしまった。
「詐欺じゃん」

すると、地獄耳のような老婦の眼が、私を睨みつけて声を押し殺し、
絞り出すように言った。
「しっ、さくらっていうんだよ」
そういうとすぐに彼女は、表情を崩しニッコリした。

私はサンプリングの指示も忘れ、しばし彼らの手際の良さにくぎづけになっていた。

しばらくその様子を見ているうちに、カモ客が来た時の、
彼らの高揚も感じ取れるようになった。
さくらとやりとりしているときとは、明らかに「声色」が異なるのだ。
築地市場の活気に似た声で、威勢が良くなる。

中年の眼鏡をかけたグレーのスーツを纏った男性が、その列に加わった。
初老の男性は、野球のサインを交わすように、さくらの女性と視線を交わしていた。
すると、女性は、「カモ」に話しかけた。
「安いねこれ、ねっ、お買い得だわ、買おうかなあたし」
このセリフを、執拗に繰り返していたので、私は吹き出しそうになったが、
先ほどの睨みを思い出して、自粛した。

たたみかけるようにして、初老の男性も言葉を吹っ掛けた。
「うん千円でいいよ、うん千円でいいよ、もう終うから」
すると眼鏡の男性は、財布を手に取り、時計の物色を始めた。
横にいたさくらの女性は、時計を手に取り、また千円をやりとりし始めた。

時計が決まって、男性が財布の口を覗きこむと、少しホットしたような、
半ば困ったような表情で、「あぁ、一万円しかないや」といって、
時計をテーブルに戻そうとした。
するとさくらの女性は、「大丈夫だよね、お釣りあるよね」と、
初老男性に言葉をかけた。
「あるある、それでいいよ」といって、手を男性に突き出した。

彼は諦めたように一万円を差出しつつも、時計を腕にはめて、左右に燻らせていた。
満更でもなさそうだった。と、私が思っていた瞬間、事態は一変した。

なんと、初老の男性は、千円札を男性にお釣りとして差し出していたのだ。
私でもこんな単純な計算ミスはわかる。しかし老人は、堂々と差し出している。
驚いていたのは、眼鏡の男性も同じだった。
「お釣り、九千円でしょ?」と、いくらか悲痛な面持ちで訴えかけるように言った。
老人は千円札を摘まみながら、
「だから九千円だっていっただろ?」と、
嫌がらせをしてくる者のようにすっとぼけて言った。
男性は怒り、「じゃいらないよ、千円ていったから買ってもいいと思ったんだ」。

そのとき、値段を言う前に、紛らわしく「うん千円、うん千円」と、
濁すように値段を言っていた意味が理解できた。
老父はほとんど抵抗することなく、一万円をあっさり男性へ戻した。
それをうけとると、男性は私の横をつかつかと急ぎ足で、通り過ぎて行った。


私も仕事の途中だったことに気がついて、現場へ戻りかけようとした時に、
先の女性が、いつのまにか私の背後にいることに気づいた。
「詐欺じゃないのよ」といって、またさくらに戻っていった。

キャンペーンは、4月12日から数日間行っていたが、彼らをその間数度目撃した。
いつも同じやり方だったから、顔もなんとなく覚えていった。
ちゃんと、売れたのだろうか、そして、
あの時計の本当の値段はいくらだったんだろう。
でも「詐欺じゃない」といっていたから、千円を出せば、
千円で買えるのかもしれない。
それとも人によって値段が変わる、「時価変動性」だったのかも知れない。


夜桜を見かけるたびに、彼らの記憶が過ぎることがある。さくらと繋がってしまっているのだろう。ただそれだけのことだけど、あの人たちの記憶が今でもひっついているのは、物凄い気迫を感じ取ったせいかもしれない。当時の自分よりも、ずっと。

見習うべきところがあると感じながら、私は歩いている。

29 May,2008 windyjuly
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Sparta―透明な鞭から学ぶべきこと



帰宅途中、いつの間にか雷雲が立ち込めていた。
喉を絡ませた怒号のような、空からのサディズムが鞭を振りおろし、
激しい雨を降らせ、それは雹をも降らせた。
激しい頭痛が、彼を鞭打っていた。

精神的な嫌がらせを受けて、苦痛を感じるということ。
この痛みはオブラートに包まれていて、外からは目にできない。

彼は、精神的な嫌がらせを仕掛けてくる方々の気質には、
サディズム的な性的傾倒があるのではないかと、精神分析関連文献を基に推測していた。
そして彼は一晩考えた後、もうひとつ、推察を進めていた。


もし、そうした精神的なサディズムが、彼らに透明な鞭を振るっていると仮定した場合、
やはり自分自身でそうした行為を、拒否する姿勢を示すしかないのではないか。
拒否するという意味には、行為者への意思表示もさることながら、
ここではそれを受ける自分自身の苦痛、痛み、うねりへの姿勢、
というものを、彼はコーヒーを飲みながら考えていた。

「他人を思うように変えようとするよりも、それを受ける自分たち自身の受け止め方に変化をもたらしていくことによって、そうした鞭打ちによる痛みをエネルギーにして、歩を進めていかなくてはならないのではないか。また、少しの刺激は、創造的前進への力ともなるはずだ」。
彼は少し、空を仰ぎ見て呟き、そして続けた。

「強いていえば、私たちは親からスパルタ教育を受けている。そう考えていくしかない。閉ざされた環境に閉じ込めれらている子供たちのように、困窮者の多くもまた同様かも知れない。苦痛を受けているのは私だけじゃない。そして私には、同種の苦痛を知る方々に、何かを施せるほどの力も無い。だから、自分を生きながらも、そうした視線を失わないように、生きていくしかない。だって、自分のためだけを考えているうちは、動けなくなる。停滞してしまう。良識的な誰かの役に立つこと。これを本心に据えていなければ、俺はまた透明なロープに縛り付けられて、そして身動きできなくなるだろう」

これが「人を愛すること」の本質的な意味のひとつではないか。
激しい痛みの雨の中で、彼はスパルタ教育者たちへ囁いた。
明日は春風が雨戸を叩くだろう。

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心理的虐待社会の蔓延と批判―社会的悪性サディズムを問う



自分を顧みることない虐待気質が、他者へ向けて嫌がらせ行うという精神性。これは、良識者たちによる、利害にとらわれない観察が必要かもしれない。単純にこうした陰湿極まりない行為に対して結論を示せば、これは憂さ晴らしであり、サディズムである。しかしここで問うのは、社会的悪性サディズムによる虐待的な気質についてである。

日々、社会生活で抑圧された鬱積の一端を、さりげなく他者へ示すことにより、快感を得るとされる気質者に対する報告がある。もっとも、彼らの多用する手段としての行為には、精神的な嫌がらせとして知られるモラル・ハラスメント行為をはじめ、GPSネットワーク網を通し、標的者個人のプライベートソースを入手し行うとされる、仄めかし活動行為などが確認されてきている。

こうした悪意的な行為を裏付けるソーシャル・システムを確認している。
(2008年3月25日付公広報誌による)
GPS機能付きの携帯電話を活用し、一般には流れることのない不審者情報などのやりとりを、防犯情報として配信しているシステムである。建前と実態。これは筆者が常々、痛感してきていることでもあるが、このシステムを諜報的な活動や、情報提供者の存在、そして情報保全的フレームなどとの総体視から窺うことによって、これらの情報提供従事者並びに配信者側が、サディスティックな気質者であったと仮定すれば、大いにこのシステムが、心的虐待への転用化へと歪められていくことは、人間気質的な角度からも立てることのできる考察として、成り立つものだと考えている。

また一部、歩行中に大きな音を出したりを繰り返し、条件付けを行ったり、車のパッシングライトなどによる、被害意識を刷り込むとした手法が各地で確認されてきている。被害妄想的な議論への反駁として、これらの心理的な虐待行為として利用される、光や音を受ける人的な影響はすでに、イラク有事における収容者への虐待行為として、元米国軍人による内部告発者の存在からも、公的に知られている事実である。(国内ではBSにて放映済)こうした、心身的な虐待行為を利用し、こうした手法を、虐待ネットワーク的な存在者らが用いていると推測される。(※筆者も周囲の虐待参加住民からの類似行為を計測し、継続的に確認済)

またこうした虐待社会下における、子供への心理的発育は計り知れない。多大な心的悪影響を持っていると考えられる。それは、親は社会の影響による心的虐待から生じる苦痛、フラストレーションを受け、そうした親からの発散的影響を受けて、子は育つことからも理解することができる。同時にここには、幼児虐待という養育的問題への入口に対する含みを示唆している。少子問題という量的な問題ばかりが、世の中で取り沙汰されているが、心理的及び質的な面、人間精神的側面からの、養育的義務へのアプローチを図っていかなければならないのではないかと考えている。

意識的にせよ、無意識的にせよ、これら陰湿な精神性を発散させる存在が社会的な有力さを備えたとき、社会一般が受けることになるダメージもまた、悪性サディズム的である。プライバシーを侵害する、心的虐待社会が蔓延っている。荒さがしをし、落ち度を見つけては、天下を取ったかのように高笑い、人格的攻撃を繰り返す者たちの存在は、義務教育内でも確認することができる。


いじめ問題。この集団的な迫害意識がもたらしている、心理的な虐待行為もまた、虐待社会のインフラを示していると推察する。国内の良識者たちが、悪性サディズムに対抗できずにいるのは、気質的な検証から見ても頷ける。そもそも虐待的な欲求が希薄で、また、マゾヒズムに傾倒した気質でもなければ、尚更、こうした混沌とした心的虐待社会への自己介入ができないことも、利害関係的な背景作用もありつつ理解することができる。

彼ら虐待的な行為により、快感を得られる気質というものは、やはり悪性サディスティックな精神気質である。悪性と付けたのは、他者のプライバシーや人格といったものを無視し、あるいはそれらを踏みにじろうとする行為そのものにすら、強い幸福感を得ているのではないか、という疑念にも後押しされたものである。

人間の精神的な気質を束縛することは困難であるし、虐待に快感を覚える人物が社会的な力を持ったとすれば、一般世相に蔓延している、静かな迫害、虐待社会に改善策が示されてこないとした指摘もまた、熟慮俯瞰を必要とするものではあるまいか。

いずれにせよ、学校、職場、そして社会全般に今や暗雲立ち込めるかの如くのいじめ問題、いじめ自殺問題、自殺率世界一という実態を、経済的議論と同一一線上で、国民的直視と議論が必要であると、再度問いかけたい。


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Keep insisting by you.TI knows the fact.I keep insisting.
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レッテル― 社会的迫害



腹の底から疲れが取れた。今日は自分たちの立場にとって都合の悪い人物に、レッテルを張り付け、揶揄し、世論を煽りたてるという行為が、まともな考え方であるのかどうかを問いかけてみたい。レッテルを張り付けている連中の暮らしを想定してみた場合、果たして、レッテルを貼り付けられ屈辱を受け続けている人々よりも、健全だと言えるのかどうか?虚栄心の裏側では、他者を侮辱し打ちのめす、精神的な残虐性を、日々の闘いの疲れ、反動から、困窮者へ吐きつけているだけじゃないのか?抵抗のできない子どもを甚振る親のように、外からは見えず、聞こえない。

そうした精神的虐待行為は、自分たちの愚行を覆い隠すために必要なんじゃないか。自分たちの強欲を満たさんとするがためだけの、虐待行為なんじゃないのか?生きるために喰らう肉牛、羊に似た犠牲的存在であるとも言えないか?

私は辟易している。自分がこれまでに、どれだけの侮辱と屈辱的な行為として捉えうる言動や挙動といったものを反転的に受け止め直し、自分を保ち続けてきたのかを。精神的に血みどろになりながらこうした胸中に辿り着いた。虐待者たちを堰き止めるだけの影響力を持つ方が少なすぎるように思う。どこもかしこも思惑入り乱れて、まともに歩いて行けない。非エリート層の若い奴らが、どれだけ苦境下に置かれているか、主義とかうんぬん、そういうことではなく、単純に人として、社会的な矛盾の犠牲者を知りながら、目にしながら、また自分自身もそうした一人であることを実感しながら、何かしなければいけないのではないかという精神的なスタンスを抱いているに過ぎない。

だから、彼ら一般社会からは見えないネットワークの中で、プライバシーを刺身にされ、レッテルを張り付けられても、私がこれまで記してきた内容は、例え薄学な見地から、立場から投げつけたものであったとしても、私はプロではないが、それ以上にその責任感と誇りを持っている。馬鹿でも何でも、低学歴だろうが、社会的な底辺に属していようが、いくら諜報活動から抜き取られていった生活上の落ち度といったものを携帯電話ネットワークで回されているとしても、俺は自分の暮らしと内面を常に磨いてきた自負がある。

レッテルを張り付け揶揄する層が、私たちを食い物にすると想定したときに、私は、彼らよりも、健全な暮らしを構築していると断言する。私は欲望的に傾きかけそうな自分の姿をとらえては、内心的スタイルを改善し、実社会生活で染み込んだ悪癖を、ひとつづつ洗い落としてきた。それは禁欲的という意味じゃない。自分がそれを必要としたからだ。結果を求め、自分を追究し、切磋琢磨を続ける、そうした一個人の暮らしを、合法下において「監視」するということは、絶対に的外れな仕事だと考える。私など監視し、心身虐待したところで、監視者の暮らしの方が心理的には荒廃していると思うし、現実にそうじゃないか?

レッテル。これで人は、その人をわかった気になってしまう、恐ろしい影響力を持った色付け。赤だの青だの黄色だの張り付けては、人格にネーミングをつけてみては自動思考的に決めてかかる。しかもたいていの場合、このプロパガンダ・レッテルは、侮辱や迫害に使用される。人を追い込み、どこが幸せか?何が喜ばしいのか?それで人生が豊かになるのか?いつの世も争い好きだよ、

迫害主義、虐待、レッテル、拷問といった、人類の心理的内面に抑圧されていて、社会の表面からは姿を隠す影のような疾しさが、美麗美句でごまかされていく。レッテルによって事実を惑わされ、本質を解釈できなくなる。この国の全体を見渡してみればわかるはず。立派な建築物が立ち並ぶ影で、一体どれだけの人々や人生が踏みにじられてきたのか。アジテーションなんかじゃない。事実だろ?

レッテルや表紙の見栄えだけで決めてきたから、集合的思惑の強弱に歪められてきた、多くの生活者たちの困窮的現状がある。私には色などどうだっていい。I like all collar.これは、選挙に当選するための標語じゃない、見え透いたコピーじゃない。私は全色を混ぜ合わせて、カンバスに描きなぐる、売れない絵描きだ。描き書き続けている。

17 March,2008 windyjuly
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修正
この国のどこにも、虐待者たちに対等に渡り合えるだけの力は皆無に等しい。
→虐待者たちを堰き止めるだけの影響力を持つ方が少なすぎるように思う。
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疲れ―新しいバランス感覚


昨日の私は随分と疲れていた。

社会的な問題意識というものに触れ得る情報発信をする以上は、ジャーナズム精神が必要だとかねてから思っていた。しかし今の自分にはまだ、そうした力量は伴っていない。だから、現場を知る生のジャーナリズムに触れる機会を求めていた矢先、イスラエル軍事行動による犠牲状況の報告会があると知り、早速参加した。

この日、主催ジャーナリストは、「これ程参加者が多いとは想定していなかったので、問題意識を持った方が増えていると実感した」とする趣旨の言葉を発していた。最後部座席に着いていた私にも、その光景はよく理解できた。明大内の広いとは言えない講義室は、満席だった。


しかし前日の疲れのせいなのか、やたらと頭部が重たい。
数十分程して、じわりと発生しはじめた身体的な症状に、とても傾聴できる状態では無くなったため、ジャーナリストと挨拶を交わし席を外した。折角の学習機会が、こうした形で流れてしまったことは無念だったが、今後もジャーナリズム精神というものを習熟させ、それを私なりのアプローチを通して具現化していきたいと、思いを強めた日になった。

しかしこの日、疲れのとれない私の周囲では、気がかりなことが散らかっていた。

テロ警戒による警備体制の影響であろうか、救急車やパトカー、そしてヘリコプターが、頻繁に行き交っていた。神保町の古書街を歩いていると、若者がスタスタと走り去っていく。何事かと思い顔を向けると、「万引きだ、捕まえてくれ」と叫ぶ男がいた。私は帽子を被り直し、手にしていた美術の書籍に、今一度目を向けた。

途中、「バカのくせに」いう風圧を耳にした。学生のようだったが、快活な笑みで仲間と打ち解けあっていた。私はエリートじゃないからその言葉に該当するかもしれないが、無知の知という心境を胸に据えて、再び歩き出した。

明大前では、老婆が道端に腰かけていた。通り過ぎようとしたとたん、彼女の口元からは、桜に似た淡いピンク色の、ガムの塊のようなものが飛び出していた。突然のことだったので、私は目を丸めたまま、それ以上は深く凝視せずに道を下って行った。

小諸そばで軽い昼食をとっていると、がらがらの店内の真向かいに座った男性が手にしていた財布が、以前私が使用していたものと同じものであったため注視したが、すぐに蕎麦へと戻る。

銀座から有楽町まで歩くと、三月も半ば、汗ばんでいることに気づく。まだ桜色は見えない。その途中、外国人観光客と多くすれ違った。気のせいかもしれないが、すれ違いざまにウインクをされ、歳柄も無く視線を外してしまった。非常に美しい西欧系の女性だった。また、しきりに「カラ素振り」を繰り返すアメリカンベースボール少年がいた。「メジャーリーグ?」と、私は呟くと、懐かしい記憶も一瞬通り過ぎていった。

銀座のハンズ画材コーナーへ立ち寄ってみたが、あまり種類が無かった。その時、あるエリート風の男女が、「グッズにでもして造って売ればいいじゃん、なぁ」「そうだね」などという会話のやり取りに触れる。実益的な貴重な会話だった。その場を後にすると。45と番号の描かれたバックを持った若い子たちを多く見かけたが、ブームなのだろうか。そしてエスカレーターの途中、いぶかしげな表情の店員が、人ごみの中で見え隠れしていた。何かの、キャンペーン中なのだろうか。彼も疲れているようにみえた。

店内を出ると、「HERO」という文字と、SMAPの男の顔が、トレーラに描かれていた。「世界はヒーローを待っている」というアナウンスが、彼の声で発せられた。そう、確かに、こうした荒んだ世の中には、映画やドラマの中から飛び出した、本当の勇者が必要な時代であると痛切に感じた。

余談だが、私が学生の頃、友人と共にドームでコンサートスタッフのバイトをしたとき、SMAPの居る控室で待機したことだあった。ローラースケートを履き、颯爽と路上を滑っていく「光Genzi」や「少年隊」「男組」が活躍していた時代だった。その時、バイトの連中を睨みつける彼らの気迫を、青年期の私は感じ取った。友人もそれに頷いていた。


優越感が男女意識を支配して、困窮者にレッテルを貼り付け、固有名詞化して、人間という相対的な存在を一側面でのみ方向づけ、人を判断しようとする雰囲気の中では、主義や主張を踏み越えクロスオーバーさせていく繋がり、新しいバランス感覚というものを、今時代は早急に必要としているではないか。すべては人間的な個性であるとした、侮辱的にならない批判とともに差異を認めあうことのできる精神的なスタイルが芽生えていけば、立法的な拘束的な枠組みも、議論も不要になるはずなのにと口外して見ても、やはり空論でしかない。

私は本来、抑圧的な法管理には、どちらかといえば、否定寄りになるかもしれない。束縛は好みじゃない。これまでの立法化を促してきた持論との矛盾、乖離を感じるかもしれないが、人間精神にとって、抑圧は新たな歪みを排出し、その力を良識的にコントロールしようとするならば、精神的研磨が必須になると思っている。だから以前にも述べたとおり、あらかじめ負の要素から生み出されたエネルギーを流し込めるだけの器が無くては、それは困難だと思っている。総体的な視点から、社会的実態に対する現状緩和策として、西欧諸国などの取り組みに習い、緩やかな立法促進化を謳ってきたことを示せば、誤解も幾らかは中和されるはずだと思っている。

大切に想う、想ってきた人に触れるような、理想的空論の中から、時代は「HERO」を求めている。だから、人間的で新しいバランス感覚New Balanceを持った人たちが、世の中に息吹きの芽を伸ばしていって欲しいとも思う。混濁した時代に踏み出しているが、芽はコンクリートを突き破る。そのことを、帰宅途中の道端で想い、しばし感慨に慕っていた。


この日私はとても疲れていて、電車の中づり広告のコピーにさえ、自分への示唆を感じてしまう程の錯覚を催していた。やはり、休息も必要だ。しかし疲れているのは、この電車に揺られている人々も一緒。皆きっと疲れている。


16 March,2008 Ⓒwindyjuly
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Letter of wind―風の便り 〜


Letter of wind―風の便り
携帯電話の用途


風の便りが届いた。〜

私が現在までに陥ってきた精神的及び心理的苦痛、
また、かつて経験したことのない、
不自然な痛撃の発生といったものに対する対処を示したい。

これらの様々な迫害的苦痛は、社会に一切容認されることなく弾かれ、
むしろ、それら症状を公的機関などへ訴えることにより、
精神病質的な問題として扱われうること、すなわち、統合失調症、あるいは、
精神性人格障害としての疑いを持たれてしまう可能性が少なくない。
これらは、力学的な社会構造観点からも理解できる通り、
現状では成す術のない状態である。

私も当初、周囲で迫害的な挙動や嫌がらせに気付き始めたころは、
例えば投げ捨て入れられていた紙屑を目の当たりにして、
あれこれと原因を模索してきた日々があった。
すかさずそのタイミングで、
背後から大きな笑い声が届いてくるようなことが幾度も繰り返されたためか、
心理学的な予備知識がなければ、
すっかり負の心理的条件付けの形成化から、
パブロフの犬になってしまったかも知れない。
そのくらいの激しい頻度で、その繰り返しは記録されてきていた。


私の持つ携帯電話には、三つの用途がある。
一つには、電話。
二つには、メール。
そして三つ目に挙げるのが、「マイク」としての役割である。
これはレコーダー(camera含)としての付加用途を含んでいる。

自分の身の回りで起きてきた迫害的な人為的異変、というものに対して、
それらが精神病質的ではないことを、物理的に実証するだけの可能性を持った客観的な検証や測定を含めた記録、といったものがある場合、自分に否が無いことを示したいときのひとつの主張の形として、以上に挙げ連ねた用途法の活用も、心理的なストレスの排出的な拡散を兼ねたアピールとしての有効性を持っているのではないかと考えている。


移動中などにも、マナーが良いとはいえない方々を、
以前に比べて目にすることが多くなった。
唾やガムを道端に吐きつけていくという行為を目にすれば、不快であるし、
のどかな気分でいるところに、ジロジロと視線を泳がされれば、
それらが決して気持のよいことではないことが分かると思う。

そこで、そうした外部刺激に起因した不快さによって、
新たな着想が生まれてくることもしばしばある。
そういうとき、私はそのアイデアや、感情といったものを、
メールに書きこみ、まれに自分に送ってみたりすることもある。
それらが決して、監視層を意識した悪意的なものではないことを断わっておきたい。
あくまでも、自身の着想及び、感情に対する客観的な視点形成の促進化を目的とした、いわばアイデアである。
以上が二に示した、メールの活用である。

そして、一の電話はそのままの役割であるのでここでは省き、
三の、マイクとしての用途を紹介したいと思う。
私にもかつて、演劇的なものに憧れた時代があった。
そうした願望は今ではすっかり干からびてしまったが、
前述のような、ふとした憤りをきっかけにして、以前の記憶、
願望めいたものが表出してくることがしばしばある。
そういうとき、私は携帯をマイクにする。
そして、電話先の相手を想定して、自己内部で燃焼し始めた感情に対する、
出口を与えている。
またこうした行為には、一般者に対する視点への留意も含まれている。

携帯電話を直接頭部に近づけ会話することによって、
脳に吸収される有害電磁波が、
ガンなどの疾患を誘発するといった学術的な根拠も発表されてきている。
それではイヤホンで会話、となるのも問屋が卸さず、
逆にイヤホンがアンテナの役目を果たすという報告がある。
ある研究では、イヤホン使用による会話によって、
通常使用の約三倍ほどの有害性増強が認められている。
そしてそこから先を追っていくと、やはり、
研究的な議論はみごとに二分化されている。

通常使用の方が有害性が少ない、いや、イヤホン使用時の方が有害性が減少する、
そしてその逆もありきで、
いったい、これら真っ向から対極にある研究成果に対して、
一般人はどちらをとればいいのかが、わからない。
むしろ、その対極にある研究結果に対する、置かれた立場や背景を含めた、
双方を研究することも、今後重要になるかも知れない。
とにかく現時点での結論としては、なるべく使用時間を控える、
ということしかないのではないか。


このような経緯から、アンテナマイクを率先して使用していた時期もあったし、
また使用者をみかけることもあったが、やはりハンズフリーで歩きながら会話していると、電話しているようにみえず、一瞬通りすがりの人々の奇異な視線を惹いてしまうため、アンテナマイクを使用していても、やはり、携帯は手に持たったほうが不自然さがない、ということを実感してきた。
そうすることで、一般者の奇異な視線を回避することもできるし、演劇的なセリフや練習として内在し湧き上がってくる表現欲というものに対する昇華的側面もあると思っているし、または内的な突発発生的な心情を、メールやマイクを通して、自己確認することも可能になる。

これら合法的使用方法はもしかすれば、
周囲への極めて静かな拡声器としての存在的有効性も有しているのかもしれない。

このような携帯電話の用途を、自身の資質的特性にフィードバックさせた活用方法によって、着想の健忘録、客観視確認といったものや、自分の表現欲というものに出口をあたえるマイクとしての役割もあることを示すことができたように思う。

但し、これらはあくまでも持論であるため、もし参考にされる方がいたとすれば、
自己責任的な観点にも留意していただきたい。

8 March,2008 windyjuly
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Making Glad


Making Glad

「潜在的な不安に対する、一打開策イメージ案」
※このVisionの著作権は放棄します。

都市圏または、都市周辺区域にキャンプ場を用意し、
または、公園を増やしていくことでその代替えを図り、
生活困窮者へ緊急的な住の確保を施していく。
キャンプ場居住者はこの場所に住民票を移すことができる。
またキャンプ場管理者は、倫理的道徳性に優れた人物を雇用。

経営層を公募し、失われつつある銭湯spa、
周囲にはキャンプ用品店、食料品店や衣料品店があり、
各店舗での雇用はキャンプ生活者により維持され、
一般人も気兼ねなく利用することができる。
また、キャンプ居住者において、特殊な能力、特技を有する者は、
場内に設置するマーケットで、販売する場もつくっていく。
率先して、一般者への宣伝を行い、
場内のクレンリネスとともに相互の、
協調的安全性を重視していく。
キャンプ場利用者のルールとして、
他者への侵害的な行為などを行わないようにすることがある。
そうした心理的な側面を理解することのできる図書を、
積極的に導入していく。
また、集団的圧力による、個人への迫害に該当しうる行為は厳禁とする。

そうして経済的な基礎を再構築できるだけのサポートの場を提供し、
一般市場へのリターンを促す日本社会の底辺スパイラルを形成していく。

※順次改訂
JUGEMテーマ:健康


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Tree of sacrifice-犠牲の木


Tree of sacrifice

Tree used for this objet.
This tree rotted when I noticed the influence of a social problem.
I think that this tree was a sacrifice.
This is small objet that showed the distortion of resentment, sadness, and the world.

This objet is unfinished.



Tree of sacrifice-犠牲の木

小鳥たちがよく立ち寄っていったこの木は、
外壁に寄り添うように立っていた。
周囲で異変が起こり始めた時と同期するように、
立ち枯れて、朽ちてしまった木。
私はこの木が、犠牲であったと感じている。

各種社会問題の実態に触れて知った道中で、
その憤りと空虚な感懐を刻み込み、
誰彼問わずの犠牲者への追悼と、
人が利己的な解釈のもと、
身動きも取れないほど、捩じ曲げられてしまう、
歪みを止めない悪意に対する反駁を、
自己と地面に突き刺し、小さなオブジェにした。

これは今後、少しづつ形を変えていく。
7 March,2008 windyjuly


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あの日のオッサン―作用と反作用


人には誰でも、自分にとっていい影響をもたらすものと、
消極的な影響をもたらすものがあるはずで、
お金の使い道に例えてみればわかりやすくなるかもしれない。

後者の重みに足踏みを繰り返してきて、
自分の"Vision"にとって必要なものとは何かを、
補うべき知識はな何なのかを、
図書館の片隅で探しまくった時期があった。

中野ゼロホールの広い図書館でも、社会の陰影を観ることができた。
新宿中央図書館にも足しげく通い続けていた。
日比谷図書館へ仕事で立ち寄ることも少なくなかったが、
いずれの場面でも、救われない人々の姿が、横たわっていた。
資料を抱えたスーツ姿の私は、公園のベンチに腰を下ろすと、
辺りには同じような人々が、スーツ姿に交じって横たわっていた。


「よぉ、アンちゃんよ、リッチそうだな。タバコくれよ」
東京駅で声をかけてきた年配男性の背後には、
図書館で横たわっていた人々と同じ影があった。
当時喫煙者だった私は、胸の内ポケットから煙草を取り出して、
数本差し出した。
「サンキュー、アンちゃん。おまえ出世するぞ!」

オッサンはそう言って嬉しそうに、
仲間のいる場所へと煙草を掲げながら戻っていった。
私はこの時の体験をモチーフにして、創作したものを護国寺にある講談社へ、
直接持参したこともあった。時間を費やして描いたものは、あっけなかったけれど。

退職後はもっぱら、起業を念頭に置いた情報収集やリサーチ、
ビジョンの再構築といったテーマの片隅で、そうした活動も進めていったが、
いいきっかけとはつながらなかった。
それが実力なんだろうと、諦めかけてみたものの、
気づけば自然に、別の形を手掛けているようになっていた。


今、勝った負けたという世の中の誤差が、次第にその幅を広げてきている。
もちろん、ここから発するネット内でこだまする響きなど微弱なものだし、
弱者の戯言に過ぎないという指摘も否定しない。

でも、そうした言葉の中にあるエネルギーを手繰り寄せ、
飲み込まなくてはいけないと思ってきた。
作用と反作用。
この戯言から、自分をどう突き動かしていけばいいのか。


世の中の情勢は、老若な足を引っ張り続けている。
そうした不安感から以前、株式を運用する必要性を感じて、
同時に、経済的な勉強とを兼ねてスタートした。
経済的無知他も手伝って、想定した思惑とは異なる流れに、
気付けば思考が流れていってしまったけれど。

そういえば投資準備前に、大和市にあるブックオフで、
森永卓郎氏の単行本を購入した。
彼の著作に影響を少なからず受けて、結局投資活動も始めたのだが、
その購入したページの最後に挟まれていたレシートを見て呆然とした。
それは、都内で住んでいたマンションの目と鼻の先にあった、
見覚えのある小さな書店名が記されていたものだったからだ。
これらに関連した異変はつらづらとあるが、それはまたいつかの機会にしたい。

風の便りで知ったけれど、
弱者の代表とか代弁とか、そうした思惑など一切なくて、
本当に自分が感じて知り得てきた問題意識というものを、
文章に置き換えてきただけだ。
試合の最中に、ヘラヘラしている奴がいないように、
発信する以上、内容には責任も持たなければならないから。
私には、世の中に隠さなければならないことは何一つない。
必要ならば、すべてを書き殴る用意もある。


人生が負の連続の中で刻まれていることに気づいたときに、
考え方一つでまた、踏み出すことができると思う。
私は経済成功者じゃないから、こんな言葉を並べてみたって、
薄い響きしか残らないと思うけど、
でもこうして述べてきた考えを軸に据えながら毎日、自身を続けている。

世の中は結果だけを評価基準にする時代色を強めている。これからも。
だけど、負の力を受けたときに、自分の内部から発生する反動をとらえて、
そのエネルギーをどこに向けるのかが大切だと思っている。
それをいい形へ流し込んでいくためには、
「まず、『ビジョン』がなければならないよねっ!」ていうことを、
青山のデザイナーさんと熱く、語り合っていたっけ・・・。

だから自分に振りかかってくる物事のすべてには、
正負の作用があることを理解している。
作用と反作用。


東京駅で言われたあのオッサンの「出世するぞ!」という言葉は現実じゃないけど、
いつかお礼をしたいと、ずっと思っている。本当に。

4 March,2008 windyjuly





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ストレス&コンプレックスコントロール


ストレス&コンプレックスコントロール

・自律神経法などにより、リラックスした状態をつくりだす方法

・太陽光を浴びて、セロトニン減少によるうつ症状を防ぐ方法

・観想や内観などの静的な方法


これらの他にも様々な専門的な手法はいくらでもみつかると思いますが、
重要なことは、呼吸を整えるという点にあると実体験から理解しています。

ストレスによる極度の緊張感の高まりに対して無防備でいれば、
高い確率で神経症を誘発し、その後うつ症状とされる状態に陥ることは専門的に理解されています。それは薬事治療への方向へ向かう結果となります。

このとき参考になるのは、プロスポーツ選手を始めとして浸透している、メンタルトレーニングも有効になると考えます。彼らは非常に緊張感の高い継続的な場で、結果を求められることはご存じだと思います。そうした場面では、緊張を抑えるのではなく、むしろその緊張自体を否定せずに体感していくこと。

同時に、俗に言う自己暗示的に肯定的な思考を形成していくことで、ストレスの発生する場面において、自分の神経回路反応を、事前につくっておく。そしてリラックスした状態から、緊迫的な場において、自分の能力を発揮できるメンタリティを培っておく。そのような心理的な強化を自らに促していくことも、恒常的に緊張状態に置かれた人々にとっては、非常に参考になると思われましたので、提供させていただきます。(私がスポーツに取り組んでいた時、こうした理論を導入していたら、もうちょっとマシな結果が残せたかもしれません・・・)

いくつかの専門文献が出版されていますので、書店などへ出向き、ご自身でページを捲ってみると、自分に必要なものが見つかると思います。

セロトニンの減少により、うつ症状の誘発とともに、一部の文献では、衝動的かつ、暴力的な傾向になることが知られています。これは自殺的な衝動や空虚感とのつながりも議論されています。日光浴により、これらの現象を防ぐことができると確認してきていますし、体験的にも理解しています。ただし、長時間強い紫外線を浴びることは、皮膚がんの原因因子として警告されていますので留意が必要のようです。

不快な条件付けによって、誘発されるフラッシュバックが、潜在的なコンプレックスと結びつき、よりネガティブな心理状態を加速させていくことがわかっていますので、こうしたソースなどを参考に、メンタル面における均衡を保つことも重要になると思います。

私は人の持つ自己免疫力を肯定的に解釈してきたので、専門家による専門的な治療やアドバイスとともに、参考としていただければ幸いです。

2 March,2008 windyjuly

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※これらメンタリティな手法には一部、
詐欺商法的な悪意へと陥る要素を含んでいることに、十分ご留意ください。


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Japanese Soul Musician―Yutaka Ozaki


昔、不自然な死に方をした、Japanese Soul Musicianがいた。
私は彼が歌う内容に、一部自分の心境との共感を得て、振動を覚えた時代を過ごした。
それまであまり邦楽に対して嗜好を持っていなかった私にとって、
彼のクリアなボリュームは、奇妙な世界の一片を描く絵画のようだった。

都内で暮らしていた頃、住んでいたマンションの近くには、彼がよく出入りしていたというバーがあった。バーに掲示されていた「週刊誌」の張り紙から、彼が出入りしていたことを知った。
そのバーは、近所に住む元プロレスラーが経営する店だったが、今はもうその場所には無い。
学生時代に、彼の音楽を買い集め聴いていたことと、その関連性は偶然に過ぎない。
しかしそこで暮らしているうちに、幾つかの不思議なシンクロが、私の身の周りで渦巻いていることを知った。まるで導かれているかのようにさえ思ったこともあるくらい、「偶然の一致」が散らばっていた。後に知った、彼が住んでいた実家が、電車で十分ほどの、すぐ近くにあったという偶然を含めて。

私は彼の生い立ちや経歴などに関する知識には詳しくなかった。ただ、彼が亡くなったニュースを耳にしたときには、多くの方々と同様、ショックを受けた。周りの友人たちの反応といえば、それはとてもクールなものだった。というよりは率直に言って、彼を無意識的に嫌っているようだった。私の顔を見て突然「I Love You」を口ずさむ者たちが、知人を含め目立つようになっていった。戸惑いを覚えた時期もあった。私が他にも個性的な曲を聴いていることを知っている知人らが、なぜ彼のみにこだわるような振る舞いをみせてくるのかが理解できなかったが、あまり気にしないように努めていた。


それから数年後、クライアントがある信濃町駅ビルへ毎日のように出入りしていた。そこには大手広告会社社員らを含め多くの人々が頻繁に行き交っていた。赤坂のTBSへ出入りしていた時期もあった。そんな矢先、当時住んでいたマンションがTBSで放映されていた。また、近所の高田馬場で夜、食事をしていると、TBSクルーがどこからともなく突然現れ、取材を依頼してきたこともあった。有名コメディアンと婚約中のOプロ芸能関係者が一時期中途入社してきたこともあった。
そうした「ただの偶然」が散らばる、殺伐とした業務に明け暮れ続けた日々の中で、時々彼の歌声がふと耳元をかすめていくこともあった。私は当時、それ以上仕事を続けていたとしたら、現在ここでこうしてタイプを続けてはいないだろう。そこまで追い詰められていた時期だった。化粧室で吐血したとき、自分の顔を鏡でじっとみつめた。目に見えないストレスの蓄積にやばい、と思ったそのとき、彼の曲に表現されていた真意の断片を、本当の意味で実感した気がした。
その翌年、ポジとネガな心境が混じり合う中で、辞表をバックに差し込んでいた。
 

最近、彼のアルバムを引っ張りだし、久しぶりに彼の音楽に耳を傾けていた。
浅はかな日常を過ごしていた頃とは、また違う響きを持っていた。年を食って、感じ方は変わっても、やはりストレートに届くのは彼の音楽が「Soul Music」だからだろう。普遍的なものだから干からびることがない。
あるMusicianは、「自分の曲を古い新しいで見てほしくない」と語っていた。


いつまでも、歌い続けることを約束します―代々木オリンピックプールで彼は観客に告げていた。
この男ははいまでも多くの人に、その約束を守り続けていると思う。
私がもし老年期まで生きていたとしても、
そのときに、哲学書のページを捲るように聴いていたい音楽の中には、
彼の歌もストックされている。
彼は世の中にパージPurgeされていった、ソクラテスのような、
Soulな哲学者だったのではないかと思う。

2 March,2008 windyjuly

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善意の有力者に宛てた手紙


公開終了― 政教一致×2
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Orchestra― 自己責任論の背景


Orchestra― 自己責任論の背景

「自分の不幸を親や社会のせいにする心理。うまくいかないのは自分だけの責任じゃない」

こうした主張を耳にすれば、誰だって「こいつは自分の能力の無さを、社会のせいにする卑怯なやつだ」。
そう感じる方々が支配的であることは十分に承知しているし、自分自身もよく理解している。
ではなぜ、そうした主張を否定しないのか。

それは、長らく様々な情報や実態に触れ、それらと自分が体験してきた実感との符号が、そうした認識に至らせているからだ。単純に聞きかじった思い込みではない。それに、社会的な公害等といった歴史的事実は、調べていけばいくほど、主張者の声に耳を澄ませば澄ますほど、社会の状況というものは、今も昔も、権力構造が支配的に振舞っているという実態を嫌でも理解しなければならなくなる。

したがって、自身に思い当たる状況との接点とを前提にして、不満に対する社会的責任の転換というものでは断じてなく、状況に対する説明であり、自己の責任においた主張として置いている。これは例えば、法廷における弁護に値する。

法廷では、お互いの正当性と、相手の非難が衝突する。そこに弁護人という第三者が、「客観的な」専門的立場からの弁護を、それぞれに行う。もしもこの場において、相手の非難を一方的に飲み込んでしまったとしたら、自分の主張するべきところを取り下げてしまったとしたら、いったい誰が自分に降りかかる雨から身を守れるというのか。そうして「公正的な尺度から」裁判官は、判決を下す。それが、社会的な罪と罰という決定がなされる場である限り。法廷外でも、傘を自分で手に持つように、自分自身の身を雨から保護しなければならないと思う。歴史は法廷におけるモラルの基準、その変動性も示唆している。だから、本物の裁判官は、それぞれの状況、環境、時代によって存在するとも言えるししないともいえる。言いかえればそれは、「公正な」という意味になる。

そうした心境的土台を基にして、自分やその他の理不尽な状況に陥った見知らぬ人々との共通言語を以て、責任転換ではなく、社会の持つ責任の追究とした意味合いからの指摘と主張をするようになっていた。それは戦っているというよりは、闘っているという心境である。そして社会という共同体を考えたときに、困窮した立場に置かれた人々に対する保護や責務といったものは、税金という予算枠に対する決定権を持つ国、政府、与党に、そしてそれら義務を指摘し、見過ごしてはならない野党を含めた公人、公務員他、それらの天下りとしての繋がり先に至る人々にあるはずだ。権力にあるはずだ。間違っていますか?この考えが、反政府的であるとすれば、それは人間ではなく機械人形として生きろという抑圧的命令に等しい。それは私が幼少、買ってくれる約束だったものを、いい加減な言い訳ではぐらかされて反故にされた、親に対するあのころの腹立ちさと似ている。

言い逃れや弁解、責任逃れといった脆弱な心境から吐き出している言葉じゃないことを示しておく。無論、理解は求めない。もう、こうしたコインテルプロ(Counter Intelligence Proglam)という監視環境下で生を刻んでいる可能性を払拭できない以上、何をやっても排他的論調によって情報操作propagandaされ、信用や人格的な攻撃を促す社会全体的な世論風洞、誘導されていく傾向にあるということは、歴史からすでに学びとった。市民諜報といったところで、現実には人格的な粗捜しが横行しているということは、これまでの記録に目を通すたびに思い廻る。こうした実態を認識する人はいつも少数だから、世論への感応はありえない。報道力もなく、民意を示すデモを否定はしないが、それはあまりにも無力に思う。でも人々の主張を強圧的に封じ込めることは絶対に不可能なことも歴史的な事実。物事は決して一方のみでは成り立たない。だからといって、暴動へと発展することが、更なる不必要な犠牲者を生みだす惨状である以上、それを肯定することはできない。

だから私は、見知らぬどこかの街で、自らには責のない不遇状況に陥っている人々が、バラバラではあっても、徒党や団結といった、目に見えるものではなくとも、それぞれが、それぞれのスタンスで、自分の中にある楽器を演奏すればいいのだと思っている。演奏し続けていけばいいのだと。それが、連携のもうひとつの形ではないのかと。いらぬ期待感をもたせるつもりはないが、もしかしたらいつの日か、そんなバラバラだった音調が、いつの間にか調和していき、まるでオーケストラのように、美しい音楽を、街々に、奏でていくのかもしれない。

私は社会的構造矛盾による犠牲排出に対して批判的であると同時に、誰からの批判よりも厳しい内省家としてもありたい。それが私の人間観、理想像。
To the person who keeps fighting quietly.

22 Feb,2008 windyjuly
26 Feb,2008※一部加筆修正
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White Rose―ナチスに咲いた白いバラ





ナチス・ドイツに咲いた白いバラ。
Sophia Magdalena Scholl( ゾフィー・ショル)−1921年5月9日 - 1943年2月22日
非暴力によってナチス・ドイツへの主張を続けた末、大学構内でのビラまきが発覚し逮捕。死刑判決を受けて即日処刑された21歳の女性。同時に兄のハンス・ショルやクリストフ・プロープストも処刑された。独裁国家Despotic state、全体主義Totalitarianismにおける、一般人の立場や処遇に触れることで、現代監視社会の加速化が示唆する未来図を手に取ることができる。

ゾフィーにはダンスパーティーで知り合ったフリッツ・ハルトという婚約者がいたが、大戦勃発により徴兵され、ふたりは時代に引き裂かれていった。彼は入院中、彼女の処刑を知る。そしてフリッツは戦後、ゾフィーの姉と結婚。裁判官を務めながら平和運動に参加し、2001年に死去。84歳だった。

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ゾフィー・ショル Sophie Scholl
 私はもう一度、すっかり同じことをやるでしょう。
 考え方のまちがっているのは私ではなく、
 あなたがたの方なのですから。

ハンス・ショル Hans Scholl
 今、生きるということが絶え間ない危険と同義になってしまった今。
 しかし、僕自身が危険を選んだのだから、僕は自由に、縛られないで、
 目標に向かって進んでいかなければ。 
  
※引用 白バラの庭 http://www.weisserose.vis.ne.jp/


http://en.wikipedia.org/wiki/White_Rose


1991年発行の切手
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Rose

Sophie Scholl - Die letzten Tage
http://www.sophiescholl-derfilm.de/
白バラの庭
http://www.weisserose.vis.ne.jp/
White Rose - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Rose
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゾフィー・ショル

Amazon.com Sophie Scholl and the White Rose Books Jud Newborn,Annette Dumbach
http://www.amazon.com/Sophie-Scholl-Newborn-Annette-Dumbach/dp/1851685367/ref=pd_bbs_sr_1?ie=UTF8&s=books&qid=1197572480&sr=1-1.html
http://www.amazon.co.jp/白バラの祈り-ゾフィー・ショル、最期の日々-ユリア・イェンチ/dp/B000GQMKI8/ref=pd_sim_b_1/503-7651178-3031131
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Okegawa stalking murder case―桶川ストーカー事件
桶川ストーカー事件

グループ・ストーキングは公にはなっていないが、その片鱗が、桶川ストーカー事件に垣間見れる。

「嫌がらせを受けていた」というご遺族の言葉の中には、「犯人から」ではなく、「犯人たちから」とあった。これが、グループ・ストーキングとして知れ渡らないのはなぜか?

グループストーキング、ネットワークストーキング、gangstalking、集団ストーキング、Organization stalking、組織的ストーキング、ネットワーク・ストーキング。
呼び名は様々にあれど、これらは、単独的な行為だけではない実態を指摘し物語っている。

単独でのストーキングには、桶川ストーキング事件の影響によって、立法措置が講じられているが、複数人によるそれは誰もが知っての通り、社会的な議論はなされていない。むしろ、後者は懐疑な扱いと失笑を受け、被害妄想者としての型にはめられ揶揄される。

これで理解できるでしょうか。複数によるストーキングが、世論叩き台にのせられない理由と共に、隠ぺいされる意味がここに存在する。おそらく、ご遺族の方は痛烈に、身をもって実感しているに違いない。
「犯人による嫌がらせ」ではないのだ。
「犯人たち」による嫌がらせだったのだから。この殺人事件は。
ご遺族にとって報道は、加害者であり、味方でもあったと記されていた。
報道の二面性によって、娘さんを二度殺されかけたとさえ、ご遺族は語っている。
どうして未だ、単独犯による立法整備しかなされていないのか。

係わっているからではないのか。グループ・ストーキングに。
コインテイルプロという、FBIで開発され人々を駆逐していった歴史的な政府公認嫌がらせ行為を源流にして、今世の中を、エネルギーの波に同乗し水面下で駆け巡っている粛清。
グループ・ストーキングの存在を否定いや、”すっとぼけ続ける”理由を、
すべての民衆に、明瞭に示せ。
武器も持たず、報復の権利も持たない私たちに。


11Feb,2008 Ⓒwindyjuly

〜桶川・栃木・牛久の三国賠訴訟の勝利めざして〜
http://okegawa-support.web.infoseek.co.jp/topic060816.htm
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Prose area
He liked cherry blossoms.
But, it was not possible to become cherry blossoms.
Therefore, I decided to eat cherry blossoms.
It ate every year of every year.

He need not eat the recollection any longer.
His life is not bound with a transparent rope.
Fin.

29 March,2008 Ⓒwindyjuly 
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Is not the one that the meaning of happiness is felt in a painful environment?
苦しい環境だからこそ、仕合せの意義が感じられるのではないか?

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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Two quiet people

Two young people had uttered a sigh in front of the real estate agent.
The man muttered, "I'm sorry" toward the show window.

The woman whispered.
"Let's go on a trip tomorrow."


クワイエット

若い二人が、不動産屋の前で溜息をついておりました。
彼は寄り添う彼女に「ごめんね」と声を掛けておりました。

その瞬間、私は少し嬉しくなりました。
「ねぇ、明日、旅行行こうよ、ね」

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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I think that I live like the person who waits for the execution of the capital punishment.I feel pleasure its life now.

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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嫌がらせからでも、何かを学び取ることができる。
明日へつなげていくために、立ち向かっていこう、今日も。

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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人を殺す言葉と、人を生かす言葉がある。

March,2008 Ⓒwindyjuly 
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Look up, please

The student who held the rucksack was sitting on the seat of the train.
I thought that she was sleeping.
But, she was watching the cellular phone.

Then, her body began to tremble little by little.
I hesitated whether to multiply the voice.
She seemed to be crying.

"Cherry blossoms bloom soon"

The student looked up like reacting to my mind.
And, she stared at me.
Strange timing


Look up, please

リュックサックを抱えて、俯く学生が電車のシートに座っていた。
長い前髪のせいで、眠っているのかと思ったが、
携帯電話を手にしていた。

彼女は携帯の画面を覗き込むと、小刻みに震えだした。
車内には数人しかいなくて、私は声を掛けようかどうか迷った。
すると彼女の頬からは、涙が流れているのがわかった。

もうすぐ、桜が咲くね

すると、内心に反応するかのように
学生は顔をあげ、私を睨みつけた
妙な、タイミングだった


March,2008 Ⓒwindyjuly
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私は主張を続けていきます。
間違ったことを言っていることに気がついたら、批判すればいい。
悪態や人格的な攻撃ではなく、主張に対する批判をすればいい。
懐疑的な視点を持つことは、事実を理解するために必要。
狎れ合いだけの同意では、そんなもの、すぐにSpyに飲み込まれていくだろう。
人を蔑み、侮辱するような、他者の不幸を餌にする卑しい者には絶対になるな。

何様?自称強者の群れに食い物にされてきたことに気づいた温厚な主張者だ。

Feb,2008 Ⓒwindyjuly
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Soul

We can choose musical instruments that I want to play.
The keyboard and the pen that you beat are musical instruments.Common language.
People who share the same problem in various places are playing music.
Quiet music that flows from various predicaments harmonizes gradually.
In various places of the town.
The volume keeps going up.
No one can stop it.
They were orchestras before one is aware.
It became like blacks' soul music.
It doesn't finish ringing indefinitely.
There is a genuine justice there.
Soul Music of true justice.


22Feb,2008 Ⓒwindyjuly

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The sky in spirit

The fly crowds excrement.
The butterfly was not interested in excrement, and received love from the flower.
The fly begrudged the butterfly that had a beautiful wing.
Therefore, the fly assumes the butterfly to be excrement.
It tore butterfly's wing.
And, the fly said to the butterfly that had lost the wing.
"Hey man! Fly sky-high! Freedom!"

The flower that swung in the wind smiled at the butterfly.
"Still, you should fly sky-high"
The butterfly found the wing that existed in the heart,and flew away.

9Feb,2008
Ⓒwindyjuly


心の中の空

糞に群がる蠅がいる
蝶は糞に関心を示さず、花から愛を受け取った
蠅は美しい羽を持つ蝶を妬んだ 
だから蠅は蝶を糞だと決めつけて
蝶の羽を千切っていった
そして羽を失った蝶に蠅は言った
「さぁ、飛ぶんだ!空高く自由に!」

風に揺らいでいた花は蝶に微笑みかけた。そして囁いた。
「それでもあなたは空高く飛ばなければならない」
蝶は心にある羽を見つけ、飛び立っていった

JUGEMテーマ:健康


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Hircine and sheep ―ヤギとヒツジ


Hircine and sheep

みんなにわからないように、そおっと悪さをする意地悪なヤギと、
お話し好きなヒツジが暮らす牧場が海に浮かんでいました。

そこでは何をやってもおこられないヤギたちが、
ヒツジさんたちに命令ばかりしていました。
いじわるなヤギたちは、子屋の奥にたくさんの餌を隠しためこんでいましたが、
ヒツジさんたちにはいつも、足りない足りないといって、
みんなを焦らせていました。
でも隠していた餌がみんなにばれてしまったら、
ヒツジさんの怒った顔が、自分たちに向かってきてしまいます。
だからヤギたちは、ずるがしこい考えを思いつきました。

それは、ケガをしたり年をとったりして動けなくなったヒツジたちを、
こっそりとバカにすることで、
ヒツジさんたちのうっぷんを、同じ仲間に向かうように仕向ける、というものでした。
そうすればヤギたちはあんしんできます。

幸いなことに、ヤギたちはラジオや雑誌、テレビに至るまで、
どこにでも仲間がたくさんいたので、そんなことは朝飯前でした。

やがて、ヒツジさんたちの暮らしはどんどん苦しくなっていきました。
いつもあんなに乳をしぼり出してきたというのにです。
すると、疲れたヒツジさんに向かってヤギはこう言いました。

「悪いのは、役に立たないヒツジのせいだ!」

隠しためた餌を後ろ足でけっ飛ばしながら、何度も何度もくりかえしいいました。
テレビもラジオも同じようにいいました。
するとヒツジさんたちも次第に、自分たちの暮らしがつらくなっているのは、
役立たずのヒツジのせいだと思うようになりました。
そして、バカにし始めるようになりました。
それはヤギに向かって言うよりも、楽にいえました。
相手は弱っているし役立たずだからです。あんぜんなうさばらしにもなりました。

そのうちに、「役立たずのヒツジは、お肉になってみんなの役に立て!」
というものまで現れはじめました。
そうしてヒツジたち同士でいがみ合いは続き、
悲しくなったヒツジたちは、どんどんお肉になって牧場から消えていきました。


ヤギたちは悪いヒツジたちが暴れださないように見張るんだと言い張って、
ヒツジさんたちの生活を好き放題に、こっそりと、のぞき込むようになっていました。
ヤギたちがのぞいていることを知らないヒツジさんたちは、
疲れて小屋にもどると、閉じていた口を開け始めて、
いつもいばってばかりのヤギの文句を言い始めました。

そのようすをのぞいていたヤギはおもしろくありません。
のぞきこんでいたヤギたちは、
自分たちの悪口を言われていることが腹立しくなりました。
本当は悪口ではなくて、事実を話していただけなのにです。
勝手にのぞいて、勝手に怒っているなんて、なんだかおかしいですね。

それに、ヤギの仲間になったヒツジだっていました。
ヤギから餌をもらえるようになったからです。
そのお礼に、あそこに変なヒツジがいるよ、
こっちには役立たずのヒツジがいるよと、
ヤギにそっと教えるようになっていきました。

いくらおとなしいヒツジさんだって、いつまでもだまっていませんでした。
でもヤギたちがこっそりため込んでいた、餌のありかに気がついたヒツジさんたちが、
ヤギの小屋の奥をのぞこうとすると、
お空にはヤギの乗った飛行機やプロペラがぐるぐる飛んでくるし、
道を歩いていると、茂みに隠れていたヤギの仲間たちが、
そおっと、いやがらせをしてきます。
ヤギなのにオエーッという鳴き声だって吐きだしてきます。
そんな噂まで聞こえてきますから、
ヒツジさんたちは何となく怖くなって、みんな口ごもるようになってしまいました。
そして気がついたら、みんな同じことしか言えない、
変だなと思っても、変だねッと言えないしずかな牧場になってしまいました。

お話し好きなヒツジたちは、もう、嫌だとか、違うとか言えなくなって、
メエーとしか鳴けなくなってしまいました。


数年後、みんなの世界はどうなったかって?
それはあんなにたくさんいたヒツジがいなくなって、
いまではヤギたちだけが暮らしています。
でもやっぱり、たりないたりないって言っています。
そしてそこでもまた、
ボクの方がいいヤギだ、
お前は役立たずのヤギだ、
いや、おまえなんかヒツジのくせに!いうことをきけ!

ヤギの役に立ってきたヒツジたちはもう、いなくなってしまったから、
こんどは仲間割れ、みたいです。

Ⓒwindyjuly
2 Feb,2008

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private note


private note


あなたが疲れていて
多くの人が疲れていて
それぞれの それぞれのリスクが障壁となって
ある人は戸惑い
ある人は打ちのめされ
ある人は すべてを自分の責にされ

若さは利用され
老いは抵抗力を薄めていく
そこにシンクロが必要ではないでしょうか

その中腹に在る私ももっと闘いますから
これからもっとリスクを蹴散らしていきます
侮辱されようが そんものはもう慣れてきた
慣れはしたが 腹は立ちます
しかしそれを凝視する
あなたの苦痛を背負う人は誰もいないですが
あなたの苦痛を理解する人は、少しづつ増えているでしょう

うまくはいかないですが
それでも七転八倒、
言葉だけではなく、行動に結びつけて
犠牲者や被害者である前に、
ひとりの人間として

これまでの苦悩と苦痛と、そして希望を
もう一度、もう一度、
見つめなおしてみます

無限回廊、
負けないでください 出口は己にある

30 March,2008
windyjuly
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この国の中で、個人の仕合せを追求していこうとするのは、とても困難で。
他国での民族的な考え方の違いもありますが、この国の過去も現在も、その多くは、「現実」という言葉で肯定され黙認される、足の引っ張り合いと争い。そして、精神的な残忍性の黙認と、そこから派生する虐待行為全般に拡大されてきている人間精神。

嫌なことばかりではないもので、自分と同じような考えを持った人と触れると、とても嬉しくなります。犠牲に対して批判的でありながら、自分の人生を生きていこうとするという考え方には、二重三重に共鳴します。自身、もうしばらくは恥をさらしつつも、虐待的愚行というものがどれだけ陰湿極まりないものなのかを、可能な限り問いかけていきたいと思っています。問いかけ先は、社会であり自身であります。例え小さな声でも、言い続けていかなければ、人ってすぐに忘れてしまうでしょ?社会的に強い立場にある方々の言葉と行動が、どれだけの人々を仕合せにしてきたのかはわかりませんが、これまでの社会的瑣末さに目を向け顧みるのであれば、虐げられてきている方々の言葉の中にある反響をキャッチしていかなければならないと思ってます。

何分侮辱意識が蔓延っていますから、あなたの落ち度を突いてみては、勝ち誇った面持ちで生きる人の人生模様を目にすることも少なくないと思います。苛立ちが憎しみに変わり、それが他者への罵倒や揶揄、差別意識そして、虐待行為へと駆り立てている側面もあると思ってます。

動物実験によって、あるいは処分されていく動物や人々の問題と同様に、私たちは自分たちが生きている足場、その視野を広げ認識することが、国内外問わず、自分を生きていくために必要な教科書であると思うようになりました。

自分に向けられた残忍性というものは、決して無視してやり過ごすことができるものじゃないと体感してきています。自分の意思を、つまり、それをやられてどう思うのか、嫌なのかという意思表示を、自らの責任で示していかなければならないと。それが自分を生きることだと。屈しないでくださいね。

19 March,2008
windyjuly

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やりたいこと、わかんない?
自分のやりたいことをみつけるということは、一般評価やプロアマ問わず、他人の人生ではなく、自分を生きるためには重要ですよね。それがいつのまにか他人の役に立っていたとすれば、そうした流れは人生が、優しい方向へ吹いていると思います。

たぶんというか、それをみつけるのは、おそらく、消去法なんじゃないかな。無駄なことあれこれとやってみて、残ったものがそれで、続けているうちにふと思い出す。そういえば、子供のころから、これがすきだったな、ってことがさっと過ぎる。参考になるかな。応援してるよ。大切な友人へ。

19 March,2008
windyjuly


※27Feb,2008/20Jan,2008 公開終了
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精神的な殺傷―その体験的断片


精神的な殺傷―その体験的断片

誰でも夢中になって取り組んできたものはあると思います。私も例にもれず、学生時代は五分刈りで、硬式野球に時と汗を費やしてきた。結果は取り組んできたエネルギーを反映することなく、残ったのは、いつかの岡村靖幸の詩にあったように、「優勝できなかったスポーツマンみたいに、ちっちゃな根性」が身に沁み込んだだけだった。

私がこの精神虐待的なハラスメントというものを調査研究し始めるようになったのは、周囲に物理的、人為的な異変が生じる以前から、psychological領域に興味を持ち、独学に費やした日々もあったということも、その動機としてある。そうした経緯において、監視示唆的かつ、歴史的検証において、幾多の弾圧迫害史などとの累積を見れば、おのずとSNS(ソーシャル・ネットワーク・ストーキングSociety Network Stalking※持論における略号化)というものが、精神病理的一元的に排斥されていこうする流れそのものに、「集合的な思惑」という矛盾が潜んでいることに気が付くことになりえると考えます。

そうした精神的な残虐性に概念化を収束してくれたものに、マリー=フランス・イルゴイエンヌ氏著作が、歴史的な検証軸とともにフレームとしてあり、また社会的構造矛盾の弊害による犠牲者の立場に立った指摘をするマイノリティ・ジャーナリストをはじめ、blogやHPなどを通じて世論に対し、問題提起を配信する否著名一般ジャーナリストたちのナビゲーションがある。そうした場において目にして検証し知り得てきたものは、自分が経験体感してきた以上の苦境の風景だった。自殺へ追い込まれていくほどの心理的な苦痛の持続。想像できますか?その虚しく自己を取り巻き続けていく苦悩というものを。ロープを握りしめるに至ったその人の背中、笑顔、過去、記憶という瞬間を。

そうした心理的虐待は、歴史的な観点からも、例えば南部黒人たちに対する人種的迫害といった、人の持つ精神性、侮蔑視や迫害的荒廃の中からも鑑みることができると考えています。

私自身の周囲で積算されつつあった、そうしたカムフラージュされた悪意というものに対する心理学的なPsycologyなアンテナを私は知識とともに持っていたため、彼らの侮辱的な態度には気づいていた。それはモビングmobbing的な経験則としても察知することができた。しかしそれは一過的なものであるかも知れないとも考えなおし、再び日常の優先事項に対して視点を向け続けていた。

被害を訴えるまでもなくとも、人であればそうした不快に繰り返される挙動というものは、あまり重要なものであるはずもなく、さして気にも留めず、受け流しつづけていくという、今に思えばあまりに無防備過ぎていたために野放しになっていた、そうした心理的残忍性というものに対し、それらの客観的な検証を踏まえ止む無く自主防犯カメラを設置した。そしてそこにはあの男性の姿が映っていた。言葉も交わしたこともなく、人間関係もあるはずのない彼は、まるで私のアイデンティティーを破壊するかのような態度をとり続けていた。背後から威嚇的な嗚咽を繰り返す人物とその家族やネットワーク。これらについては、統合失調症との対比的な指摘に対して、これまでの記録などから実証することが可能であるとの認識を現在までに持っている。

そんなある日の穏やかな午後、玄関先で親子は楽しそうにボール投げを繰り返していた。誰にとっても微笑ましい風景に過ぎない。しかし、私にはその数分にわたる自宅前での「遊ぶ姿」の中に、可能性としてのさりげなく見え隠れする心理的な悪意とその残虐性が映し出されていた。
親子の言葉の中には、野球に関するやりとりが繰り返された。ここに被害意識は持たないし示さない。しかしそれは私の過去だ。そして彼が投げ捨てたボールを子供が取りにいくその一瞬に、「一回で負けた」という言葉が前後の脈略もなく発せられた。被害だと証言はしないしできない。裏付けがないからだ。しかしこれも私の過去だ。聞き間違いではなかった。そしてその声量は、窓を閉めた冬の室内に入り込んでくるものであった。


今の私は、そうした過去に振り回されることはなくなった。選手としての功績に高級なものはなく、それらの経緯、ランニングを続けたり、トレーニングを行って、ひとつの目標に向かって継続する。挫折だらけの人生だけど、そうした意義が、現在では私の中で密かに誇れる数少ない誇りともなっている。誰の中にもあるはずの、自分にとってのみ価値あるもの。それが「優勝できなかったスポーツマンみたいな、ちっちゃな根性」。散々蠢いてきた雲はもう、振り払った。それでもあの日を懐かしく思う。

そうあの日、私の費やしてきた汗は「一回で負けた」。
蝉の声に紛れ込みあっけなく散らばっていった。
高校三年の夏、初戦で敗退し泣きじゃくり、泥だらけの奴らに肩叩かれた記憶が渦巻いた。

18Jan,2008
Ⓒwindyjuly
JUGEMテーマ:日記・一般


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Propaganda―イメージ戦略との対比


Propaganda―イメージ戦略との対比

Sストーキングの問題を一般に理解してもらうには、やはりマスメディアの力が必要だと考える。しかしマスメディアの動きに即座な期待が難しいこともまた事実。どこへ訴えても埒があかないという声があちこちに散らばる。だからネットで配信する。こういう流れが国内でも、理解を得やすいある種の「戦略性」が不可欠だと考えている。戦略という言葉に語弊があるならば、それは「客観的な工夫」というものに置き換えてもよいかと思う。広告業界で用いられている広報的戦略は参考になるかもしれない。この状況に陥っている方々は、自分たちが「周辺状況を理解できないでいた一般人」であったことを思い起こす必要があると思っている。そうすればいかに自分たちが陥っている状況というものが、一般生活者とは縁遠い出来事であり、興味を惹かない事象であるのかを見直すことができます。

販促業界でも、店頭販売でも、いかにして商品を手に取らせるか、目を惹きつけるか、そういった「販売戦略」が日々研究導入展開されている。企業広告に目を映してみてください。商品イメージやCMに起用するタレントイメージというものに対して、いかに神経質になっているかが理解できると思います。一旦陰湿なイメージが企業や商品についてしまえば、それは「商業的株式的な死」と等価になり、そして同時にこれらのことは何も、商品や企業イメージに限ったことではありません。

かつての湾岸有事の情報ねつ造を覚えていらっしゃるでしょうか。戦争における情報戦、プロパガンダでは、石油まみれの鳥による歪曲的演出や、偽りの証言をした広告業界関係者による偽装といったように、情報操作が多用されていた事実が、メディアに暴露されている。推測だが、その暴露自体にも情報戦の反映作用があると考えている。なぜそうした「嘘」をついてまで、情報を弄くる必要があるのか?そうれはいうまでもなく、一般的圧力を交わし、世論支援を受けるために必須であるから。一般的多数の歪曲的な協賛があってはじめて、不正が公正にすり替わる。それはプロパ発信者側からの利己的で一方的な、悪質な有力構造的一面であると考えている。

そうした観点から、これらSストーキングで展開されている証言と体系的弾圧手法に視点を移行すれば、いかにこの問題が発するイメージというものが、一般的な興味を惹かない陰湿な対象案件であるかも見えてくるでしょう。精神病理的で、被害妄想的な症状と類同する証言、警察は動いてくれず、診察を促される。Gaslightingで用いられる錯覚的な手口の数々は、フランス映画アメリにも描写されている。不法侵入をし、スリッパを置き換え、歯磨き粉をすり替える。

迷惑電話に葬儀社からのFAX,、薄笑いや誹謗中傷的な示唆的挙動や発言から始まり、公安、宗教、人種的利害に盗聴盗撮にヘリ威圧、過剰監視社会に対する口ごもり、低周波に有害電磁波、人工衛星〜という、身近にある不快な嫌がらせからはじまって、軍事機密的なエリアにまでフレームを囲う、これらの証言展開の流れが、非公開情報に基づく事実であっても、実害感無き一般生活層にとってみればいかに無意味で、隠微なイメージを持った、生活環境からは離れたものであり、決して手に取られることのないいわば「売れない商品」であることが、これらの持論により見えている。

それではどうすればいいのか。それは、誰しも内面に持っている「危機感」というものに対する訴えかけ。その危機感にタッチするためには、陰湿なイメージを持った、これら広義の社会的問題を、いかにして「商品としての価値を持たせるか」、すなわち、「ネガティブなイメージを持つ問題意識に対する危機感という『商品』を、手に取らせる必要性を感じさせることができるか」、そうした工夫が、個々に陥っている陰惨な状況に対しては、より強固に求められるものであるということを、持論としてここに示しておきたい。それは例えて言えば、前述の「アメリ」のように柔らかくデフォルメdéformerされた潜在的な手法を参考にすることも、一般的な認知化への足掛かりになりえるというヒント及び提案でもあります。


15 Jan,2008
Ⓒwindyjuly

※これらの問題を商品として置き換えて展開した持論は、直接的な商品価値や対価を求めるといった考え方ではないことにご留意ください。
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ジャーナリズム―journalism


2008.02.19 Tuesday-Update
ジャーナリズム2

社会問題に対し、自分で物事を考え始めるきっかけとは何か?
私は実害感がそのきっかけになった。
ある方は、知人・近親者の実害がそのきっかけになり、
ある方は、触れ得た情報と、自分の抱える問題との接合がきっかけとなった。

どれだけ事実に近づけたとして、それらを握りつぶすことは、容易であると思えないか?構造にとって連携など、ローソクを吹き消すほどの息で吹き消してしまいやしないか?そして、これまでもそうではなかったのか?

コアなソースが民意に反響しないのは、まず、実害感が無いために、自ら処方箋に手を伸ばす必要性がないことにある。風邪をひいてから飲み込む薬のように。
もうひとつは、報道ソースを最大公約数とした一般認識にある。これらはオカルトな類と同様に、その存在の是非は「噂」などでは一般化され、かつそれらのオカルトカテゴリ商品が、マーケットに散らばってはいく。しかし「現実的」には懐疑的に受け止めざるを得ない形が、知らず知らずのうちに、洗脳的に意識の中に根付いている。

そして、自らが陥っている問題の解明に必要なコア情報は、それらを必要な人にとっては喉から手が出るほどのものでも、そうして知り得た人が例え世に訴えかけたとして、一般が関心を示さないのは、それらを食したいというデザイアや必要性を感じ得ないからだ。

社会一般認知の方程式、その絶対値は宣伝・報道にしか存在しない。それら宣伝・報道力を、これらの問題意識を共有している大部分の方々は持ち得ていない。だからジャーナリストという存在がその架け橋となる。
しかしながらジャーナリズムもまた、報道従事者と同様に、葛藤があると推測する。伝えたいけれど伝えることのできない、言いたいけれど言うことが出来ないこと。そしてそこを隔てている壁は、生活や暮らしへの「静かな圧力」である。安心や安定を脅かされる。だから大抵は、レールウェイを進んでいく。

直接的に、あるいは間接的に恒常化しつつある暮らしや心身へ加えられていくダメージを受けている弾圧被害の受け手たちは、すでに息絶えた人々を含め上記への陳情や訴えかけを続けてきたが、構造に跳ね飛ばされていく。
だから「有識で有力な方々へ」と思考はリンクしていくことになるだろうが、いったいこれまでどれだけの人々が、陳情届かず無視されて、同じ境遇の中でもがいてきたのだろうか。

それらは無駄でも続けていかなければならないものである。しかしそれだけでは発展がない。だから、専門的尺度には納まらなくとも、一般発の「広義」におけるジャーナリズムが必須になる。これは絶対に必須だ。彼らはジャーナリズムであると同時に、広報者でもある。薄い知識や非専門性を盾に罵倒され切り込みをいれられるだろうし、さらに侮辱のネタを提供するといった側面も併せ持つ。それでも実害の受け手たちが、そうして恥をさらし、プロジャーナリストと報道に「圧力」ではなく、彼らプロとしての本能に訴えかけ続けていくしかないじゃないか。「君たち、そうじゃない」。そう言わせたいし、罵倒ではなく指摘してもらいたいとも思っている。

このことは自身の内省としてあるが、確かに身体は以前のような健常な感覚を妨げられ、心に切れ込みを入れてくるハラスメントのある環境に置かれてはいる。しかしやはり健康不良や実害といったものを動けない理由にしてはならないとも言い聞かせている。私には社会潜在的で、隠ぺい資質的な問題の影響を受ける人々に、その責は無いとする思弁を含めた考え方がある。しかしこれらは自力本願である生き方を否定するものではない。そうした自力本願的な生き方の妨げになっている構造的障害物にまず因果を示すことが、本来の意味における自立を確立することができる。進め、といって裾を踏みつけているような構造である限り、福祉国家へと方向を転換しない限り、一般人の自立的な生活を促す声は、汚職、談合、裏金といった腐敗に揶揄され飲み込まれていく。
                   

一般にとって一見すると必要のないソースを、実は重要なものであったということに気付かせる工夫は、実際、私の知りうる限りそうした有能者は、電子的な世界の中で歩みを続けているが、生活の困窮や目に見えぬ不安は、今後益々増大してくるものと考えられる。そうした過程において、彼らの発信内容との「接点」に触れることのできた人々は、
その人にとっての気付きへのきっかけとなる。

※あなたもぜひ、実害受け手たちが持つ、ジャーナリズム精神へのパラダイムシフトを。読んでいるだけじゃ変わらない。溜めこんだものを形にして。それは自分にできることでいいし、質や出来といった部分にとらわれる必要はない。自力本願を軸とした知人たちとの連携、オープンソースと、クローズドソース。例えばオーケストラのように、手にする楽器を選ぶことができる。例えばあなたはつきたいポジションをチョイスすることができる。実害に屈しないでください。気分転換も十分に図ってください。空気を入れ替えるように。

19Feb,2008 windyjuly
27Feb,2008 一部加筆(報道=宣伝・報道)
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2008.01.09 Wednesday

あるフリージャーナリストの言葉に、
「伝えられていないことを伝えるのがジャーナリストの仕事。中でも大事なのは、攻撃されている側、被害を受けている側の立場を伝えていくことです」とあった。組織的なパフォーマンスはできなくとも、制約に縛られない比較的自由な立場だからこそ、発信できる内容がある。フリーとして制約に縛られないとはいえやはり、目に見えない部分で、私たち一般からは映らない場所で、弾圧に似た様々な圧力が加えられてしまうこともあるかも知れないし、実際それは世の常なのかもしれない。

私は潜在的公害を起因とした、健康的な事情を抱えているが、Webジャーナリストとしての方向性を進めている。理由のひとつには、上記のように、組織内では語れない、語ることの許されない、一般人にとって生命に関わる重要な事実というものを、発信する人があまりにも少ないような気がしたことと共に、これまでの経緯で触れてきたように、なによりも自分自身が身をもって、これら社会的弾圧の実態に情報収集・調査によって触れてきているからだ。

この全体像を見ることができないのは、縦割り構造的な隔たりでもある。
何度も繰り返し言うが、構造的な欠陥がまず天辺にあって、人々の暮らしを圧迫している。底辺じゃない。このことは格差社会、新自由主義という土台によっても示されている。こうした社会的な構造矛盾の総体的因果として、一般的生活者一個人による影響に固執することは、全体論の矛盾を示す要因としてはプロパ的である。証明、蔓延する社会人工的病理に対する具体的な改善策は、いったいどれくらい施されてきている?

なぜ、ワーキングプワ、ニート、フリーター、cafe難民などという広義労働者層への侮蔑語が幅を利かしながら、富裕層推移の狭義な上昇率を示すのか。どうして、富裕層には減税を、そして一般層への税率は引き上げられているのか。なぜに、第三のビールなどという、品質においてビールに勝ることのない酒が庶民に振舞われているのか。そう、すべてにおいて共通項を示すものは、税制に他ならない。

素人であっても、この問題に関心を示さなければならない。人々の暮らしを圧迫しているものは、一般労働者並びに、非労働生活者のせいじゃない。社会構造的力学を考えてみても、それは言うまでもない。

私たちはこのまま、口を塞がれていきやがて、正当な批判や批評を、会社、町、室内の至る所で、論じる事が許されなくなる。いや、すでになっている。そしてそうした自然な議論は、言論、表現の自由は、合法化された「法」によって裁きの対象になることは、歴史に尋ねてみればいい。盗聴法は合法化し、街中にはテロリストや過激派の監視という名目で、カメラだらけで、それは何も機械的なカメラデバイスだけではない。これを俗に不特定者を含むストーキング、シュタージ体制だとささやかれ、国民監視行為として歴史的接点を有している。私たちは次第に、記録的、あるいは構造的デバイスに依存せざるを得ない生活環境下に、いつのまにか置かれてしまっている。

私自身の苛立ちは、そうした不正にかすめ取ったプライバシー情報によって、一生活者のアイデンティティを壊し奪うとされる層に対してある。人生を奪うことにある。その仮説として繋がるものは、ほのめかし―Unpleasant suggestionである。盗みとった個人情報のネットワークによる伝達を媒体として、それらを合法的に、「合法的に」、対象者へ示す手段としてのsuggestionである可能性が高いと考えている。だからこそ、名指しは避けるも、不快な挙動と素振りだけは活かして振舞う。モラハラの加害者的気質を持つ者たちは、世の中の善悪の基準が、合法非合法を軸として委ねられていて、倫理道徳性に欠けた行動指針を持っていることは、精神医学関連書でも示されている。合法的な行動に問題があるといっているのではなくて、私は倫理道徳性という、他者の立場から快不快を考慮した指針というものが人々の基準として育まれなければ、こうした隠微社会の構成に好影響をもたらさないと考える。合法非合法という見方の前に、それらが必須であるはずだと考える。

総社会的な圧力を交わすがための、緩急をつけた霧のような弾圧、見せしめと迫害による犠牲と利権。その餌食、各地で声がさ迷い、それらを様々な嫌がらせを行う層が束ねていると推測、いや、情報収集の推移を根拠にしてそう実感している。すなわちこれらは、精神的な嫌がらせであるモラルハラスメントであり、EU諸国では立法抑制がかけられているリストラワークであるモビングであり、すなわち、盗聴覗き行為から炙り出していった彼らにとって「敵者としての材料」、レシピを備えた一般者を、密かに弾圧していくそう、あの黒人たちが受けてきた迫害、弾圧行為、コインテイルプロcointelproであるとして、概念化を構築することができる。ここに妄想は微塵も入る余地はない。蔓延している排他的思考とともに、戦争のできる世論形成に放射線を描いていることが見えないことの方が不自然ではないか?

GangstalkingやGaslighting、公安的、あるいは宗教儀式的ストーキング手法として空気中を伝播している実態は、これらの副産物であり、手段である。国外情報とを照らし合わせてみて、その共通する原理的な構造や思想や歴史的な観点から、様々に見えてくるものがある。
それに加え、現代の迫害行為コインテイルプロは、国内外で多くの証言者と、証明者が拡散しているように、迫害的弾圧行為による心理的ハラスメントとともに、軍事的電子デバイスによる身体的なハラスメントが加えられていると、海外情報にあるし、これまで示してきたものを含め、現実に存在する機器であることが、販売されている事実から見えている。

これらに示してきたことを踏まえて、我が身を囲う不自然な嫌がらせや、嫌がらせとして指摘できないほどの些細な断続的不快挙動や、前夜にとった食事メニューなどの会話をはじめ、所有物の特徴を主語を省いて、自宅前で聞こえよがしに喋るハラスメント一族や周辺関係者隣人といった、防犯監視住民層との類推が、推測と憶測を強化させていくことに、どんな不自然さがあるというのか?都合の悪い事実に触れる者たちが妄想者として、自殺動悸の不自然な自殺者や、事故といった具合に静かに蹴りあげられていくことは、コインテイルプロの歴史的証言にも散らばっている。キング牧師もそのターゲットになっていたことがよく知られているが、これは無名人であるほうがより暗躍的に都合のよいことであることも、見えてくるはずである。

                             ・

「伝えられていないことを伝えるのがジャーナリストの仕事。中でも大事なのは、攻撃されている側、被害を受けている側の立場を伝えていくことです」。

組織的なパフォーマンスはできなくとも、制約に縛られない比較的フレームの広い立場だからこそ、発信できる内容がある―

ここまでの連続がもしも今この現状の一端を下支えするものであるとしたら、一般情報発信を受け止める態度として、もうひとつの新しい視点を用いる必要がある。そうした認識力が、ネットを通して発信する無名著名問わずの一般者含む、影を照らすジャーナリストたちが少なからず見えてくるはずに思う。だから私もそうした総意から、こうした意志をもった方々の率直な態度が、愛郷的に日本を好く人々にとっては、意義深いものであるはずだと信じている。

まるで徴兵義務や強制労働的な愛国心が向かう先には何があるのかを。

Ⓒwindyjuly
※12 Jan,2008 一部加筆修正による更新

参考―
COINTELPRO
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/COINTELPRO その他多数


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構造的な矛盾― Structural contradiction

※イメージは防犯ネットワークによる監視行為の弊害的影響について問いかけるものです。防犯意識に対する批判ではありません。


今蔓延している苦痛というものは、おそらく、構造矛盾そのものであると思います。社会構造の良心的な場所と対極にある歪み。その荒んだ歪みがもたらす精神性の連鎖が、個人に対する迫害行為として、音立てずに唸り声をあげている。そう考えています。
いくら降灰に声を上げても、どれだけ呼びかけたとしても、ほとんど届かない。しかしそれもまた、当然のこととして受け止めることができたとき、もうひとつだけ、自分の中にある人間精神的なものが、諦めではない理解を生み出すに至ったことを思い出します。

EUを中心にして、人の持つ精神的な迫害気質に、立法的な対策が施されてきています。スウェーデン、オランダ、フランス、ベルギー、フィンランド、ポーランド、デンマークをはじめ、イギリスやアイルランド、イタリア、スペインなどの、立法化に至らないまでも、国会内で具体的な議論が続けられている推移があります。

これらは職場における、モラルハラスメント、モビングやブリイングといった労働者に対する精神的いやがらせなどの迫害行為を適応範囲としているものですが、日本国内では、未だ具体的な議論には発展していません。
労働安全衛生法制による、労働者に対する労働環境的な保護を使用者へ義務づけてはいますが、精神的ハラスメント実態推移の歯止めとしては不十分であることは、男女雇用均等法によるセクシャルハラスメントのような、ハラスメントに対する定義づけがなされていないことからも理解することができます。また私自身も、現実にこうした現況の一端を目撃し、そしてその矛先を隠微な形で受けてきたひとりとして、その可能性を理解しています。

こうした打開策のひとつとして、政策研究大学院大学教授 濱口桂一郎教授の「職場のいじめに対する各国立法の動き」レポート内に、人権擁護法案の制定による対策化への可能性予測が示されておりました。そこから人権擁護に関する法制を調べてみましたが、人権擁護法案そのものにおける議論も様々にあり、法制を歪曲し利益享受を目論む諸団体に対する懸念も示唆されていることなどから、今後法制化が実現したとして、その法制化が実質、本当に人権を擁護される必要のある個々人への人権を保護することのできる立法として機能するのかどうか。

いずれにしても、こうした人の持つ悪意の循環作用は、個々の企業内で留まっている性質ではないこともまた見えてくるはずです。私が社会的なネットワーク構成による迫害行為の可能性というものを、体感的周囲異変との接点として把握している根拠は、これら精神的ハラスメントに対する各国の立法的な取り組みと推移の中にも指し示すことができます。
社会的なネットワーク構成による迫害行為とは、具体的にいえば、それはトップダウン式の、軍事的規律との類型を匂わせるものです。さらにいえば、地域的なまちづくりの従事者、関係者人脈による、企業、団体、公共を含めたものとして、その形を映しだすことができるように推察しています。

現状はあまりにも、そうした証言に対する被害妄想的な印象に隔たっている、同時にそれは、癒着的構造下における犠牲排出システムであると揶揄されていることも、疑いの域を脱し始めていると思われます。こうした事実を基に推察していくことによって、その周辺背景から、歴史上における迫害史の途中に、今も生きているという認識が、被害妄想とされうる人々の実情を浮き彫りにしていくはずです。

一般社会が実害事情を認識することは、これまでに公にされてきたいくつもの問題と同様、あるいはそれ以上に困窮したものとなっている。そこで私は、社会全体に陰湿な影響を与えている現況そのものを凝視するしかない。そこには認知されていない構造矛盾による犠牲で苦痛にあえぐ方々がいることを、主観を突き放してみたときに理解しました。理解されたいと願うことは、私にとってはすでに重要な問題ではなくなっています。国内外の証言から窺うことのできる背景に目を留めていくことで、同質の苦痛証言に共感を覚えます。そうした背景から、一般生活者にとって風通しのよい社会を理想であることを承知の上で、概念化へ向けたアプローチの根を絶やしてはならないと考えています。

迫害行為と痛みは、発展的な気付きを与えてくれるものだと信じます。私には宗教観がありませんが、哲学的な概念には興味を持ってきました。それは私の母親が、宗教信者であったことがその理由のひとつとしてあります。私はこれまでに、自分が知らない部分で、この事実に対する影響との接触があったことに気が付いています。実際、母親に対する記憶は、あまり親和的なものではありません。宗教というものが、純真さを利用されうるとした意味において、争いを送出する作用を持ち得る側面を俯瞰した際、体系化された集合的な観念は、厚化粧を施した言葉にすり交わり歪曲され、欲の塊に飲み込まれていくものであることを、歴史的に、あるいは人間精神的な角度から、思想的にではなく事実から把握することができるように考えます。事実とは、犠牲者の存在のことです。

Ⓒwindyjuly―

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Dog in Flanders― Victim Nero

This borrowed the photo material and was produced. Thank you.
「Patrasche,You are tired. I am tired, too. It is very sleepy somehow…Patrasche」

「パトラッシュ、疲れただろう。ボクも疲れたんだ。
 なんだかとても眠いんだ…パトラッシュ、」

                 Dog in Flanders−from the final episode
                         フランダースの犬 最終話より


Victim Nero

幼少のころ観たあの物語を、最近再び目にした。
「限りなく他殺に近い衰弱死」。あれはどうみても自然死じゃないだろう。
あの話の激しい展開が、幼心には少々堪えたことを覚えている。
特に、拉げたチクリ男と、アロアのプチブルオヤジの剥き出しのエゴは醜い。
あまりにいたたまれなくなり、思わずブラウン管に怒鳴りつけ、親父に叩かれたことを思い出した。

彼らの連携的コミュニティハラスメントには、あいた口が塞がらない。
まさに現社会内部における、「相互監視社会体制」の弊害的側面を想起させる。
あの描写は利権構造のサナギ。
そして彼らは無慈悲なサタンのようにさえ見えてしまう。
ネロに仕掛けてくるパーソナル・アタックのえげつなさ、
現社会内部で密かに、標的にした者らをえげつなくいびり、
川に落ちた犬を蹴り飛ばすような、ネットワークストーキング行為指摘と類同する。
社会的な盲点から見過ごされ、咎められもせず、検証を交わし、
「被害妄想だ」などとはぐらかし、ほくそ笑む奴らの愚行を保護する構造と同一のものだ。

物語完結部の心情を揺さぶるものは、「彼ら」ハラスメンターたちの存在があってこそだが、
社会的利権享受者らによるパーソナルアタック(個人攻撃)や、監視密告、デマといった、エゴイスティックな奇行とともに、足元を見られ「口」を塞がれていく人々の様子が、この物語には描かれている。
嫌がらせと侮蔑で追い込まれ静かに命を消した、天使のような男児と忠犬に対する憐れみと同情。
その背景には、貧しくも人間的な優しさ持つお爺さんの存在がある。

これを現在やられている可能性を察知、あるいは検証する人々は、
このラストシーンで首を左右に振る。
同体験を知る苦しみと憐れみが、怒りの堤防を築き、涙を塞き止める、
あるいは、ほぼ完全に渇水している者もいるはず。


もしもネロの墓標に立ったとしたら、私は思わずこう語りかけてしまうに違いない。
「ネロ、どうしてあの金を拾った時、アロアと一緒に逃げなかったんだ。
それはあいつらの愚行に鉄槌を打ち付けることになりえたというのに。
脅迫だって、謝罪要求だって、何でもできたはずだ。
あれはチャンスだった、君はあの金で、絵すら描き続けることができたはず。
そんな考えが過ぎりもしない程、君は痛々しく純心だ。そして怒らない。

だけど、ネロがパトラッシュとともに横たわり、天高く昇華していくシーンに涙した人たちは、数時間後には、
もう君のことなど、すっかり忘れてしまっているんだ。
おそらく、『TV面白いのやってない、つまんない。あ〜おなか減ったよ』なんて。
だから、今だにやってるんだよ。君を静かに追い込んだあの陰湿な手口を、世界のあちこちで。
そう、モラルハラスメント。アイデンティティを破壊する、メンタリティ・サイコロジックハラスメント。
君の周囲がそうであったように、皆黙り込んでしまうのは、今も昔も変わっていない。
君を取り巻いていたあの村の人々と同じように、
物騒なことには巻き込まれたいと思う人はいない。一緒だ。」

気づけばそんな風に心情が、漏れだしているかもしれない。


それでも、あのネロが持ち続けていた、物語のみで生き続ける純真さとともに、
懐疑的な側面からの追究眼もまた、
いつまでもシラを切り続け、そしてはぐらかし続けるこの総体性には必要に思った。
そこが物語と現実との境界線になる。
嫌がらせと不快行為で人を侮蔑し続け、追い込み潰す手口が存在し、
そして、非公開技術的苦痛の誘発で身体をも斬りつけていく技術を含め、
静かに展開されているという声々に対する危機感。
そのことを咎める人たちがいつの時代も少なすぎるのは、暮らしがあるから。
あの物語は、事実を反映したフィクションであるからこそ、
現代社会で生きる人々へ未だ、頬を照らす。

ネロは中々見当たらないかもしれないが、
あの拉げたチクリ男のような老若男女なら、街のあちこちに隠れていることがわかる。
物語のように改心することのない、アロアのオヤジも同様に。
この事実が、同種の苦痛を知る方々には見えている。
陰湿に人々を殺傷する言葉と態度、モラルハラスメントの鋭利さを体感する人々には。


Ⓒwindyjuly

―冒頭の最終セリフの直前、犠牲者ネロはパトラッシュにこう語りかけていた。
「パトラッシュ、おまえ、ここを探して来てくれたんだね。ありがとう。
 わかったよ。おまえはいつまでもボクと一緒だ、そう言ってくれてるんだね」

―Victim Nero had been talking to Patrasche so immediately before that.
「Patrasche,You found this place. thank you.all right,
Together through all eternity you and me. It says so・・・」
・・・Ave Maria・・・

※The mistranslation might be included. Please read an insufficient part by your imagination.

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People who shut its mouth― 口をつぐむ世相 

「Ease is also important!」


People who shut its mouth― 口をつぐむ世相 
―Japan is a country that connives most in the worlds.
「そう。日本人、見るのうまい。でも見ていないことにする。それ世界一」
O・サンコン氏 ―経験を盗め 糸井重里著 中央公論新社より



自分が抱えている個々の諸問題を考えたときに、一方で、
自分たちを取り巻いている問題から生じるであろうその影響、
というものを頭に巡らし指摘することが、
社会への責任転嫁であるとは、どうしても思えない。

消費税が上ったから払う、などといった暮らしへの跳ね返りが単純化した問題なら、
まだこの先解決のしようがあるかもしれない。
しかし、もしもその自分たちが囲い込まれている問題そのものを、
直視せざるを得ない状況に遭遇したとき、
国、政治家、官僚、マスメディア、利権者、一般者ともに理解、認めてもらえないとしたなら。
一個人が抱え込まざるを得なくなった状況のすべてが、
そうした認められない影響に晒されている根拠を示すことができず、
サポーティングも無く自己責任として摘み取られていくかのような、
あるいは煽りたてられていくかのような現況が放置されている。

格差社会という差別社会が必要としている侮蔑意識が、本質的な問題意識を遠退けている。
構造的な矛盾に視点や論点を近づけさせないかのように、
小さな個別問題ばかりに矛先を変え、統合化に至らない。
パーソナルアタックという多数対個、個人攻撃対象を、
世論に擦り込ませ扇動している理由はそこにあるのではないか、と考えているし、また、
危機意識を配信され世に問いかけ続けている方々の言葉にも、
口ごもる世相に対する歯がゆさが揺らいでいるような感じを受けている。
口ごもる世相の流れは、矛盾の挟間で引き籠る人々の背景を個人的問題として揶揄するだけで、示そうとしない。
それぞれに抱えた事情など、それは弱さだとして短絡的にせせら笑い摘み取っていく。

そうした世相背景にあるものは、極めて内心的なものだと考えている。
思考を混乱化させる問題に頭を悩ましまた、
わざわざ物騒なことに自ら首を突っ込んでくるような人は多くいるはずがない。企業などとは異なり、個人にとって危機管理意識というものは自助的に啓発していかなければ育っていかないものであって、
それは自身含めて脆弱な面がある。

そこを踏み越えさせていくものは、
危機意識というメンタリティをきっかけとした推進力なのだと思う。
そしてそのきっかけは多くの場合、実害感という「苦痛」から生じてくるものであるとも思う。 
実害体感にしろ、察知にしろ、握りしめた水風船が膨らむかのような外圧による危機感。
そこから派生した問題意識の拡大がきっと、
個々のミッションめいたものとして、徐々に根を伸ばしていくものなのかも知れない。


水俣病や薬害被害、北朝鮮拉致問題などに人生を踏み潰された方々に、
社会問題化されるまでの道程、そして一般認識が追いついた後も纏わりつく苦悩、
その置かれた境遇や立場といったものにとらわれず察してみることから広がって、

TVフレームを飛び越し認識することのできない、
一般にはトンデモな縁遠い印象でかわされていくケムトレイル問題、気象操作、
Human Control Technologyの水面下乱用、HAARP、有害電磁波、低周波音公害、
ネットワークストーキング(Gang Stalking、Gaslighting)、
広義におけるNew World Order問題(現在陰謀説として認識)、
新世界秩序構想、新自由主義、人口の強制的削減化策、などといった繋ぎあわせを妨げ、潜在的な影響を気づかぬ形で受け続ける可能性すら知らされない、
口を閉ざした時代が腰をおろしている。

様々な問題を抱えて生きている多くの方々と同様、
既得権領域からは程遠く、壮年期を生きるひとりとして、
弊害に晒されてきた、さらされている、ひとりひとりの同種境遇を想うことによって、
自分の危機意識という空間が存在しているような気もしている。


「気楽さは大事だよね!」
そう言って通り過ぎていく見知らぬ人の残した爽やかな言葉とその余韻が、
現実感というものを、理想の基に見据えることの意味を、問い直したきっかけになった。

ℂwindyjuly

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Chemtrail― 有害物質散布への問いかけ

JUGEMテーマ:ニュース
This photograph has not been proven as chemtrail.
ケムトレイルとして断定化した写真ではありませんが、飛行機雲に類するものとして認識し提示。


Please stop scattering the poisonous substance.
有害物質を捲くのは止めてください。



12月の乾いた藤沢市上空における、ケム・トレイルの可能性がある写真。
その他数機から、同種の現象を確認。
これらが飛行機雲であったとしても、ケム・トレイルという現象認識は今や、
世界基準になりつつあると思われる。
人為的に健康を害されていることを人々が理解したとき、
おそらくだれもが皆、自分の過去を振り返ってみるに違いない。


詳細は以下、今後順次検証予定。
※あまり扱われないこの問題に危機感を察知し、配信を続ける方のブログをご参照ください。資料も多数あります。

4つの目で世の中を考える http://310inkyo.jugem.jp/



ケム・トレイル (chem trail) は、「ケミカル・トレイル(chemical trail)」の略であり、
「コン・トレイル(con trail:航跡=飛行機雲)」より派生した語。見た目は飛行機雲と大差ないが、特徴として飛行機雲より長時間残留する。本格的な雲に変化していくことが多い。
大気中に残留化学物質などが確認され、周辺地域で健康被害が報告されることがある、出現の直前に軍用機などが飛行している。

などが挙げられ、軍や政府による気象操作や細菌兵器に対するワクチン散布などの説が流布している。
世界各国で目撃例が報告されている。

引用― 
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ケム・トレイル
参考サイト― 
4つの目で世の中を考える http://310inkyo.jugem.jp/

Globalresearch http://globalresearch.ca/articles/WOR406A.html
Aerosol Operation Crimes & Cover Up http://www.carnicom.com/contrailsj.htm
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現実感 ―Schema

2005年12月2日18:27受信
■関西地区葬儀社から誤送信FAX ―室内会話が数点反映
<偶然過多な不審点>
FAXに記された宛名が、その朝会話中に触れた知人と同一姓だった点(カタカナ)
当日朝室内でおどけて、「関西弁」を口真似て会話していた。
その日の夕刻、「関西」から誤送信FAXされた点。
I埒海忙廚ぁ∩魑啓劼北笋す腓錣擦燭箸海蹇◆嵜甘たりが無い」との弁。
NTTへ連絡し、「関西」から「藤沢市」への誤送信FAXについて問い合わせたが、
「通常はありえない」とのこと。※送信先も着信番号も印字された場所とは異なる点
ジ気料信先市街地局番が「0727」。藤沢市は「0466」。
番号の単純な打ち間違いだとは考えにくい。
Α歹団蠍朕佑亡悗錣訃霾鵑里燭甬入見送り−等々から、人為性悪意の観点を意識。
自宅周辺における各種異変が露骨化してきた時期※とも交差。
以上の不審点が当時の記録から伺える。
※例えば、表札が出ているのにもかかわらず、私の友人の姓を訪ねてきたりするといったことなどが、
それとなく目立ち始めていた時期。

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現実感―Schema

人の現実感を形成しているのは、知識という流動的であいまいなもの。
昨日までは「AからC」までの知識をもとにして、身の回りの出来事を捉えてきた。
しかし翌日には、「AからC」そこから更に先にある「DからE」までの知識を得たことで、
「AからE」まで拡大した、知識の集合によるものの見方が、
現状に対する認識の変化を促していく。
ある日には、「AからE」のうちの、「B」に矛盾を感じて差っ引いてみては、
再び戻してみたりする。
そして、「E」から先にあるものが、再びその総体的な認識をより強固にしていく―

つまり、そんな知識咀嚼の繰り返しというものが、その人固有の、
ばらつきのある現実感を形作っていくということをあらためて思い返してみれば、
昨日までは存在するはずは無いと思い込んでいたものが、
ある物事を知ることによって、以前から実は存在していたけれど、
それまでの自分には単に見えないでいただけに過ぎなかった、
ということに対する理解も、押し付けではないことがわかるはずで、

心理的に人を追い込み、悪びれずにはぐらかしていくといった、
利権延命的に歪曲された秩序の実態、
ここに暮らす一般者の、現状認識を様々に分け隔たせているものもまた同様に、
実感や体感に対する主観、客観的な情報による裏付けをもった認知、
スキーマに他ならない。


戦争で突然家族をすべて失ったイラクの男性が、
日本取材班の現地インタビューの中で、
浅い溜息のように吐きだした言葉が頭を過ぎる。
「この世の中で起きうるすべての不幸は、いつ自分の身に振りかかってきても不思議じゃないことがわかった」

地下鉄サリン宗教テロ事件の日本人被害者の女性が声を震わせながら、
米国メディア制作番組の中で語っていたこと、
「TVの中の出来事は、これまではすべて他人事でした」

自身の現実感というものが、何を根拠にして形成されているのか、きたのかを、
速やかに見つめなおして見る必要があることを、
この一連の不快な実態調査を続けていく過程で改めて感じている。
安穏さの中ですっかり退化した本能を揺り起こして、そして、
危機的な状況を直感的に感じ取るためには、
実害感によるスキーマの新陳代謝がなければならないのか?

Ⓒwindyjuly

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Appeal at midnight―深夜の訴え

Documentary Video―  Appeal at midnight―深夜の訴え
http://jp.youtube.com/watch?v=fxl9xRRWPRA



メンタリティハラスメント―匿名近隣者による通報歴(プライバシーの侵害) 
2006年12月12日
2007年2月9日
2007年2月13日
2007年10月30日
2007年10月31日


2006年12月12日夜
自宅から数メートル程の所を歩行中、三名の警官から職務質問。
懐中電灯を持って歩く怪しい男がいると、通報を受けたとのこと。
私は連れと待ち合わせていた場所へと向かう最中だった。

2007年 2月 9日夜
ポストには、警官が投かんした近隣者による苦情の代筆書面。
夜半過ぎ、再度警官が訪問、注意を促される。

2007年 2月13日夜
苦情から四日後、敷地内をうろうろし、私の名を呼び続け、
ドアを叩いていたのは警官だった。
自宅前を通りがかったら何か音がしたから、というのが訪問理由で、
ドア越しのやり取りの中で、戸別訪問だともいい、私に質問を始めた。

2007年10月30日夜
この日、警官が訪問した理由は、
近隣者からの騒音苦情を受けてとのことだった。
その数時間後の深夜、再び二人の警官が、近隣からの苦情を受けて姿を現したのは、
2007年10月31日

※これらで直接訪問された警官の方々は、
一部の不審点を省けば、基本的に紳士的な方々であったことを追記しておく。



「生活安全条例と防犯ネットワークの私的乱用」

こうした経緯から耐えかねて、プライバシーを侵害する執拗な匿名通報者を、
私はその夜、公然と問い詰めた。
私は周囲への配慮を踏み越え、自分の主張を吐露した。
無論周りは見えていたし、証拠の残る形でのいやがらせを確認するに至るまで、
日本人の多くがそうであるように、近隣者への配慮を無意識的に持って暮らしてきたし、今でも基本的なスタンスは変わっていない。

ネットワークストーキングの問題を調べていけば、
必然的に目に触れるのは、
被害を訴えるならばその基準を示し、計測で根拠を示せ、
それでなければ精神的な問題だとする声が、
ネットワークストーキング主張者へ、
ぶつけられている様子を伺うことができる。

しかし、自分たちのネットワーク内ではそれらを必要としないかのように、
一方的に通報してしまえる集団的有力性コネクションに属していれさえすれば、
目を付けた個人に対して、口裏を合わせ、数のみを根拠に通報していく道筋を得ていく。それだから、パーソナルアタックという合法的個人攻撃の実際を、
暗黙のうちに推進させていけるのだろう。

これらを根拠づけた推察として、生活安全条例による防犯ネットワークといった、
法律知識の薄弱な自警団的住民による、監視行為の弊害がすでに指摘されてきている。
つまり、プライバシーの侵害、委託権限の私的乱用に対する懸念。
明大教授氏からも数年前から、こうした乱用懸念を示唆されてきているし、
その他には、斉藤貴男氏による「不屈のために」という書籍等においても、
監視社会の弊害的作用についての言及がある。


「執拗な通報と横のつながり」

自宅から数分のところを懐中電灯を持って、
連れとの待ち合わせ先に向かって歩いていれば、
匿名有力隣人から通報され、自宅前にもかかわらず三名の警官に囲まれて、
身体検査と免許証の提示、そして個人情報を求められる。

夜外出時にハンドライトを持つ必要があったのは、
私のサイドを猛スピードで走り去っていく車両や、
日曜日の夜半にも関わらず、
蛇行運転で真横を通過していく郵便局の配達バイク他、
住宅街の細道とは思えない暴走車両などと、
やたらと頻繁に遭遇するようになっていたからだった。
一度は、私の来ていたコートをサイドミラーが軽くかすめていったことさえあったが、
当時の無警戒な状態も手伝って、
暗がりで拉げたナンバープレートを読み取ることができなかった。


私はこの場に示すまでもなく、これまで合法的に生活者してきて前科なども無い。
政治活動や、もちろん国家転覆を狙うかのようなテロ工作活動などもしたことがない。
それが気づけば玄関先に紙屑やゴミ片がばら撒かれるようになり、
不審なFAXや郵便物の開封など、挙げだせばきりのない匿名迷惑行為が、
自身の生活圏内において目立つようになっていった実情がある。

こんな人物に目をつけるかのごとく、
これまで執拗にメンタリティハラスメント挙動を繰り返してきた、
地元有力者層をはじめとする、前述の静かなネットワークが、
私の周囲に取り巻く、横のつながりがあることをここに示しておきたい。

そうした背景のもと、
室内で流す「音」がいくらか「漏れている」程度のことで、
勝手に迷惑だと過剰反応しているだけで、再三に渡り警察を呼びつける。
それこそ、「被害妄想」じゃないのか。
匿名通報者が耳障りなのは、そのボリュームでないことは、
これまで周囲での深夜宴会に対する無反応や、
転居当時、近隣者宅からほぼ終日流れ出ていた、
時に、ガソリンスタンド並の音楽への無対応などからも理解することができる。
彼らに対する挑発も侵害も、誹謗中傷も一切私はしていなかった。
逆にそれらは、一方的な彼らからのふるまいであったことは、
記録的に提示することができる。

実際は、私の自室から漏れる音に対するクレームではなく、
ネットワークストーキングに関する情報や、
彼ら自身の不快なふるまい記録を含んだBGMが、
私の敷地内で暴音レベルにないボリュームを耳障りだとして通報したのだろう。
ウーハーなどを使用して、ドカドカと誇張しているものでもない。
明らかなプライバシー領域への干渉である。
正当に論駁できるはずはない。
それは彼ら自身が散々行ってきた自らの行為を、
「鏡」で見せつけられてしまうことになるからだ。

プライバシーへの干渉行為を、自ら露呈させ示すことを回避させるべく、
自分たちの行為を示す内容には一切言及せず、「音のボリューム」として置き換え誇張した、偽善的な通報であると、解釈している。
つまり、自身の迷惑行為すら、対象者に擦り付け、
自らは依然、社会的な立場を保とうとする浅ましさがちらついている。
マリー氏が示す、モラルハラスメント気質者の性質と特徴が、
こうにも一致し該当するものかとも思う。

不快だからといって、基準も実害根拠も示さず、
「ただ迷惑だ」と口裏を合わせた抽象的主観にのみ委ね、
被害として通報するのならば、
それこそが「被害妄想」であり、「プライバシーの干渉」なのではないかと考える。
激昂を抑えてここに心境を記せば、
自分たちが以前、固有名詞を省き、
ニヤツキながら自宅前で言い放ってきたその言葉を、
そのまま玄関先に置いておきたいくらいである。


おそらく彼らにとっては、通報した既成事実が重要なのだろう。
社会的にはその事実が何よりもの「証明」として、
事が起きた際に、世論へ示すことができるからだ。

「再三の注意によっても改善されなかったため、やむを得ず逮捕―」
こんなニュースが最近どこかであったことを思い出している。
奈良での騒音問題も頭をかすめていった。

明らかに私は、干渉過多な気質者にプライバシーを侵害されている。
そのことは今回、これら一連の通報歴によっても、
彼らの性質を示すことになりえると確信する。

配慮を前提としたスタンスにおいて、
周囲への配慮をどうしても越えなけらばならない時が、
そうせざるを得ないその人その人の状況というものが、
誰にでもあるのではないか。

そうした経緯において蓄積されてきた心情の一端、その吐露が、その晩、
声を押し殺せずにいられなかった理由だった。

Ⓒwindyjuly
e-mail: julywings●gmail.com  (●=@)


Documentary Video 「騒がしい空」―The noisy sky
http://jp.youtube.com/watch?v=axNmDWWDUPA

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Conversation in front of home ― 「Has that died? Did you kill again?」

>市街を歩行中、闇空のサーチライトは私の足元をかすめ照らしていった
Movie 騒がしい空―The noisy sky
http://video.google.com/videoplay?docid=3644835952031512964


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Conversation in front of home ― 「Has that died? Did you kill again?」
自宅前での会話 「死んだの?また殺しちゃったのね?」



去る10月10日の朝方。
自宅前でのある会話が記録に残っていた。
無論、これをもって「実害だ!」と訴えるわけではない。
これまでの周辺各情報収集の経緯から蓄積された知識を組みあげ、
そうした仮説を前提に踏まえてみれば必然的に、
それはGang Stalking層の計略にはまり込むことを示す推察に落ち着く。

いくらなんでも不謹慎ではないだろうか―
「死んだの?また殺しちゃったのね?ハハハ」

この言葉の前後、そしてこの言葉から広がる裾野や背景というものを、
当事者以外が知らないのは当然だが、
この言葉の前に、蝿でも蚊でも、ゴキブリとでもつけさえすれば、
いくらでも真意をはぐらかし、言い逃れることも可能だということがわかる。
この点を彼らはしっかり押さえているから、
非合法性的な一般社会指摘から距離を置くことができるのだ。
道徳観、倫理観すらもたくみに悪意に取り込んで、
「あら、そんなつもりはないですよ」と。

いい大人、しかも社会的に有力な立場を有している方の、戸外における会話である。
私はこの一点、言葉じりを捕らえて指摘しているのではない。
この実態、これまでの周辺背景、
経緯を指し示す必要性がこの一点に存在しているのではないかと、
苦痛に苛まれ、原因を探し続ける人々に伝えたいと思っているだけだ。

なぜ、何十年もありきたりにやり過ごしてきた現象に対し、
不快感とともに他意性を意識する人々が蔓延し始めているのか?
精神的疾患という狭義に箱詰めされ、
そこに押し込められてしまえば処理できる問題ではなく、

これが、人間であれば正常な反応の末に形成されていく心身的呼応性質であることを、
未だ実害感のない人、そしてリアルな実害に囲い込まれている人々へ伝えようと考えた。

こうした人間心理を、主体思想の基に肯定する存在が、
この国内の人々の、まさか、という「懐疑心」の中に姿を隠していることを、
そして日々、犠牲者が連なっていることを、もう一歩突っ込んで知り得なければならないと、国内自殺者の統計表を見据えながらもそう思う。
この世に生き残る人々は、この推移をどう感じ捉えるだろうか?

精神的な疾患でも、被害妄想でもなく、それを否定する根拠は、
いやがらせの実態蔓延とその物証、
そうした指摘に誘導していこうとする者たちの、横のつながり、
そして論理的矛盾とによって示すことができる。

その論拠に対して、
一般者に最終的に立ちはだかるのものは、有力構造層の盾である。
利権構造としての障壁である、と言い換えてもいい。特権層の壁。
彼らにとって、自分たちの矛盾を示す者は、その論理整合性などどうでもいいのだ。
それをどうでもいいとすることができるだけの、
一般層が持ち合わせてはいない力を誇示するかのように。


このGangStalking指摘を調べていけば、
必然的にカルトストーキングネットワークに接触することになる。
そう、フランスなどではカルト団体として認識されている宗教法人他、諸団体。
これだけの指摘が溢れているなか、公然と彼らは、
それらを否定する見解を示しているのだろうか?
指摘には更なるいやがらせで対応している様子が、人々の声から届いてくるし、
周囲ではそれら証言と、無為同質のメンタリティハラスメントが転がっている。

ある国が拉致問題に対してそうしてきたように、
無反応に徹しているだけで、それは実は、無視というはぐらかしなのではないのか?
証拠を残さず痛撃を与えることのできる、低周波・高周波、レーザー、メーザー、
音波、電波、電磁波といった電磁気的、痛撃転用可能技術機材が流出しており、
隠し持っているとする指摘や憶測は様々に飛び交っている。
それら大衆の憶測を支えているものは、
それだけの組織力、資金力、そして折伏といった手法による強制マインドコントロール、攻撃的な大勢やその歴史的俯瞰に基づいているのではないか。
個敵に狙いを定め、集団的な組織力の統一化を図る。
しかしこのことは、在日特権や同和問題といった半ばタブー視された領域にあるためか、わざわざ平穏な生活者が突っつくことはないことは自明の理である。
指摘は差別ではなく、矛盾点に対する違和感である。
そして一部のジャーナリスト有志は、ここに問題の根があると指先を向けている。
公開情報内でもがき続ける人々に彼らは、
ほのめかしではなく、「問いへのヒント」を投げかけてくれている。

話を身辺に戻すが、
この嫌悪感を巧みにはぐらかしつつも投げつけてくる一家をはじめとする、
一部の利権ネットワーク住民から、
これまでにもさまざまな形で精神的な被害を受けてきたこと。
いつでもその確証を公開するいくつかの準備を済ませることができた。
私は何ひとつ、彼らに対する侵害行為も、侮辱行為も、迷惑行為もしていなかったと断言する。
そんな経緯の中、心理的に憔悴から脱したある日を境にして、
私の身体や頭部は、苦痛にさらされている自覚がある。

それは世間的既知のものから例えていえば、
電磁波過敏症や、低周波振動的な不快感として示すことができるだろう。
不定愁訴感、これらがもし生体自然発生的な病状であったとするならば、
どうしてその前後に、いやがらせが行われてきたというのだろうか?
これが病気なら、
なぜゴミ屑を投げ入れる者や、
ポストを覗き込む輩などの行為が記録に残るのか?
なぜ、面識もない一部の者が玄関先の柵に腕をかけて、嗚咽を繰り返す記録が残るのか?
これが、インターネットで表層化し明らかになった、
この国に巣食う社会精神的構造、その一端なのか?

証拠の残らず、身体に痛撃を与える技術がまるで存在するかのように。
まるでそれは、軍需技術の民間漏えいと利権享受のように。
まるで、情報格差の基に広がる優越感のように。

誹謗中傷、嘲笑、そしてほのめかし。
私の人生は確実に縮められている、
そうした可能性を示す根拠をばらまき続けていくしか、道筋はないようだ。
歪められてきた短からぬ時間を、気のせいで受け流してしまうのではなく、
物証をもって正常な心理的な反応であることを示すことは、
それを頭から否定してやろうといった、
意固地で計略的意図を持たない柔軟な方々に対してであれば、
いくらでも同意を受けることができることは実証済みだ。

私自身もいつの日か、彼ら人脈によって、
ある日の苦痛に苛まれ、弾きだされた言質をもとに、
あらかじめ計略化されたシナリオの中で、
迷惑者や犯罪者などとして、
でっちあげられた事態に誘導される可能性があることも、
少なからぬ助言や証言からも理解している。
現実に数度、そのうような状況に囲い込まれたこともあり、その矛盾した記録も残っている。
この街の住人の多くもまた、生活安全条例による防犯ネットワーク構成的なつながりがある。
その構成員には、宗教関係者もいれば、在日層などもいることがわかっている。
そして公安による活動費を土壌、背景にして、
そこに利権という沼に手を突っ込む人々がいることは、推察だが見えてきてはいる。

これらネットワークは本来、
非合法的な人物に対する犯罪抑止の観点から構成されることが建前にあっても、
実害無き一般者には、この私的悪用に対する理解も興味も派生しない現況がある。
このことは、歴史的な背景からも読み取れる。

自宅前で「死んじゃったの?また殺しちゃったの?」などと会話をはじめる人物も、
カルトに高笑い騒ぎ立てる輩も、
そうした横の繋がり、ストーキングネットワーク構造にしっかりと根付く、
地元の有力者であるし、
彼らが人々のプライベートを弄んでいる根拠を示すこともできる。
時に不快感をありきたりで日常的な態度を誇張することで、
一般者にさとられることなく示し、
狙い澄まし条件づけた相手の反応を、
「合法的残虐性」のもとで、口元を歪ませている。

時に、blogの記載内容から、
私の反応パターンを読みとって、メンタリティハラスメントに反映させていく。
違和感の残った突発的工事を試しに記録に示してみれば、読み通り、
数日後、彼らの玄関先では騒音工事がはじまり、
http://silentbellwindy.blogspot.com/2007/10/unnatural-point-to-have-caused-doubt.html
一か月前に行っていた全く同じ場所で、なぜか再び水道工事がはじまるといった、
懐疑的に受け止めざるを得ない環境を構築しておきつつ、違和感を誘導派生させ、
「被害自覚」の強化を目論み、統合失調症、被害妄想者として陥らせていく、
といった手合いが構成されていく。

このネットワークストーキングに対する世論への危惧伝達を、
スポンサーに回収されて身動きの取れない高給マスコミ人員には期待できないことを理解し、さまざまな人々が、苦痛と揶揄に取り囲まれて、
時に自身のプライベートをネタとしてメディアに売り込まれ、侮辱受けながら続けている。
そしてその過程における障害としての、精神医学的な介入。
これは精神医学を否定するのではなく、
不快感自覚証言者の周辺実態の検証の希薄さをもって、障害であると指摘するものであり、さらなる発展性を阻害する意見ではないことを付け加えておきたい。

やはりネットでの情報は、リアルな影響を及ぼさないのではないか、そう嘆いた友もいる。それでも具体化していく方法を諦めずに、と言ったら、再び彼は苦笑いを取り戻した。

ここで記す内容はすべて、実態はさておき、本来この情報を必要としていない人々と、
そして迫害苦痛に苛まれ、方向感を失った人々に示すものである。
迫害妄想と、迫害行為の意味を混同することなく、実態を知り、
それら心理的工作等による実害を認識し、主張を示す方々の志に共振したものである。
blogやサイトを構成し、更新を続ける人々への呼応である。

そうした人々が邪険にされ、主張をネット内にのみ押し込められ、
社会的支援を受けられていない現状の放任こそが、
迫害作用の一端を示していると、私は思うようになった。

自分自身が抱える問題と、自身を囲い込む問題との狭間でもがく人々へ。
迫害行為者、及び特権意識で満たされ、
他者を見下すような精神性を形成し、
野放しにして嘲笑う者のすべては関心の外にある。

それでしつこくもつきまとってくる者たちを、国内外では何と呼ばれているか?


                              Ⓒwindyjuly

実際の動画(音声)ファイル―
http://video.google.com/videoplay?docid=8790288201917979012
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ご質問―いやがらせに困っています
ご質問
精神的な嫌がらせをされて困ってます。
仕事中人の顔を見て咳きこんできたり
私の趣味の話をしながら中傷してきたりする方がいて、
嫌な顔すると少し嬉しそうにしてるんです。
どうすればいいのかわかりません。


最近、こうした人々が指摘され始めるようになりました。
これは、モラル・ハラスメントとやブリングと呼ばれる、
心理的でしたたかに人を追い詰める嫌がらせとして知られています。
こうしたハラスメントに対して、
ヨーロッパなどでは立法的な取り組みが図られてきておりますが、
国内では叩き台にすら上がっていないようです。
むしろ、こうした嫌がらせを訴えていても、
被害妄想的な症状として受け流されていくとする報告が多くみられます。

私自身も周囲からの陰湿な計らいの一端を目撃し、記録化し納めてきた者ですから、
こうした嫌がらせ気質者の存在は、痛切にかつ肯定的に認識してきております。

おそらく、陰湿な嫌がらせを行ってくる方というのは、サディスティックな性的傾倒があると推測されます。それは、同意もないのに(非マゾヒスト者)に対してであっても、拘束的な束縛を要求し、他者の意見を排除する傾向にあり、止めてほしいという意思表示をしたとしても、それはむしろ、前者の欲求を刺激してしまう傾向にあることが、フロイドや、マリー氏などからみえる、加害行為者に対する精神分析的な文献などからも、推察を束ねることができるように考えてきております。
独裁者気質といいますか、ナチズムへ通ずる権力論への繋がりや、拷問史といったサディスティックな精神的史実からも、接点を観ることができる可能性がありそうです。

しかしこの部分は、支配論へとも進路を向けるものでもありますので、十分な研究も必要になってくるかもしれません。

いずれにしても、意思表示をしても、精神的な嫌がらせ行為を止めない、例えて言えば、口から飛びだす鞭でこっそり叩きながらも、叩いてなんていないだろ、といったはぐらかし意識や、誹謗や中傷で、人を密かに甚振る精神的な気質にも、こうしたサディスティックな性的な傾倒が人格から表出しているともいえるかも知れません。

ここで述べてきたサディスティックな性的傾倒に対する問題は、
社会的環境から受けたストレスや、潜在的な欲求に対する深層的な抑圧が、
増長させていった精神性であるともいえると思いますが、

こうした気質を社会や社内で、野放しにしていては、それを受ける良識な方々はたまったものではありません。打つのも打たれるのも趣味ではないのに、サディズムの過度の膨張が物語るのは、あなたが受けている精神的嫌がらせとして、有形化しつつある社会的な問題として、今後一層の社会的議論が必要と思う一人です。

良識者への悪害をもたらすサディズム気質を、立法的に縛りつけることは、更なる抑圧を与えてしまう可能性もありますが、精神的な嫌がらせを、個人に対して行っているとした報告がある以上は、これらの問題を遊び半分で扱うべきではなく、こうした「透明な鞭」を規制する必要があるはずだと考えております。


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ブライティングシーン(Brighting scene)
照度の高い光の点滅や、パッシングなどによって、標的者周囲を挑発するとされるシーン例。



ご質問
近所の一部の方々に、私の行動に合わせて大きな音を立てたりする人がいます。
子供の送り迎えの際にも、ものすごい形相で布団を叩きながら睨んでくる
おばさんもいて、困っています。同じ問題に悩む人も多くいましたが、
何とかなりませんでしょうか。



単純に精神的いやがらせ気質者が、
目をつけた人にいやがらせしていると考えるのが一般的だと思います。
精神医学的な見地から調べていくと、
ありきたりな日常的性質の出来事を被害として訴え出すことにより、
妄想的診断を受ける可能性が高く、通例になっているようです。
またもうひとつの可能性として挙げられるものに、
欧米他各国で被害の声があるギャングストーキングと呼ばれる、
精神的ないやがらせとネットワークによるつきまといという、
監視示唆的な行為があります。

これは、利権構造化におけるネットワークストーキング行為としての指摘も、
少なからず確認することができます。
しかしこれら指摘そのものを含めて、
公的かつ一般認識になるまでには至っておりません。
今後一般化するとすれば、ハラスメント気質者の行為の検証は忌避され、
被害妄想とした部分を強調した形で、広まっていく可能性が高いでしょう。
この存在そのものが懐疑的に揶揄されているのが現状です。

身近なできごとがまさか、とはお思いになられることだと思いますが、
それゆえに、ネットワーク構造の連鎖的な視点が必須になってくると思います。

モラルハラスメントといういやがらせ気質者による、
個人資質的な問題のみであれば、
転居などでの解決方法もあるのでしょうが、後者の場合、
多くの実害経験者の方々による証言によって明らかになりつつありますが、
公権的要素を含んだ利権ネットワークが関わる可能性を否定できないことから、
転出先でも同様の関係者によってハラスメントを受け、
日本他各国で苦しんでいる人々がたくさんいることがわかると思います。
しかし、問題の性質上、断定化は簡易ではないことを、
様々に調べを進めてきたなかで認識しております。

ただし、あまり後者の被害意識を公言していても、周囲のネットワーク人脈から、
被害妄想や、統合失調症としての風評を流布され、
同時に病院診断を勧めてくるとしたパターンが、
蔓延っている実態が同一証言によって確認されているので、
優先すべきこととして、
不自然な挙動の違和感を証明するための証拠を取り集め、
第三者に対し、内心的な問題ではなく、外部不快行為に起因した、
正常な心理的反応であることを提示できるだけの、
物証を確保する必要があると思っています。

自分では理解できても、それを見る人の目には、
前後の周辺環境や、背景などが読み取れないと思いますので、
集めた証拠の提示方法の見せ方などを考えていく工夫もまた、
大切になってくるのではと思っています。

これは、同種の違和感を自覚する国内、海外の方々の談にもありましたが、
公権、宗教的な問題や、北朝鮮拉致問題に関わる工作員が、
スパイ化している可能性を示唆する声も少なくないので、
警察が積極的に介入してくれない以上、再度自主防犯面を見直してください。

ちなみに仮に被害届を受理してもらったとしても、法的規定があるわけではなく、
国家公安委員会規則「犯罪捜査規範」に「被害届の受理」という、
項目があるに過ぎません。

捜査が積極的に行われるかどうかは、
担当課長による判断に左右される可能性が高いと聞いております。
そうした現況があるので、
単純ないやがらせにしろ、ギャングストーキングであったとしても、
深刻な状況であるならば、
迷惑行為に対する告訴を前提とした資料収集を検討してください。

                      Ⓒwindyjuly


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